2023/08/18

そこまで調べているならもう何もいいません。 お好きなだけ調べなさい。

    午前中、妻の趣味の手芸の手伝いをしました。

    右手関節障害のある私には細かい作業をすることはできないのですが、できるところまででいいといいますので・・・。

    居間から見る空は真夏の空、白い雲がぽっかりと浮かんでいます。 居間の温度計は31.8°C、湿度は57%・・・。 以前として風はなし・・・。 

    手伝いをやめたあとは、本田豊著『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』の原田伴彦著<序にかえてー東北・北陸地域の部落史研究>と本田豊著<あとがき>を読んでいました。

    雑誌『部落解放』の編集者から依頼されて、<横なぐりの雪が吹きつける1978年、東北地方の被差別部落を歩きはじめた>そうで、本田豊氏は<全国の部落をひとつ残らず歩いてみようと、その実践中である。 部落問題には、普遍性と独自性が存在すると思うから。 >と記しています。

    なぜ被差別部落の探訪をはじめたのか、私の手元にある本田豊氏の8冊を精読すればその中に本田豊氏の被差別部落探訪の動機が記されているかもしれません。

    私は日本基督教団の牧師をしていたとき、その学習会に参加させてもらっていた部落解放同盟新南陽支部の支部長さんに求められて<被差別部落探訪>をはじめましたが、<私は差別者の側に身を置く身なので、歴史の事実に即した調査ができるかどうか確信はありません>と答えますと、<差別者の立場でもいいから調べてほしい。 そして調べて分かったことはいいこともわるいことも包み隠さずありのまま教えてほしい>と言われ、<被差別部落探訪>を承諾しました。

    <調べている間になにか問題にぶつかったら、私の名前をだし私に依頼されたといえばいいから・・・>といわれましたが、私は一度も部落解放同盟新南陽支部の支部長さんに調査を依頼されたと弁明したことはありませんでした。 日本基督教団の牧師として差別者の立場からの被差別部落の調査と探訪に徹しました。

    ブログ『部落学序説』を執筆するまえの3年間、私は山口県立高校5~6校に勤務したことがありますが、職員室にほかの高校教師に並んで席を用意され、休憩時間に同和教育担当の高校教師の方々と同和教育・解放教育について意見交換しました。 『部落学序説』の執筆計画を話し、いろいろ助言を受けました。 その際にも、部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから調査の依頼を受けたことは話しませんでした。 あくまで日本基督教団の一牧師として自己責任で被差別部落の探訪と調査を続けていました。

    一度公立図書館からの通報で山口県立図書館の研究員の木下先生がその公立図書館にやってこられ、私に語りかけて来られました。 <あなたが部落関連の書籍をよく読みにくるとの連絡があったのでやってきましたが、被差別部落について調べることは差別ですよ>と。 木下先生は、<あなたがどこまで調べたのか話してください>といわれますのでそれまで調べたことをありのまま答えました。 <長州藩の穢寺は4ケ寺ですが、どこでそれを知りましたが?>とさらに問いかけてこられますので『地下上申』や『防長風土注進案』やそのほかの史資料の該当ページを開いて説明しました。 <周防の国の茶筅寺は1ケ寺だけですよね>とさらに問いかけて来られますので<古文書には1ケ寺の記載しかありませんが周防の国はほかに2ケ寺あります。 3ケ寺で茶筅のすべてを網羅できます>と答えますと、木下先生、<どうしてそれを知りましたか?>と言われるので、<浄土真宗の寺を尋ねてその住職さんから教えていただきました。 >と答えました。 すると木下先生、<そこまで調べているならもう何もいいません。 お好きなだけ調べなさい。 あなたが被差別部落の人々を差別するためではなく部落差別を解消するために調べていることがよくわかりましたから。 やはり、あなたのようなひとが日本基督教団の牧師の中から出てきましたか・・・>と言われます。 <どういうことですか? >とお尋ねしますと、木下先生は、<運動用語や思想用語を用いないで、自分で被差別部落を歩いてその古老の語る言葉に耳をかたむけ自分で史資料を確認するようなひとは、私が知る限りでは2人目です。2人とも日本基督教団の牧師です・・・>といって、1人目の日本基督教団の先輩牧師の名前を教えてくださいました。

    山口県立図書館の研究員である木下先生の
<そこまで調べているならもう何もいいません。 お好きなだけ調べなさい。>という言葉は、私の被差別部落探訪とその史資料の調査に対する<公的なOK>でした。 木下先生がOKを出されたのは、木下先生の言葉を借りれば<部落史の学者・研究者・教育者・運動家の語る部落問題は金太郎飴と同じで誰のどの論文を読んでも同じ顔しか出てこない。 金太郎飴の切り口とは違う切り口で、被差別部落の伝承と史資料に即して被差別部落の歴史を調べようとしている>私に対するひとつの<公的な>認証であったと思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

知力の限界・・・

    知力の限界・・・     それを感じ始めたのは, 高校1年生のとき・・・.  中学3年の3学期, 私が尊敬し,その中学校教師のような教師になりたいと思っていた教師が, 公金横領詐欺事件で児島署に逮捕されたという報道が, ラジオから流れてきました.     私は高校受験のた...