2023/05/08

『部落差別から自分を問う』の再掲は、タイピングして・・・

私は、神学校を卒業したあと、2年間、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道に従事したあと、1985年に、西中国教区の山口の小さな教会に赴任しました。

そのとき、西中国教区議長は、日本基督教団の事務所で、私にこのように語りました。 <前任者が自殺したとされるその教会は、伝道・牧会が困難であるが、5年間、その教会の再建に努力してほしい。 教会員の中にも、その教会の閉鎖を主張するひとも少なくないので、5年後に、再建の可能性がないと判断したら、その教会を閉鎖してほしい。 そのあとの君の任地は、教区が責任を持つから・・・>。 

その教会に赴任した私を待ち受けていたのは、西中国教区の牧師達の冷たい視線でした。 <吉田牧師は、傲慢だ! 前任者が自害した教会で伝道と牧会ができると思っているのだろうか? > その教会の牧師をするだけでも大変なのに、西中国教区は、私に、部落差別問題特別委員会の委員を押し付けてきました。

それから10年後、私は、西中国教区部落差別問題特別委員会委員として関わった事例を『部落差別から自分を問う』にまとめました。 部落差別問題が、日本基督教団の宣教の妨げになっているとの認識から、そのつまづきの石である部落差別完全解消への提言を書き始めたのが、さらに10年後のブログ『部落学序説』なのです。

その後の取り組みは、『田舎牧師の日記』・『隠退牧師の湖南村尻百姓記』・『隠退牧師の晴耕雨読日記』・『隠退牧師の百姓日記』の<部落解放>関連のカテゴリーの文章に適宜記されています。

一連の私の部落差別問題に関する言及の原点になった、『部落差別から自分を問う』の再掲は、スキャナーにかけないで、タイピングしで再入力することにしました。 一言一句、確認するためにも・・・。

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