2022/11/07

まったく、学校教師ときたら・・・!

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通読しました。通読したのは、数10ページ程度なのですが、いろいろ考えさせられる内容でした。

夜、疲れた頭で読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』、ほんとうに正しく読み取ったのかどうか自信がありませんでしたので、朝、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、昨日読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の箇所を読みなおしてみました。やはり、誤判読した個所が数か所ありました。大切なことは、朝、読むべきですね、夜、ではなく・・・。

<まったく、学校教師ときたら!
・・・教えたがるくせに、自分ではそのとおりにはできないときている。>

この<学校教師>とは、だれのこと・・・? 指導はできるけれど、自分では実践できない。差別してはいけないと生徒に教えるけれども、教師自身は、臆面もなく差別している・・・?教師の中には、<盗むな!>と生徒に教えるけれども、堂々と、完全犯罪をたくらんで、自分が勤務している中学校の公金を横領する教師もいる・・・。指導はできるけれど、自分では実践できない、典型的な例・・・。中学生のとき、筆者が経験させられた出来事ですが、その当時、よく耳にしたのが、<学校教師という仕事は聖職ではなく、労働者である>という教師論・・・。聖職者には許されなくても労働者としての教師には許される・・・。

ヤスパースが上記の言葉を語るとき、ヤスパースは、自分自身に対する戒めとして、<学校教師のようになるな!>と自らに問いかけていると思われます。それでは、宗教教師の場合はどうなのか?

<まったく、宗教教師ときたら!
・・・教えたがるくせに、自分ではそのとおりにできないときている。>

そう読み替えても通用しそうなところがこわい・・・。


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