2023/11/21

みっちゃんみがつくミミズクホウシ・・・

    小学生の頃、よく女の子にからかわれていました. 

    みっちゃんみがみがつくミミズクホウシ
    法師, 胞子で飛んで行け・・・

    私は岡山県児島郡琴浦町下之町萱刈という, 海沿いの町に生まれたのですが, こどものころ, からだが弱く, 病気がちで, いつも家で母と一緒にいるか, お隣の1歳年上のみさちゃんや年下のよしみちゃんという幼馴染と遊ぶだけ・・・. そのため, 私の話す言葉は, 岡山の男の子たちが使う岡山弁ではなく, 母のふるさと・四国阿波の半田町坂根の方言と岡山の女の子の話す岡山弁・・・. たぶん, 同級生や小学校の教師たちにとって, 言葉なまりの違う私は, ”他所者” だったのでしょう. 

    法師, 胞子で飛んで行け・・・

    そんな私は, 日本基督教団の牧師になるために, 東京町田の鶴川学院・農村伝道神学校に入り, ふるさと岡山から, タンポポの胞子のように飛び出してしまいました. 今は, 私の先祖の信州栗田村の真言宗観聖寺の住職たちが生きた, そしていまもそのゆかりの人々が生きている長野県を飛び越して, 東北福島の妻のふるさとに着地, タンポポの如く, その地に深く, 深く根を張っています. 

    長野市公文書館の主事の方は, ”あなたのおじいさんとおとうさん, おねえさんの本籍が長野市栗田にあったのなら, あなたも長野のひとだ” と話していましたが, この前, 湖南の農家の方が, ”あなたはもう10年湖南で生きてきたのだから, 湖南のひとだ” と話していました. 湖南のタンポポは, 西洋タンポポばかりで日本タンポポはひとつもありません. いつか、妻の実家の田畑の土手や畔に日本タンポポの花を咲かせたいと思っています. 時々, ”どこの生まれですか?” と聞かれて, ”岡山です” と答えますと, みんな同じ言葉を返してきます. ”あなたは岡山のひとだったのですか!” 私は, 岡山のひとであり長野のひと, そして湖南のひとですが, まだ郡山のひとにも福島のひとにもなっていません. 日本基督教団の牧師をしていたとき住んでいた神奈川県と山口県は寄留の地・・・. その地のひとと呼ばれたことは一度もありません.  

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