午後、妻は、筆者と妻のふたりの喪服の準備をしていました。
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときに、教会員の葬儀の際に使用していた喪服(黒の背広・式服)です。随分年季が入った喪服ですが、2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になって、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してからは、ほとんど着ることはありませんでした。娘の結婚式のときに着用したくらい・・・。
もう1着は、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の長老の方が送ってくださったご主人の喪服・・・。こちらは、東京三越のデパートに特注してつくられたもの・・・。
もう喪服を新調することはありません。筆者、74歳ですから・・・。妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して10年目になりますが、葬儀に出なければならないほど親しいまじわりをすることがほとんどなかった10年ですので、これからは、ますます喪服とは無縁の日々になります。年老いると、冠婚葬祭の時が増えるといわれますが、筆者は、まったく逆です。少なくなる一方・・・。
2022/05/04
午後、妻は、ふたりの喪服の準備・・・
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1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
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