本田豊著『差別部落の形成伝承』の<部落史研究の落とし穴ー前書きに代えて>にこのような一節がありました。
<「番太」といわれていた人たちが住んでいる・・・ここには2軒の番太がいた。 ちょっとした坂の途中である>。
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、妻とふたりでよく山口県内の未指定地区の被差別部落を訪ねたことがあります。 長州藩萩本藩の高佐郷もそのひとつです。 近世の高佐郷には、<穢多>の在所が1箇所、 <非人> (茶筅)の在所が1箇所ありました。 山口県立某高校で同和教育を担当されていた元教師の方の紹介でその<茶筅>の末裔の方を訪ねて聞き取り調査をしたことがあります。
意気投合していろいろな話をお聞きすることができましたが、そのとき、その古老の方から<部落がどのような場所に置かれたか、あなたにはほんとうのことを教えてさしあげましょう。 非人役と言われた人々が住んでいた場所は◯◯として共通しています。 ◯◯ という地理的特徴を持った場所が穢多や非人が配置された場所です・・・>ということを教えられました。
本田豊著『差別部落の形成伝承』の <「番太」といわれていた人たちが住んでいる・・・ここには2軒の番太がいた。 ちょっとした坂の途中である>を読みながら、その<ちょっとした坂の途中>という言葉に、その◯◯を思い出しました。 <ちょっとした坂の途中>は◯◯のひとつであったのです。
本田豊氏がその◯◯をご存知かどうか、8冊の著作を読むときにいつもそのことを念頭において読むことにしましょう。 <ちょっとした坂の途中>は<番太>が司法警察官としての職務を遂行するときの最適な場所だったのでしょう。 坂の一番上でも一番下でもその職務を十分に果たすことができない。 国土地理院の地形図と照合すればそのことがよりはっきりします。
2023/08/19
番太の在所は<ちょっとした坂の途中>・・・
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