毎朝、『英訳聖書』(NSRV)を通読していますが、今読んでいるのは<Acts>です。 その中に、主イエス様の弟子たちに、その信仰と生き方、行動を批判する学者や宗教者たちが浴びせた中傷的呼称は、<uneducated ordinary person>です。
私がよく使う<無学歴・無資格>という言葉も、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき、高学歴・高資格の、教会の内外の牧師・信徒から、私に向けられた揶揄、誹謗中傷の言葉です。 それを、私は反語法的に受け入れて、<それが、どうした? 日本基督教団の牧師であることになにか差し支えがあるのか? >と、その言葉を使い続けたのがはじまりです。
私の使う<無学歴・無資格>という言葉に、ぴったりした英単語は、<uneducated ordinary person>であるようです。 <uneducated>は、学歴がないことをさし、<ordinary >は、特別な資格がないことをさす・・・。
日本の同和問題に取り組んできた学者・研究者・教育者・運動家にとっては、<無学歴・無資格>は、恥ずかしいことであり秘して置くべき事柄・・・、それをあえて公言するのは、劣等感の表れであり、部落差別について語る資格を持っていないと断定する人が圧倒的に多いのですが、彼らの立場は、『英訳聖書』(NSRV)の<Acts>に出てくる学者・宗教者の言葉と振る舞いそのものでしょう。 主イエスさまの御霊は、高学歴・高資格の学者・宗教者、指導者・教育者の上にではなく、名もなき民衆のひとりである、<uneducated ordinary person>に注がれます。
私は、これからは、<無学歴・無資格>(Academic Outsider)に加えて、<無学歴・無資格(uneducated ordinary person)である私は・・・>と表現することにしましょう。
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