2023/08/23

『近世宿駅制の研究ー奥州街道郡山宿を中心として』・・・

    児玉幸多著『近世宿駅制の研究-中山道追分宿を中心として』を読みながら、『近世宿駅制の研究ー奥州街道郡山宿を中心として』と題する本が出版されていても不思議ではないと思いました。

    郡山地方史研究会の古文書講習会のテキストにされた古文書は、大半が奥州街道郡山宿に関するもの・・・。 日本基督教団の隠退牧師になり妻の故郷・湖南の赤津村に帰郷・帰農したのは2013年ですが次の年から郡山地方史研究会の古文書講習会に参加させてもらいました。 そのとき、当該年度のテキストだけでなくテキストのバックナンバーもできる限りたくさん集めました。 1冊1,000円で販売されていましたので・・・。

    その奥州街道郡山宿関連の古文書の中には、当時の司法警察官である<検断>・<穢多>・<番太>などに関する記述も少なくありません。 中には彼らの探偵・捜査法に関する古文書もあります。 当時の街道を安全に守るためには<警察>による取り締まりが必要です。 その権限、殺生与奪の権を持っていた人々の中に<穢多>がいます。 二本松藩にあっては、城下に入る街道の東・西・南・北に<穢多村>が配置されていました。 その<穢多村>の役目は城下の治安を守るためなので、常に城下の町はずれの街道沿いに置かれていました。

    城下の町が発展して人口が増加しますと、<穢多村>はさらに城下の町はずれに移されました。 差別思想<賤民史観>の学者・研究者・教育者・運動家は、それをもって<穢多>は封建時代にあって差別・排除されていたと説きますが、大きな事実誤認です。 関所は町外れにあってはじめて関所としての役割を果たすのであって城下の町のどまんかなにあっては関所の役を果たすことはできません。 城下町の中にあっては<穢多>の部類の<目明し>が取り締まっていました。

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