夜、たまたま開いた、スイスの哲学者『アミエルの日記』の一節・・・。
<1881年1月20日
他人の悪意・・・によって悩まされることは、とかく私が陥り易い弱点である。・・・誤った批判を受けることは私にとつて辛い。私には男らしい乱暴さがない。私の胸は・・・必要以上に傷つき易い。けれども私は随分戦争に慣れて胸のところが鍛えられたような気がする。世間の悪意も昔と比べてずっと私を悩まさなくなってゐる。これは哲学のお陰だろうか。それとも年のせゐだらうか。・・・悪意を抱く人々が我々に及ぼす害は、我々に自分の力を疑わせることである。謙遜からわれわれはさういふ人々が間違ってゐるのだと考えられる時には凡てが救われる。我々はさういふ人々の誤りを惜しむ。我々はもう惑わされることも悲しむこともなくなる>。
<1881年5月11日>、夜を去った。4か月前の日記の記事です。
2022/05/04
哲学の効用・・・
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夕方の日差しに照らされて棚田の田の気温は37°C・・・
夕方5:00, 棚田の田に, 農業用水路から温水田へ取水しているUV管の蓋を締めに行った時, 電気柵の南側の電線が草に埋もれてしまっているのを発見,それで刈払機で電気柵の電線の下の草刈りを始めました. 妻の実家の棚田の田は東に雑木林の小高い山がありますので朝の日差...
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猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
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1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
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