2010年の秋、妻の実家に帰郷したとき、筆者と、妻の実家のおとうさんとおかさんの3人で、会津若松市の回転寿司を食べに行きました。その帰り、おかあさんが、猪苗代湖畔で写真をとってくれといいます。<なんの写真?>と尋ねると、<じっつまの写真だ。葬儀のときの写真に使うんだ!>と話していました。それを聞いたおとうさんは、絶句・・・。<おらの葬儀のときの写真を撮れってか!> それで、筆者、<ついでに、おかあさんのも撮ってあげよう>といいますと、おかあさん、<縁起でもねえ。おらのは撮らんでええ、おらあ、まだ死なねえ!>と拒絶していましたが、筆者、<ものはついでだから、一緒に撮ろうね・・・>といって、おとうさんとおかあさんの葬儀用の写真を撮りました。
妻は、妻が撮ったおかあさんの写真を遺影にしたかったようですが、それは今年に入ってからの写真・・・。おとうさんの遺影とならべますと、つりあいません。それで、妻は、猪苗代湖畔で撮った葬儀用の写真を遺影にすることにしました。ふたりの遺影を並べても違和感がありませんので・・・。
葬儀社の担当者の方、<葬儀用の写真があるんですか。こういう準備をするひとはすくないんですよね。集合写真の中から取り出す人が多いのですが、どうしてもボケてしまって・・・。この写真だときれいな写真になります>と言って帰られました。着せ替えは、おとうさんの遺影と釣り合うようにお願いしました。
2022/05/03
2010年秋、猪苗代湖畔で撮った父母の葬儀用の写真・・・
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