2023/08/24

<第2章第2節 あらたな差別発言>を入力・・・

    午後、Blogger上の私のブログのひとつ『ある部落差別問題に関するレポート』の

    第2章 差別意識を克服するために
    第2節 あらたな差別発言

を入力していました。 このブログは、筆者の『部落差別から自分を問う』のブログ上での再掲です。  原稿用紙300枚で新書版1冊分の文章ですが、その<はじめに>に記しているように、<1995年の夏、京都教区の部落差別問題夏期研修会に参加した際、近江平安教会の N さんから、「いままで、いろんな話を聞いてきたけれど、一度文章で書いたものを読んでみたいわ。 もう、自分の差別性を見つめながら、部落解放運動にかかわることでどう自分が変わったか、書けるんとちがう。 絶対に読むから書いて・・・」と言われて、「文章を書くのは苦手だけど、挑戦してみるかな・・・」と返事したことに端を発します>。

    1996年1月にこの『部落差別から自分を問う』を書きあげ公開したとき、思いがけない事態が待ち構えていました。 日本基督教団部落解放センターから原稿を提出するようにといわれ提出したところ<没収破棄した>との通知を受けました。 当時の教団部落解放センター角樋主事は、私に部落差別に取り組むことを即刻やめること要求・・・。 理由を尋ねたところ、<日本基督教団部落解放センターがこれまでやってきたことを横取りするな! 吉田牧師の取り組みはなかったことにする!>とのことでした。 西中国教区部落差別問題特別委員会の東岡委員長からは<西中国教区の他の牧師や信徒たちからの要請で吉田牧師を教団教区の部落差別問題の取り組みから排除する>との<切り捨て>宣告を受け、京都教区の部落差別問題夏期研修会にも参加拒否の通告を受けました。 私の『部落差別から自分を問う』は、教団・教区の部落差別問題に取り組んでいる牧師や信徒に激しい拒否反応を引き起こしたようです。

    今日、キーボードから入力していた第2章第2節にこのような一節がありました。

    <西中国教区の教育セミナーで、このようなことがありました。 登校拒否が主題として取り上げられた時のことですが、参加したキリスト者で、学校の教師であった人が、自分の実践事例を話されたことがあります。 それは、言語障害を持つこどもの話しでした。 最初、その人は、自分のところにやってくるこどものことを、「言語障害を持つこども」と呼んでいましたが、話が進むにつれて、「どもりのこども」と呼び方を変え、最後になると、そのこどもを「どもり」と呼び捨てにしていました。

    私は、そのとき、その場で、「あなたの発言は差別発言である」と指摘してその理由を話しました。 「障害をさす用語、しかも差別語を用いて、こどもの全人格を表現するのは差別である」と。 そのとき、そのひとは、「あなたは、私のことばじりをとらえて、わたしの教師としての全生涯を否定するつもりか!」と激しく立腹されました。 そのできごとは、まだわたしの記憶になまなましく残っています。 そのとき、教区議長は、「私たちは長い間、障害者差別問題と取り組んできた。 しかし、これでは、最初からやり直しをしなければならないではないか・・・」と嘆いておられました。


    1996年に教団・教区における部落差別問題との取り組みから疎外・排除されて10年後の2005年、インターネットのブログ上で『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆を開始したのですが、西中国教区の多くの牧師たちの評は、<負け犬の遠吠えに過ぎない>というものでした。 

    釈迦に説法するのは難しい。 しかし、ほんとうの釈迦は、それがだれであれ真実を追求し語るもののことばには耳をかたむけると思われるのですが・・・

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