2023/04/11

一般説・通説に収まりきらない古文書・・・

筆者の祖父・吉田永學の先祖は、寛永14年(1637)に開山された、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧・・・。

今、観聖寺の跡地に住み、その宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんのご好意で、『観聖寺文書』の一部を読むことを許され、判読した古文書を、Windows2019に入力する作業をしていますが、修験道に関する一般説・通説(『長野県史』資料などの概説的見解)と、『観聖寺文書』の記載内容との間に、大きなギャップが存在していることに気付かされます。歴史研究における一般説・通説は、歴史が内在している<複雑性>を特定の視点・視角・視座から<縮減>したもので、そこには、<縮減>してはならないものを<縮減>して、歴史の事実・真実が隠蔽されてしまっている可能性を内包しています。

例えば、明治に入って、それまで、真言宗当山派の信州水内郡の触頭であった観聖寺の修験僧、筆者の曽祖父は、それまでの触下20ヵ院に加えて、天台宗本山派の60ヵ院を触下に加えさせられたという記録を前に、その時代の天台宗本山派の文献を集めて確認したのですが、その時代の記録は一切触れられず黙殺されているようです。なにか、触れたくないような出来事・状況が存在していたようです。

一般説・通説を知ったことで、歴史研究をした気分になり、その<伝承者>になることで満足できる学者・研究者・教育者は、みずからの先祖の歴史を歴史的研究法を駆使して調査・解明することはないのでしょうね。日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、旧長州藩領地(徳山藩・岩国藩の枝藩を含む)の<穢多>役、<非人>役の末裔の方を尋ね、また、浄土真宗の<穢寺>(穢多寺・茶筅寺)を尋ね、古文書を見せてもらったりして、直接、被差別部落の歴史と伝承に触れさせてもらったことがりますが、そのときも、一般説・通説に依拠するだけでは、彼らの歴史の真実にたどりつくことはできないと思わされました。

左翼主義のイデオロギー的歴史観を強引に被差別部落の歴史に押し付けることでは、部落差別完全解消の道筋をつくることは難しく、被差別部落の当事者が、自ら、実証主義的に、被差別部落に伝えられた古文書を読解し、歴史の真実にせまる以外に、そして、左翼主義思想の部落解放理論から自らを解放しない限り、部落差別完全解消の道のりは遠い、と思わされました。

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