2022/11/09

石橋をたたいて、なおかつ渡らないひと・・・

筆者のブログ『部落学序説』で取り上げた被差別部落と被差別部落の住人について、<実名>表記しないで<仮称>表記していることは、<反って部落差別を助長することになる>と批判してきた部落解放同盟の方、筆者を、<石橋をたたいて、なおかつ渡らないひと>と評していました。

普通のひとは、なんら気にすることなく、どんな橋でもわたるのでしょうが、少しく用心深いひとは、その橋がほんとうに渡れるかどうか、確認してからわたることになります。しかし、筆者は、普通のひとにはその橋はわたることができたとしても、筆者には、ほんとうにその橋を渡ることができる<体力>があるのかどうか、それを考えると、渡ることができる橋を渡らないですますこともあります

筆者、生まれたときから病弱で、健康なこどもが普通にできることも、筆者にはできませんでした。たとえば、運動会のときの徒競走のように、健康なこどもは、他の生徒と競いながら走ることができます。6クラス対抗レースの場合、筆者は、いつもビリ・・・。しかも、5番目の走者と筆者の間は、かなり距離があります。筆者、いつものことながら、前を向いて走ると、運動会を見にきた人々の顔が視野に入ってきます。遅れて、遅れて、ひとり、とぼとぼとゴールインする筆者に、<観客>は拍手で迎えてくれます。そのとき、筆者は、いつも恥ずかしくて顔を真っ赤にしていました。それで、筆者は、いつも、青い空を見上げながらゴールインしました。その青い秋の空には、いつも、白地に赤い、日の丸の旗がはためいていました。その旗を見るごとに、<日の丸の旗は美しい>と思っていました。そして、筆者、いつも、日の丸が目に入ったとき、胸がジーンとしてきました。

筆者の母は、筆者に、<あなたはからだが弱いのだから、いつも、石橋をたたいてわたりなさい。でも、無理をして渡ってはいけません。足を滑らせて川に落ちてしまうかもしれませんから・・・>と教えていました。母は、<あなたの競争相手は他の生徒ではありません。あなたは、自分と競争しなければいけません。自分と闘うことができるひとになりなさい・・・>と、いつも、筆者を諭していました。

いつも、石橋をたたいて渡る筆者、自分の<体力>(能力・学力・知力を含めて)を考えて石橋をたたいてなお渡らないことも、めずらしくありません。

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