午後、1時間ほどまた仮眠しました。
湖南町赤津某組合の組合長の方は誠実な方であってホッと一安心しました。 事務処理がきちんとできるお方であるようなので・・・。
妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したときの第一印象が最悪だったことがいまだに影響しています。 <ここらは、盗ったり盗られたりしながらこれまでやってきたんだ。 よそもんが少々盗られたからといって文句いうんでねえ! 盗られてくやしかったら、おめえも他のところへいって盗ってきたらええべえ! それであいこだべえ! >と語っていたのは1人や2人ではなく、老いも若きも、男も女も大きなセリフを語っていました。
警察のすすめで、家や農機具の小屋、簡易温室の出入り口に全て施錠することにしたとき、<なして鍵をかけてんだ? オラがはいれねえでねえか! >と激怒していました。<ここらは、誰の家でも勝手に入ってええことになてんだ! >理解しがたいことを語っていましたが、玄関の鍵をしめて庭の奥の草を取っていたとき、玄関のドアを開ける音がしました。 それで、玄関先に行って、<なにかごようですか? >と問いかけると、<なんだいたのけ? いたら用はねえ! >と立ち去って行きました。 いろいろ盗まれることが多く、隣村の駐在所に電話をして善処をお願いしたところ、赤津村の農家は激怒していました。 <警察に電話すると、ここらから犯罪者を出すことになるべえ! そんなことは許せねえ!>とわけのわからない話をしていました。 あとで他の農家が、<あの家の親類が他所でコンビニ強盗を働いて、通報されて、逮捕されたんだ。 少し盗られたくらいで警察沙汰にされてみんな迷惑したんだ>と話していました。
ある農家は、<ここらのもんの話は全部、井戸端会議のそれだ。 全部聞き流せ! >と話していましたが、実害がともなう話しなので、聞き流しにすることはできません。 生前、妻の実家のおとうさんは、私が春と秋2回5~6日湖南に帰ってくるつど、湖南に帰郷帰農したあとの赤津村のプロの農家の方々との付き合い方をアドバイスしてくれました。 1軒ずつ、一人ずつ・・・。 おとうさんのアドバイスが的確であったことは、2013年4月に帰郷帰農してから身をもって経験させられることになりました。 そのおとうさん、<ここさ戻ってきても、他の農家にあがりこんではだめだぞ。 よそもんが部屋に入ると、あとでカネがなくなったと大騒ぎされ、盗ってもいないカネを払わされることになるぞ・・・>と話していましたが、そのおとうさんのアドバイス通り、他の農家の家の中に入ることはありません。
妻も、お父さんの言いつけを守って、おさななじみの家を尋ねることもありません。 妻がここらのもんと接するのは、共同作業のときか、野菜直売所湖南四季の里に有機・無農薬で栽培した野菜を出展するときのみ・・・。 ある農家が、古米のあきたこまちを新米のコシヒカリと交換してほしいと言ってきたことがありますが、妻はていちょうにお断りしました。 その農家とはいまだに犬猿の仲・・・。 あるときから、湖南の赤津村の農家とつきあう方法は、Holy Indifferent が一番いいと悟って、かかわることをやめてしまいました。
日本基督教団神奈川教区、西中国教区の教会で、意味不明・理解不能の事態(言葉と行為)に遭遇したとき、あえて意味不明を明らかにしようとしたり、理解不能なことを無理をして理解しようとはしませんでした。 理性的・論理的・信仰的ではない、他の牧師や信徒の言動はすべて、Holy Indifferent で対応していました。Holy Indifferent をしらなければ、山口での30年間、そして福島での10年間、生活と暮らしを続けることは不可能になったことでしょう。
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