2023/08/27

キリスト教会は被差別部落の人々にとってアジールになるのか・・・

    キリスト教会は被差別部落の人々にとって<アジール>になるのでしょうか? 

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、教会の役員会でしばしば取り上げられた議題です。

    あるときまでは被差別部落の人々に対して<差別者>のような言動をしていた教会役員のひとりが、私が部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加して、その被差別部落のおじさん・おばさんから話を聞くようになって、その生き方を教会役員会で報告したとき、その教会役員のひとりの方は被差別部落の関係者であることを明らかにしました。 そのおじさんは、部落解放同盟某支部の支部長・・・。 奥さんを離縁して、被差別部落出身の女性結婚、同和対策事業に参加する資格を獲得して同和事業を展開、そして某支部の支部長まで歴任したひとです。

    その教会役員の姪をどのように部落差別から守るか、いろいろ話をされていましたが、彼らの計画は、東京女子大学に進学させ、そのあとアメリカに留学させて、高学歴・高資格をもたせれば、誰も被差別部落出身だと思わなくなり社会的に富と地位にある人と結婚できる・・・、被差別部落出身者にとって、キリスト教会はアジールに過ぎない、という話でした。 部落差別は、被差別部落出身の人が社会的に富と地位を得て上昇しようとすることを妨げることであり、もし、息子や娘が、一般の貧しい社会的地位の低い人と結婚しようとするなら猛烈に反対する、と話していました。

    教会の中で起こる複雑怪奇な、部落差別問題については、牧師の度量をはるかに超えていましたので、私は、教会役員会に議題として持ち出して教会役員会、場合によっては信徒懇談会でオープンに話しあうことにしました。 
キリスト教会は被差別部落の人々にとってアジールになるのか・・・。 教会が被差別部落の人々にとってアジールになるということが、被差別部落出身の人が被差別部落出身者としてではなく<差別者>の側に身を置いて生きることを選択すると同義であるならば、教会は決して被差別部落の人々にとってアジールになることはないでしょう。

    教会は、自分の重荷を下ろす場所だけでなく、主イエスさまの前にいったん下した重荷を愛する人のために再び負い直す場所でもあります。 <自分の十字架を背負うてわたしに従ってきなさい>と弟子たちに語りかけられた主イエスさまは、<他人の十字架を背負うてわたしに従ってきなさい>とはすすめられませんでした。 自分の十字架すら満足に負えない私たちがどうして他者の十字架を担うことができるでしょう。 主イエスさまの十字架は、私たちが人生の逃亡者になることに終止符を打つ場所でもあるのです。 自分の十字架を負うて主イエスさまのみあしのあとに従っていくとき、主イエスさまご自身が私たちのアジールになってくださるのです。

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