2023/09/04

今朝、『部落差別から自分を問う』の転記作業を終える・・・

    1996年に日本基督教団部落解放センターによって没収・廃棄処分にされた『部落差別から自分を問う』という原稿用紙300枚(新書1冊分)のレポートを<Blogger上の『ある部落差別問題に関するレポート』に移植する作業をしていましたが、今朝全111ページの転記を終えました。

    最後の文章は、

   <1995年のクリスマス・イブ、山口のちいさな教会に赴任してはじめての、ホワイト・クリスマスでした。 夜の冬の空に雪がちらつき、積りはじめていました。 小さな、ちいさな教会の中で、教会員と被差別部落の人々が集まって共に礼拝を守りました。 その時、松本治一郎の母親と同じ名前のおんなの子(書記長ご夫婦の娘さん)が、イブ礼拝に参加したひとりひとりのキャンドルに点火していきました。 一年一年、成長していくこどもたちが、被差別部落の新しい時代を築くことができるよう、そして、私たちの教会も、それと共に新しい時代を生きることができるよう、主イエス・キリストに願わざるを得ませんでした。

    『部落差別から自分を問う』を読んだ部落解放センター(当時の主事は角樋平一牧師)は、私に原稿を提出させ、その後、

    (1) 原稿を没収・廃棄処分にしたこと、
    (2) 吉田牧師の部落差別問題との取り組みは無かったことにするにする
    (3) 吉田牧師は即刻部落差別問題との取り組みをやめること
    (4) それでも部落差別問題と取り組むなら教団とは関係のないところでやれと

を通告してきました。 また当時の西中国教区部落差別問題特別委員会委員長(元日本基督教団部落差別問題特別委員会委員長)の東岡山治牧師は、

    (1) 西中国教区の教会の牧師・信徒は<解同>と行動を共にする吉田牧師を西中国教区の部落差別問題の取り組みから排除するなら協力してもいいとの声が多く、吉田牧師を切り捨てることにした
    (2) 吉田牧師を切り捨てた結果、<解同>の嫌いな多くの牧師・信徒が協力してくれるようになりカンパの額も増えた。 吉田牧師を切り捨てたことは正解であった。

    京都教区からは、

    (1) 被差別部落出身でない差別者の吉田牧師の部落差別問題との取り組みは評価するに値しない
    (2) 吉田牧師が部落差別問題に関して、出版して1銭でも収入を得たときは差別者として糾弾する

と、言い渡されました。 それ以来、私は、日本基督教団の部落解放センターや西中国教区・京都教区の部落差別問題との取り組みから排除・疎外され、私も<解同>ともうまくやっていこうとする取り組みから全面的に撤退することにしました。検証と論証を放棄して、言論弾圧を持って報いる日本基督教団部落解放センターの取り組みに一挙に関心を喪失してしまいました。

    1988年の西中国教区の部落解放セミナーにおける私の発題『討議資料の欺瞞性を撃つ 賀川豊彦は差別者か』が、キリスト新聞社発行の『資料集『賀川豊彦全集』と部落差別』に掲載されたことで、西中国だけでなく全国の教区の教会・牧師・信徒からの排除・疎外が確定され、西中国教区教区の山口の小さな教会で<捕囚>の日々を過ごすことになりました。 農村伝道神学校の校長は、<吉田牧師は一度も自殺をしたいと思うほどの経験をしたことがない。 それは、牧師を続けるうえでよろしくない。 西中国教区で吉田牧師が自殺をしたいと思うほど追い詰めてやってほしい。 それが結果的には吉田牧師のためになる>と、西中国教区の主な牧師たちにすすめたことで、私は言語に絶するような経験をさせられることになりました。 誹謗中傷・罵詈雑言は序の口で、聖書の信仰とは真逆の世界に直面させられました。 多くのひとは、私を<阿佐ヶ谷東教会で神学生時代を過ごしたラディカルな牧師>と評していました。 <大学紛争・大学闘争>のときに、東京神学大学学長を排除した阿佐ヶ谷東教会の権化であるかのように・・・。 東京神学大学卒の牧師たちから徹底的な排除・疎外にさらされることになりました。 <社会派>と<福音派>とを問わず・・・。 孤立無援の私の<バビロン捕囚>の日々は、宗教法人解散で幕が閉じられました。 退職金を放棄し、宗教法人の基本財産を包括団体である日本基督教団に寄付をして・・・。

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