2023/09/04

『田舎牧師の日記』の部落関連記事はBlogger上に『部落学夜話』と題して転載することに・・・

    『田舎牧師の日記』の部落関連記事は、Blogger上に『部落学夜話』と題して転載することにしました。

    こちらは、テキストファイルとして保存していますので、再タイピングする必要はありません。 『部落学序説』の内容に対する批判・コメントは多種多様なので、反対・賛成、肯定・否定にかかわらず、全体像を把握することができるように再掲する予定です。

    Bloggerの『部落学序説(データベース)』にこのような文章が掲載されていました。

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今回の主題は、筆者にとって、非常に書きづらい主題です。

    というのは、筆者が、所属している日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員をしていたとき、ある人物の全集を読んで、その差別性を指摘したことがあります。

    1988年度の西中国教区の部落解放セミナーで原稿なしで発題、その内容をあとで、自分で文章化したのですが、その文章は、3年後、『資料集『賀川豊彦全集』と部落差別』に収録されることになりました。

    その文章は、筆者が、西中国教区・部落差別問題特別委員会の委員をしていたときに書いた、最初で最後の短い論文ですが、この論文で書いた内容をめぐって、筆者は、西中国教区、特に、山口東分区の教職・信徒の方々から激しい抗議と「批難」を受けることになります。

    当時、山口東分区の分区長をしていた、T教会・K牧師の筆者に対する「批難」は代表的なものです。 K牧師は、筆者をこのように「批難」するのです。

    人間は、歴史的な存在だ。 日本基督教団の戦前・戦後を通じての偉大な指導者である賀川豊彦は、その歴史の中で日本の福音宣教のために大きな働きをした。 しかし、おまえは、現代的な視点から、賀川豊彦を批判する。傲慢の極みだ。 そういうことができるのは、おまえの人間性がおかしいからだ。 賀川豊彦を批判することは、教団・教区だけでなく、キリスト教界を批判することになる。 学者でもないのに学者ぶった話をするな、即刻、賀川豊彦批判をやめろ。

    筆者は、『賀川豊彦全集』(全24巻)を通読して、賀川豊彦のことばを要約してみせただけなのですが、分区長・K牧師の「激怒」は、筆者にとっては異常と思えるものでした。過去の人物の全集を読んでまとめる作業をしただけの筆者に、どうして、そんなに異常反応を起こすのか・・・、筆者はそのとき解せないでいました。

    それ以前にも、西中国教区部落差別問題特別委員会の宗像基委員長に、「具体的に部落差別問題に取り組め」といわれて、ある出会いをきっかけに、部落解放同盟新南陽支部の学習会や対市交渉、糾弾会に陪席させてもらうようになったときも、分区長・K牧師は、「激怒」して、筆者を徹底的に「批難」してきました。

    「人の嫌がる差別問題に首を突っ込むのは、おまえの人格に欠陥がある証拠だ」、「おまえの発想は解同と同じだ。人が避けて通る問題に、あえてかかわろうとするのは、おまえの人格に欠陥がある証拠だ」と、牧師会で罵声を浴びせられたこともあります。

    あるとき彼は筆者にこのように語りました。「分区として、おまえに部落差別問題特別委員会の委員に推薦したのは、おまえに委員をまかせておけば、何もしないし、何もできないだろうと思ったからだ。それなのに、なぜ、解同と一緒に行動しているのだ」。>

    無学歴・無資格 (Academic Outsider) で部落問題・部落史研究の門外漢である私を、設置されたばかりの西中国教区部落差別問題特別委員会委員に<推薦>したのは、当時の分区長・K牧師の人選ミスだったのでしょう。 <山口では、日本共産党と行動を共にしていないと宣教活動はできない>と主張する牧師が少なくありません。 あるとき、神奈川教区の牧師がわざわざ山口まで来て、<吉田牧師は日本共産党からも浮いていると聞かされている。 山口では、日本共産党と行動をともにしていないと宣教活動ができない・・・>と話していましたが、<解同>、<解同>と口角泡を飛ばして語る牧師のなんと多かったことか・・・。 赴任した年の正月、先輩牧師から<ついてこい>と電話がありました。 <どこに行かれるのですか?>と尋ねますと、<ついてくればわかる>といいます。 先輩牧師に連れて行かれた場所は。日本共産党下松支部の旗開き・・・。 非政治的で哲学好きの私は、彼らから徹底的に排除・疎外されることになりました。 <ラディカルな牧師>とラベリングされて・・・。

    西中国教区部落差別問題特別委員会の委員長であった東岡山治牧師は、<西中国教区の牧師・信徒は、吉田牧師を教区の部落差別問題との取り組みから切り捨てるならあなたに協力してもいいという人が多いので、吉田牧師を切り捨てることにした>と私に直接語りかけてきたことがありますが、それからしばらくして、東岡山治牧師から、<吉田牧師が切り捨てたことで、西中国教区の多くの牧師が協力してくれるようになった。 吉田牧師を切り捨てたことはよかった・・・>と話していましたが、東岡牧師は、<部落解放同盟>を<解放同盟>と呼ぶ私を切り捨て、<部落解放同盟>を<解同>と呼ぶ西中国教区の牧師・信徒と部落差別問題の取り組みをはじめられました。 日本基督教団部落解放センターと共に、私の部落差別問題との取り組みに関するレポート『部落差別から自分を問う』という原稿用紙300枚の論文を没収・廃棄処分にし、言論弾圧をしたことで、教団部落解放センターと元日本基督公団部落差別問題特別委員会委員長の東岡山治牧師とは完全に交流が絶たれてしまいました。

    <寝た子を起こすな>という彼らの主張は、<いつまでも寝た子どもでいたい>、<寝た子を起こすいかなる行為も差別である>ということを意味していました

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