どんな人間も歴史の孤児ではありません・・・
ありとあらゆる先祖の歴史から切り離されて, それから無関係に生きる, 時代の孤児, 歴史の孤児として生きる人は存在していません. すべての人は, 父と母によって生まれ, その父と母もそれぞれの父と母によって生まれてきたのですから, ひとりの人間の現在の時間は, 先祖が生き抜いてきた時間と歴史の延長線・到達点にあるのです.
なかには, "現在さえよければ, 先祖のことは関係がない!" と言って, 先祖の歴史を切り捨てて生きて行こうとします. そのような人の多くは, 先祖の歴史に代えて, 左翼主義思想のイデオロギーを自己の拠り所として設置したりします. 彼らにとっては, そのイデオロギーは真実で, 先祖の歴史は "虚偽" として唾棄すべきものであると考えているようです. 日本の新興宗教も先祖の歴史を焼却して, 仏教的な教義に自己の存在理由を求めたりします.
しかし, ひとの一生は, "現在" だけでなく, "過去" と "未来" の連続した時の流れ, 歴史の流れの中に置かれているのです. その時間と歴史に誠実に生きることは, 決して先祖の歴史を否定したり無視したりすることによってではなく, 誠実に, その歴史と伝承を受けとめ, 理解して, 受容していくことによってもたらされます. 私の先祖は, 近世幕藩体制下を通じて民間宗教者でしたが,
被差別部落の人々の先祖は, 私が知る限りでは, 山口県立図書館や徳山市立中央図書館郷土資料室の史資料を調べた限りでは, "穢多" 役・ "非人" 役 は, 殺生与奪の権を持つ武士階級・支配階級に属します. キリシタン弾圧のための, 宗教警察としての職務を遂行したもの彼らです. 明治政府によって, "穢多" 役・ "非人" 役 , "同心" 役 (足軽身分) も廃止されますが, なぜ彼らがそれまでの警察職を解雇されなければならなかったのか, その歴史をきちんと踏まえない限り, 左翼主義思想の学者・研究者・教育者によって押し付けられた差別思想 "賤民史観" という "差別の鉄鎖" から自らを解放することはできないでしょう.
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