1996年、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員を4期8年間<させられていた>時の、無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私の取り組みを原稿用紙300枚(新書版1冊分)にまとめたものが、日本基督教団部落解放センターからその原稿を没収・廃棄処分にされた『部落差別から自分を問う』ですが、この前、山口から妻のふるさと福島へもって返った部落問題・部落史研究関連資料を整理していたとき、その原稿をプリントアウトしたものが出てきました。 それで、Blogger上で、『ある部落差別問題に関するレポート (1996年日本基督教団部落解放センターによって没収廃棄処分にされた論文『部落差別から自分を問う』の再掲)と題して<再掲>する作業を進めていますが、キーボードからタイピングしながら、ふと思ったことがあります。
日本基督教団部落解放センターと西中国教区・京都教区の取り組みから排除・疎外された理由と、部落解放同盟山口県連に出入り禁止をされた理由とが、同じではないかと思いました。 その理由とは、<吉田さんはラディカルだから・・・>というもの。 私は無学歴・無資格(Academic Outsider)で、部落問題・部落史研究の門外漢、しかも非政治的な存在で哲学は好きでも思想が嫌いな保守的な存在、それをラディカルだといって排除疎外するのは当時は解せなかったのですが、日本基督教団部落解放センターによって没収廃棄処分にされた論文『部落差別から自分を問う』をあらためてキーボードからタイピングしながら、<さもありなん・・・>と思わされるようになりました。
無学歴・無資格(Academic Outsider)で部落問題・部落史研究の門外漢ならではのラディカルというのもありそうです。 左翼的ラディカルとも右翼的ラディカルとも異なる、徹底的に合理的に追求しようとする合理的ラディカル・・・。 私が所属している教会は、カトリックではなくプロテスタントの改革派・・・。 改革派の<改革>は常に日々新たに改革し続けるという意味ですが、日本基督教団部落解放センター・西中国教区部落差別問題特別委員会も部落解放同盟山口県連も、彼らの運動の枠内で運動に参加するもののみを許容し、その枠内に収まらないものは徹底的に排除・疎外する<思想>団体・・・。 <思想>ではなく<哲学>に生きる私には、遠い存在だったのかもしれません。
それなのになぜ部落解放同盟新南陽支部とのかかわりは30年間も続いたのか・・・。 それは、新南陽支部の学習会を通じて、学者・研究者・教育者・運動家だけでなく、その被差別部落の名もなき民衆、おじさんやおばさんにであって、その生き方や差別に対する闘い方を学ぶことができたからなのかもしれません。 そのおじさんやおばさんの語る話に耳を傾けることで、私の中にある差別性が根こそぎもぎとられていきました。 『部落学序説』は彼らに対する恩返しのつもり・・・。 もし印税が入るようなことになれば、部落解放同盟新南陽支部部落史研究会の研究資金にすることにしていましたが、2013年日本基督教団の隠退牧師になり山口の地を離れ妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したとき、私が牧師をしていた教会の宗教法人解散とともにはかない夢と消えて行ってしまったようです。
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