今、私が、日本基督教団西中国教区の牧師であったとき、1996年に、西中国教区部落差別問題特別委員会委員として、4期8年間活動した、その報告書として、新書版1册分、原稿用紙300枚にまとめた『部落差別から自分を問う』を、Blogger 上に公開しようとしていますが、この文書は、当時の、日本基督教団部落差別問題特別委員会と日本基督教団部落解放センターから、原稿を提出するように言われ、提出したところ、没収・廃棄処分にされました。 そして、私の取り組みは<なかったことにする>と宣告され、日本基督教団部落差別問題特別委員会委員長の東岡山治牧師は、西中国教区の牧師や信徒から、「吉田牧師を排除するなら、東岡牧師の部落解放の取り組みに協力・献金してもいい」と言われたとかで、東岡牧師は、「君を切り捨てることにした・・・」と私を排除すると宣告してきました。東岡牧師は、「吉田牧師を切り捨てたら献金が増えた」と喜んでおられました。
部落解放同盟山口県連M委員長からも、私は、部落解放同盟山口県連の集会や糾弾会、各種実態調査に参加することを禁止されました。 私は、部落解放同盟山口県連から出入り禁止処分にされたのですが、その理由は、M委員長の言葉を借りれば、<吉田牧師は、ラディカル過ぎる・・・>というものでした。 そのとき、<私が、なんで、ラディカル・・・? >と感じました。 <ラディカル=過激>という言葉は、無学歴・無資格(Academic Outsider)で、大学に入ったことも、大学闘争に参加したこともない、非政治的な私にとって、この言葉ほど、私と縁のない言葉はなかったからです。
神学校で勉学していた4年間、私は、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会に転会、そこで主日礼拝を守っていました。 私の阿佐ヶ谷東教会に転会が決まったあと、神学校の校長を辞任したT牧師が主任担任教師として赴任してきました。 そのとき、牧師婦人に言われたのは、<あなたのようなどこの馬の骨か解らない人は、基督教会の名門のT牧師の弟子に相応しくありません。 無学歴・無資格のあなたのようなものを弟子にするのは、私たちの恥になります。 あなたを神学生扱いはしませんから、そのつもりでいなさい・・・>と引導を渡されました。 しかし、私にとって、阿佐ヶ谷東教会での4年間の信仰生活は、とても有意義な4年間でした。 <目に見える教会>のなかに、<目に見えない教会>の姿を見るひとときでしから・・・。 牧師になり、阿佐ヶ谷東教会を離れたあとは、阿佐ヶ谷東教会で神学生として過ごしたということで、私に、<ラディカル>というレッテルが張られるようになりました。 聖書主義、敬虔主義、実存主義、相対主義、合理主義の信仰を持って生きてきた私に、その言葉ほど相応しくない言葉はありませんでした。
そのような状況のただなかで、執筆した、『部落差別から自分を問う』・・・、1ページは400字詰め原稿用紙3枚分、縮小印刷したものは全部で112ページですから、原稿用紙336枚分の文章です。
現在112ページのうち16ページを、Bloggerの『部落差別から自分を問う』に転載することができました。 全部、タイピングし終えるのは、いつになるでしょう? 晴耕雨読は、日本基督教団の隠退牧師として、有機・無農薬で米と野菜を自給用に栽培している私の避けることのできない現実ですから、すべての文章を転載し終えるには、かなり日数・時間がかかると思われます。
2023/05/15
『部落差別から自分を問う』の再入力には時間がかかる・・・
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