夜、『観聖寺文書』を読んで、Word2019 で活字にした文書の整理をしていました。
これまでに、判読した『観聖寺文書』は、9文書・・・。とりあえず、古文書の崩し字を活字にする作業を続けることになりますが、縦書き2段組みにして、上段に原文の写真を掲載、下段に、筆者が判読したものを記入していきます。
ある程度まとまると、小冊子にします。『観聖寺文書』を公開するかどうかは、観聖寺の跡地に住み、その宗教遺産を継承しておられる、長野の吉田さんが判断されることになりますので、筆者は、ひたすら、『観聖寺文書』の崩し字を判読する作業を続けるのみ・・・。このような形で、筆者の先祖の、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の足跡をたどることが許されたことは、筆者にとってはとても幸いなことです。明治政府の神仏分離の宗教政策によって、廃寺に追い込まれた伊勢神宮の神宮寺であった伊勢の世義寺の末寺であった信州栗田村の観聖寺も廃寺に追い込まれてしまいましたが、そのあたりの経過を物語る古文書も含まれていますので、先祖の歴史を興味をもって調べることができます。
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