2023/08/30

午後、<第3章第1節 部落は近くにない>の入力・・・

    午後、1996年に日本基督教団部落解放センターに没収・破棄された、新書版1冊分・原稿用紙300枚の私の原稿『部落差別から自分を問う』をBlogger上に移植するための入力作業をしていました。

    今は、<第3章第1節 部落は近くにない>・・・。 入力しながら、<差別>の側に身を置いて、部落差別問題との取り組みを避ける教区・分区・教会、牧師・信徒の<暗さ>・・・。 聖書を読み、聖書のことばに深く影響されているにもかかわらず、聖書的人間観に立つことができず、日本の差別的な社会の生き方に埋没している現実・・・を読み直していますと、その<暗さ>がますます<暗さ>を増してきます。

    <十年一昔>と言われますが、<十年一昔>は、<世の中は移り変わりが激しく、10年もたつともう昔のこととなってしまう。>という意味だそうです。 日本基督教団の隠退牧師になり、西中国教区から離れて今年で11年目・・・。 文字通り<十年一昔>になってしまったのですが、この十年は、西中国教区の教区・分区・教会、牧師・信徒にとって、部落差別問題とのかかわりにおいてどのような<移り変わり>をしたのでしょうか? <激しく>変化し、私が『部落差別から自分を問う』でとりあげたいろいいろな差別事象は、すでに<もう昔のこと>になっているのでしょうか?  克服されて<もう昔のこと>になっているのか、克服されないまま<もう昔のこと>になっているのか・・・。

    <差別>の側に身を置くものの<暗さ>と比べて、私が山口の地で<日本基督教団の一牧師>としてであった被差別部落の人々の、差別されてもそれをはねのけて生きる人々の<明るさ>を思い出さざるをえません。 <十年一昔>、世の中が激しく移り変わり10年が経過しても、日本基督教団の隠退牧師としての私は、昔も今もこれからも変わらない・・・。 部落差別完全解消への願いと取り組みは、今も継続しています。 山口の地で部落解放運動をしている被差別部落の人々、また運動のない未指定地区の古老たちから聞いた彼らの先祖の歴史と伝承、差別をはねのけて生きる彼らの姿、死して灰になっても消え失せることはありません。

    高校生のときに読んだ600冊の中の1冊、ハンス・カロッサ著『美しき惑いの年』ほ一節・・・。

    <いっさいがより軽くより清純であるその世界に住んでこそ、われわれは過酷な騒がしい人生の中にあって、心底の願いを実現することのできなかった孤独の人々を、もっとよく理解することができるようになるだろう。それによって、たぶんわたしたちは、わたしたち自身の存在によってそういう人々の生の完成を進めていくことができるのではあるまいか。 そのことはわれわれ自身の天性への最も美しいおぎないとなるであろう。 われわれはわれわれ自身については知ることが少ない。 われわれの精神的な目は、われわれ自身を直接に認識することはできないような構造をもっているらしい。 われわれは他の人々にやどる可能性を、われわれ自身の中に耕して行かねばならなぬ。 そこからよい収穫が生まれ出るであろう、そしてわれわれは、その際われわれの払う労苦によって、われわれ自身に固有のものを、最も早く知ることができるであろう。

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