本田豊氏の東日本の被差別部落探訪の本を読みながら、ブログ『部落学序説』の筆者である私には<あらたな被差別部落探訪の必要はなし>と思いました。
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていた30年間に、無学歴・無資格 (academic Outsider)の私が許された被差別部落探訪の件数は数少ないのですが、質的には本田豊氏の被差別部落探訪のそれと遜色ありません。
近世幕藩体制下の<穢多>役・<非人>役は<非常の民>である司法・警察官であったとする<非常民論>の立場に立てば、幕府の治安維持の方針のもとに構築された日本全国の街道を警備、安全を確保するために設置された<交通警察>はすべての諸藩で共通した性格を持っていますので不思議なことではありません。
藩法を超えた幕府法があったため、ひとつの街道を旅するのに諸藩を貫いて安心して旅を続けることができたのでしょう。 もし、<交通警察>である<穢多>役・<非人>役が順守しなければならない法が藩毎に異なるものであったとした、A藩で問題にされなかったこと(たとえば衣類の材質と色)が次のB藩で問題にされ、法律違反として逮捕・監禁・お仕置きないし過料を科せられ、道中の日程と費用の支障になり旅そのものが困難になります。 幕府は、日本全国同じ法のもとで街道を警備、治安を維持するために<穢多>役・<非人>役を配置しました。 そういう意味では、旧長州藩の領域だけでなく、日本全国津々浦々の<穢多>役・<非人>役は同じ役目を担っていたと思われますので、吉田向学著『部落学序説』でとりあげる西日本の長州藩の事例は、本田豊氏の著作でとりあげられる東日本の事例に共通したものであると言えます。
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていた30年間、旧長州藩領地の
<穢多>役・<非人>役の末裔である被差別部落の方々との出会いと貴重な聞き取りをすることができましたので、さらなる被差別部落探訪の必要はなし・・・。
2023/08/21
被差別部落探訪は必要なし・・・
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