<絆を断ち切ることがありうるだろうか・・・?>
この前、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいたときに、ヤスパースの手紙の中に出てきたヤスパース自戒の言葉です。
<ハンナもいつか我々の絆を断ち切ることがありうるだろうか? 少なくとも見たところでは、われわれの意見はしょっちゅう分かれる。本質的なことででもそうだ。いやいや、そんなことはありえない、と私は自分に言いきかせました。そんな疑念を持つだけでも、すでに許せない。なぜなら疑念は、そこを超えればすべてががらがらと崩れる境界線へ人を連れていってしまうからです。そうなったら、崩壊の責任は疑ったもの自身にある・・・。>
筆者の、後期高齢期を前にした筆者も、74歳の人生の歩みの中で、幾たびも人間関係が<断ち切られる>経験をしてきました。たったひとことが、それまでの長い交友関係をご破算にしてしまったのです。たったひとことを決別の言葉として、彼らは、筆者から去って行きました。そして、再び、交わりが回復されることはなかったのです。
筆者は、断ち切られても、断ち切る側に立ったことは一度もありませんでした。筆者は、他者を断ち切るほど、人間関係が豊かではありませんでしたので、他者から断ち切られるまで、節度を持った交友関係を続けました。しかし、ある日、あるとき、突然、<断ち切られる>ことによって、人間関係が消失されていきました。
寅さんの<それを言っちゃぁおしまいよ!>というセリフではありませんが、たった一言が人間関係をずたずたに切り裂いてしまう・・・。
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