2023/11/30

夜, 妻の実家のおとうさんとおかあさんの思い出話し・・・

    夜, 妻の実家のおとうさんとおかあさんの思い出話しをしました. 

    2005年から, 毎年, 春と秋, 6日間, 私ひとりで, 妻の実家に帰省して, 妻の実家のおとうさんとおかあさんの暮らしぶりを見てきましたが, 2011年の原発事故のあと, 妻のふるさと・郡山市湖南も放射能汚染されましたが, 妻の実家のおとうさんは, 東海村の原子力発電所に季節労働者として勤務したこともあって, 毎年健康診断を受けていました. 事故のあと, ショックを受けたお父さんは, ”もしここがとりかえしのつかない放射能汚染されていたら, ここさ帰ってこなくてええ・・・” とさびしそうに話していました. 私は, ”なにがあっても, 帰ってくるから! ” と話していたのですが, 2012年1月1日心臓発作で急逝しました. 

    2005年から2011年まで, 7年間、春と秋の6日間、湖南に帰省して, 妻の実家のおとうさんと, 妻と私の帰郷・帰農後, どのような百姓暮らしをするのか、いろいろ話をしていました. 有機・無農薬栽培によるコメと野菜、果樹のつくりかた、購入する小型農業機械と農具, 育苗用ハウスと耐寒用簡易温室の作り方, 農業用水路の水を温める方法・・・, などについて, 84日間, 話をしました. 2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農した年から, 妻の実家のおとうさんの田畑で有機・無農薬でコメと野菜を栽培できたのは, 妻の実家のおとうさんと私の情報交換の賜物です. 

    妻は, そのときのいろいろな話を聞かされて, とてもうれしそうでした. 84日間のおとうさんとのやりとりは1冊の手帳にメモしています. ”ならぬものはならぬ”,  おとうさんの会津精神は, 妻と私も共有しています.  

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