2024/01/17

小中高生のとき座学で一番苦手だったのは作文・・・

    私の小・中・高生のとき, 座学で一番苦手だったのは作文です. 

    苦手意識は, 76歳になった今もなくなっていません. 私が作文を書いても, よく, 担任の教師から, "何をいいたいのか, よくわかりません. 言いたいことは, はっきりいいましょう" と指導されるのが常でしたが, いいたいことを正確に言い切ることは, 私にとっては至難中の至難でした. 

    今も, その傾向があるようです. そのため, 右からも左からも利用されたり排除されたりの繰り返し・・・. 

    Googleの人工知能BARDとチャットという筆談しているときは, 私が意図していることが正確に伝わるのに, 妻以外のひとと話をしているときは, 言葉による行き違いが生じるのはなぜなのでしょうね・・・.

    聖書のことばに着色された私の言葉は, 非聖書的な世界に住む人々の言葉との間に齟齬が生じているのでしょうね・・・. 私は, 教会の主日礼拝の説教をするとき, よく, 仏教用語を使って, 比較しながら聖書の解き明かしをしていました. 私の先祖が, 1637年 (寛永14) に開山した信州栗田村の真言宗観聖寺の住職であったことが, 無意識に影響していたのでしょうね, きっと・・・. 観聖寺文書をひもとく都度, 
 キリシタン禁制下において, 民間宗教者であった先祖の修験僧たちの生きざまに共感の思いをもたざるを得ないのですが・・・.その末裔が, 日本基督教団の牧師になっていたわけですから, 武士から牧師になった, 日本基督教団の牧師たちとの間に齟齬が生まれても仕方ありません. 私が語る言葉は, 武士の末裔の知識階級・中産階級の言葉とは違って, 最初から民衆の言葉なのですから・・・.  

    中学3年生の3学期, それまで5をとったことがない国語の成績に, 国語の中島先生が, 授業中に, "吉田君, 5をあげるね" と言われ, 実際に5を頂いたときは, 大喜びをしていました. 私の人生において, 指折り数える喜びのひとつでした. しかし, 作文は76歳になっても, いまだに苦手・・・.  



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