ある, 社会科の中学校教師の言葉です.
"私は歴史研究家ではない. 研究者になりたかったけれども, 自分のライフワークにすべきような研究をしてきたわけではない. 中学生レベルにわかることばを, わかる学習資料をと考えてきた20年間, どんどん難しい文章が理解できなくなってきている. ふつうの人にもわかりやすい学術論文はないのかもしれないが・・・. 人生を幸せにするために学問はあるのだと思う. 難しいことをわかりやすくいえるのが教師だと思う. ・・・生徒たちに人間の弱さとすばらしさを教えたい. 自分の生き方を見せながら, 人間がどんなことができるのか, どう生きるべきかを語りたい. 自分の人生を, 人間の歴史を正しく見つめ, 未来のために肯定的に生きていくこと、それが社会科教師なのだと思う. " (大濱徹也編 "社会科 現代 問われている世界" より)
"それが社会科教師なのだと思う"
私もそう思います. "それが社会科教師なのだと. "
"自分の人生を,
人間の歴史を
正しく見つめ,
未来のために肯定的に生きていくこと"
社会科の中学校教師は, 被差別部落出身の生徒を前にして, 同じ言葉を語りかけなければならない.
"’被差別部落民’ である自分の人生を,
自分達の先祖の歴史を
正しく見つめ, 差別の鉄鎖である差別思想・賤民史観から己を解放し,
被差別部落の未来のために肯定的に生きていくこと"
が大切であると・・・.
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