今日も体調がすぐれず、棚田の田には、昨日農業用水路からの取水を止めていたので、取水を再開するためにでかけただけです。
ついでに、少しでも田のヒエを刈り取ろうと思ったのですが、棚田の田は無風状態で湿度が高く、短時間しかヒエをとりのぞくことができそうにないのでヒエ取りを断念して帰ってきました。
少しく仮眠をとったあと、かって、部落解放同盟によって差別文書として廃刊に追い込まれた賀川豊彦著『貧民心理の研究』(初版本、大正14年)を読み始めました。 この『貧民心理の研究』は、『賀川豊彦全集第8巻』(昭和37年)に賀川豊彦研究の史資料として収録されていたのですが、部落解放同盟の糾弾によって廃刊に追い込まれたもので、ほとんどの人はこの本を読むことができなくなっていました。
私が、西中国教区部落差別問題特別委員会で、<『賀川豊彦と現代教会』問題に関する討議資料(教会・教区での討議のために)>(第1部・第2部)を読んで発題するように要求され、観音町教会の蔵書である『賀川豊彦全集』(1981年第1版第3刷) を借りて全巻を通読したとき、第3刷は、『賀川豊彦全集第8巻』が廃刊にされたあとであったので、読むことはできませんでした。 原文を読まないで原文に内在する賀川豊彦の差別性を指摘しろという難題に困惑しながらも、第8巻をのぞく『賀川豊彦全集』を全巻読むことにしました。 その結果が、私の発題「討議資料の欺瞞性を撃つ 賀川豊彦は差別者か」でした。 <討議資料の欺瞞性を撃つ>という、日本基督教団の賀川問題の取り組みを否定するような表題をつけたのは、私の中に賀川豊彦に対する尊敬の念が存在していたためです。 しかし、私の発題は、賀川豊彦の差別性を指摘する側からも賀川豊彦を尊敬している側からも、両側から批判されることになりました。 そのとき私は、賀川豊彦の差別性を指摘する側もそうでない側も、『賀川豊彦全集』を読んだことがあるのだろうかと疑念の思いを持ちました。
<問題は、その〇〇についての知り方にある。 その知り方が、永年社会に培われてきた偏見と予断によって〇〇を歪曲化し、その実像をゆがめた形で行われてきたところに実に間違いがあるわけである。 人は偏見によって〇〇の虚像をふくらましている。しかもその虚像は美しい形ではなくして、必ず悪しき形として人々の意識にとらえられる・・・>(雑誌『世界』)。
この文章は、原田伴彦の文章の1節ですが、〇〇には<部落>という言葉が入ります。 しかし、この〇〇に<賀川豊彦>あるいは<賀川豊彦の差別性>という言葉を入れても意味が通じます。 つまり、賀川豊彦の差別性を指摘する側も賀川豊彦のそれを否定する側も同じ論理・同じ論法を駆使しているのです。
私の発題に「討議資料の欺瞞性を撃つ 賀川豊彦は差別者か」という題をつけたのは、賀川豊彦の<虚像>ではなく<実像>を明らかにしたいと思ったからです。 <実像>を知りたいという思いが、<賀川豊彦の差別性>という言葉の中に、賀川豊彦の<個人的差別意識>と<社会的差別意識>の両側面があり、<賀川豊彦の差別性>は、討議資料が賀川豊彦の<個人的差別意識>に集中して批判しているのに比して、私は、賀川豊彦の<社会的差別意識>をとりあげたのです。 <賀川豊彦の差別性>は、賀川豊彦とその時代精神だけでなく、今日的なキリスト者とその思想の中にも内在していると指摘したのですが、それを評価してくださったのは、『賀川豊彦全集』の出版元であるキリスト新聞社であったのは、想定外の結果でした。
2023/09/05
賀川豊彦著『貧民心理の研究』(初版本)を読み始める・・・
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