2022/05/01

午後、ヤスパース著『イエスとアウグスチヌス』を読む・・・

午後、冷たい雨が降っていましたので、インターネットで、ウクライナのロシア侵略戦争に対する防衛戦争の状況を確認・・・。そのあと、ヤスパース著『イエスとアウグスチヌス』を読みましたが、1.告知、2.イエスの生涯、3.イエスの人格の解釈、4.イエスの影響のうち1.と2.のみ・・・。

ヤスパースは、人間<イエスの実際の姿>を明らかにしようとします。新約聖書の福音書の旧約聖書の言葉と信仰という<ヴェール>をとりはずして<イエスの実際の姿>を描こうとします。しかし、哲学者・ヤスパースは、<イエスの実際の姿>を描くとしても、それは、歴史学者によってあるいは歴史神学者によってなされた歴史研究に基づく<史的イエス>を描き出すわけではありません。イエスはどのようなひとであったのか・・・? それに対するヤスパースの答えは、<イエスは祈りのひとであった>というものです。その祈りの中核は、<みこころが行われますように>という祈り・・・。

主イエスさまが、弟子たちに教えた<主の祈り>は、主イエスさまが弟子たちに祈ることを教えられた弟子たちのための祈りではなく、本質的に、主イエスさまご自身が祈っていた祈りであったということです。主イエスさまは、主イエスさまがひととして神さまに祈っていた祈りと同じ祈りを、その弟子たちにも祈ることをすすめたということになるでしょうか・・・。信仰者は、<主の祈り>を唱えることで、主イエスさまが祈られる祈りに唱和していることになります。<主の祈り>の<我ら>は、主イエスさまとその祈り手ということになるでしょうか・・・。祈りはその本質において孤独のいとなみではない。

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

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