2023/08/20

かっての学校同和教育がもたらしたもの・・・

    2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農しました。

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた30年間、機会にめぐまれて、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加、いろいろな方々から、人々から被差別部落として差別されたり排除されたりした被差別経験だけでなく、それにいかに抗して生きてきたか、話をお伺いすることができました。 また、新南陽支部の支部長さんに、その被差別部落の歴史を調べることを求められ、徳山市立中央図書館の郷土資料室や山口県立図書館でその歴史を調べると共に、その史資料に出てくるほかの<穢多>村・<茶筅>村(非人村)を尋ね、その古老から聞き取り調査をすることができました。 その多くは未指定地区でした。

    部落解放同盟新南陽支部の方々は、私が彼らと交流のない未指定地区の被差別部落に行って聞き取り調査をしたきたことに驚きの思いを持っていました。 書記長さんは、<山口の被差別部落の人々は、村に入ってきてその話しをききたいというひとに遭遇したことがなく、見ず知らずの人に先祖の歴史を話すことに警戒感を持っていない可能性がある・・・>と話されていました。

    しかし、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してからは、被差別部落やその住人の方々と出会う機会は皆無で、湖南史談会の現地調査や郡山地方史研究会の古文書講習会に参加して同和教育担当の元教師の方々と短い対話をするのみでした。 福島県内の同和教育担当の元教師の方々が語る内容に、私は驚愕しました。 <その発言はまるっきり差別発言ではないか>と。 学校同和教育を担った元教師の記憶の中に残っているのは、『部落学序説』の私が差別思想であると指摘する<賤民史観>のみ・・・。 学校同和教育で指導する側がそうなのですから、彼らに教えられた生徒たちの授業後に記憶に残るのは、差別思想<賤民史観>のみ・・・。  <同和地区の住人は、江戸時代に差別され排除されていた賤民の末裔である>という差別思想<賤民史観>の骨子のみ・・・。 同和教育を担当した教師もその授業を受けた生徒も、差別思想を脳裏に刻みこんで終わっている・・・。 東北は、部落差別が無いのではなく、典型的な差別意識が温存されている場所である・・・、と認識せざるを得ませんでした。

    私は日本基督教団の<隠退牧師>ですが、<元牧師>ではありません。 学校教師は引退すると<元教師>になるのでしょうが、日本基督教団の牧師は隠退しても<牧師>のままです。 教会の主任担任教師として教会の伝道と牧会に従事することはなくなりますが、<隠退牧師>という<牧師>として主なる神さまから与えられた職務の遂行を続けることになります。 しかし、ここ福島では、山口における被差別部落の方々との出会いはほとんどあり得ないと思われます。 妻のふるさと湖南町赤津村は、郡山市の西の最果ての村・・・。湖南から郡山に行くのに、山口県の下松市から山口市へドライブするのと同じ時間がかかります。福島の地にあって、隠退牧師の私が<部落探訪>をするのは時間的にも地理的にも経済的にも精神的にも不可能です。

    できることがあるとすれば、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方から進められてインターネットの日本の古本屋経由で収集した東日本・東北の被差別部落に関する史資料・論文集を読んで、解析、ブログ『部落学序説』の視点・視角・視座である<非常民論>や<新けがれ論>から批判検証することのみ・・・。 郡山地方史研究会の古文書講習会のテキスト(古文書の写真版)に<穢多>に関する記載があるものも少なくありません。<司法警察官>としての捜査方法が記載されている古文書も含まれていました。

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