申命記の通読を終えて、妻は涙を流していました.
モーセの死の記事を読んで,とても悲しくなったのだとか・・・.妻はまだ涙を流すことがありますが,私には流す涙はほとんどありません.どのような事態に遭遇しても,その事態を悲しんだり絶望したりする前に、状況を分析して、どうすればそのような事態を解消し克服することができるか,考え始めるからです.
悲しんだり苦しんだりする前に,置かれた現実を認識・分析して,なんらかの行動を移す,私の性格は,ものごころついたときからのものです.生まれたときからからだが弱く,生まれて8ヶ月後に手術を受けました.そして,2回目の手術を受ける前に,姉が,父の商売敵の業者に販売先と販売単価を教えたために、父は一挙に得意先を失い,倒産に追い込まれてしまいました.その後、父は, 失意と病気と貧困の悪循環に陥り、私は、2回目の手術を受けることができませんでした.パウロではありませんが,肉体のトゲを抱えて生きることになりました.常に,自分の痛みとの戦いがありました.母は, "親に経済力が無くて、あなたの2回目の手術を受けさせてあげれなくて・・・. でも, あなたは私の子, あなたは体が弱くても, 頭がいいのですから, 頭を使って自分の弱さを克服しなさい" と繰り返し語りかけていました.
小学生の間, 私は毎日涙を流していました. 中学1年生になっても・・・. しかし, 父から譲り受けた新約聖書を読んでいますと, いつの頃からか, 主イエス・キリストを神の子として信じるようになっていました. そして, 流す涙が尽きて, 私は涙を流すことはなくなりました. 高校1年生の時に読んだ旧約聖書には, "わたしの涙を主なる神さまの革袋に蓄えてください" という言葉に接して, ますます, 涙を流すことも, 悲しんだり, 苦しんだり, 絶望したりすることはなくなりました. 中学生, 高校生のときに, 自殺を考えたことがありますが、いつも, "主なる神さまは, 私を自殺においやるために, 私に命と人生を与えられるようなお方ではない!" と思い, "神さま, 私を導いてください" と祈りつづけました. いつ振り返っても, 私の歩いてきた人生の道は, 切りだった山の尾根を歩くような生き方でした. しかし, 主なる神さまは, 私を支えて下さり、私は, 左にも右にも偏って転落することはありませんでした. 聖書のみことばに従って, 狭き道を歩き続けることができたのです.
主なる神さまが与えてくださった同信の妻と共に・・・.
2024/04/13
申命記の通読を終えて涙を流す妻・・・
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