2023/08/30

教団部落解放センターから没収・破棄されたときの部落解放センター主事との会話を思い出して・・・

    今朝、棚田のはえぬきの田のヒエ刈りをしていたとき、1996年『部落差別から自分を問う』という原稿用紙300枚、新書1冊分のレポートが日本基督教団部落解放センターによって没収・廃棄処分にされたとき、教団部落解放センターの当時の主事の方と電話でなんどもやりとりしましたが、そのときの電話の内容を思い起こしていました。

    筆者: あなたは、<部落民>であるかのように私に語りかけてくるけれど、あなたは部落出身者ではないでしょう?
    主事: 私が部落出身であろうとなかろうと、あなたにはなにの関係もないでしょう。
    筆者: 関係がないというなら、<部落民>であることをにおわせてそれを背景に強権的なものいいをする必要なないでしょう。
    主事: あたなは、私が<部落民>でないとなんで判断するのか?
    筆者: あなたが被差別部落や部落差別問題を語るときに使っている言葉から判断しています。
    主事: 私がどんな言葉で話をしているというのか?
    筆者: あなたが部落や部落差別についてかたるとき、左翼主義思想の用語や運動用語ばかりで話をしますので・・・。 私が山口の地で出会った被差別部落の人々の語る被差別民衆の言葉が全然出てこない。 あなたは左翼主義思想やその解放運動に興味はもっていても、被差別部落の民衆の声には関心がないのでは・・・?
    主事: 彼らは、どのような言葉を使っているというんだ?
    筆者: たとえば・・・(略)。
    主事: 日本基督教団部落解放センターは、部落解放運動と連携しながらやってる。 被差別民衆の用語ではなく部落解放運動の用語で語っても不思議ではない。あたりまえの話だ。
    筆者: 原稿を没収・破棄する前に、私に返却することは考えなかったのですか?
    主事: 教団の部落解放センターと運動の方向性が違う動きで書かれた文章は<差別文書>とみなしてすべからく没収・破棄する・・・。 繰り返していうが、吉田牧師は、即刻、部落差別問題と取り組むのはやめろ。 日本基督教団の他の牧師には、部落差別問題と取り組めというが、吉田牧師には言わない。即刻、部落差別問題と取り組むのをやめろ。 それでもやめないというなら、日本基督教団の部落差別問題とは関係のないところでやれ!  あなたの取り組みはなかったことにする!  

    1996年・・・、日本基督教団部落解放センター、西中国教区の部落差別問題との取り組み、京都教区の部落解放夏期研修会から完全に排除・疎外された年になりました。 今年になって史資料を整理していたとき、縮小印刷された『部落差別から自分を問う』を見つけましたので、GoogleのBlogger上で『ある部落差別問題に関するレポート』と題してパソコンのキーボードから入力しなおしていますが、なぜ、教団部落解放センター角樋平一主事や西中国教区部落差別問題特別委員会委員長東岡山治牧師から、<
吉田牧師は即刻、部落差別問題と取り組むのはやめろ。 日本基督教団の他の牧師には、部落差別問題と取り組めというが、吉田牧師には言わない。即刻、部落差別問題と取り組むのをやめろ。 それでもやめないというなら、日本基督教団の部落差別問題とは関係のないところでやれ。>と切り捨てられることになったのか、再検証したいと思って、インターネット上で公開することにしました。

    2005年、インターネットのブログ上で『部落学序説』を執筆することになった背景にある、日本基督教団の一牧師の私の部落差別問題や被差別部落とのかかわりははこの、GoogleのBlogger上の『ある部落差別問題に関するレポート』(『部落差別から自分を問う』)で知ることができます。 

    (注)『部落差別から自分を問う』に出てくる山口の被差別部落や被差別部落の住人の名前は実名です。 執筆当時、『部落差別から自分を問う』が私の観念的な文章ではなく、山口の地での実践結果のレポートなので実名で記載しました。しかし、今回、Blogger上で『ある部落差別問題に関するレポート』と題して再掲するとき、被差別部落の地名・人名はA/B/C・・などのアルファベットの記号に置き換えることにしました。

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