今朝, 妻と私のふたりで信州へドライブする夢を見ました.
妻のくるまYarisでドライブすることができる, また, ドライブする可能性のある最も遠い地は信州です. 私の祖父・吉田永學, 曾祖父・吉田向學 (向學は隠退後の名前で修験僧の名前は別・・・), 信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の家系ですので, "信州" に抱くイメージは, 幾重にも重層しています.
世の人が, 先祖の歴史を紐解くのは, その先祖の歴史が, 現代社会を生きるその人を価値づけ, ある種の名誉を与えるからです. 先祖の過去の遺産を否定する人々は, 自分の現存在だけに価値を見出し, 現在がよければ、先祖の歴史を振り返る必要はない・・・, と主張します. 人間の価値は, 先祖とは無関係に, 現在の自分の生き方によって決まると.
岡山に住んでいる私の弟も, 同じように考えます. "祖父の吉田永學が寺の住職であったとしても, 自分にとってはなにの関係もない" と言って, 私が, 吉田永學とその先祖について調べたことは一切知る必要ないと言います.
日本基督教団の隠退牧師である私にとって, 祖父・吉田永學の先祖の歴史, 江戸時代の民間宗教の担い手であり, キリシタン弾圧下にあって, キリスト教会の牧師のような活動をしていた真言宗観聖寺とその住職・修験僧の生き方は, 直接私に影響してくる事柄ではありませんが, ”信州栗田村古文書集成” や長野市立公文書管や長野県立図書館の, 真言宗観聖寺関連の記録や, 現在, 真言宗観聖寺の跡地に住みその宗教遺産を継承しておられる吉田さんから見ることを許された ”観聖寺文書” を読むにつけ、先祖の住職・修験僧は, 尊敬すべき存在であったと思うようになりました. 先祖の歴史を調べることは, 現在の自分を価値づける, 経済的・社会的評価を高めることには直結することはありませんが, 時代の "身無し子" としてではなく, 時代の "申し子" として生きる, 大地に根を張った生き方をすることができます. 現在の自分の置かれた状況だけに固着するのではなく, 過去・現在・未来を通じた歴史的存在としての生き方をまっとうすることができます。現在は, 過去と未来にはさまれた一時点でしかありません. 現在は, 過去から想定することができなかった未来へと通じているのです. 失意と挫折の現在に拘泥することなく, 希望をもって未来へ歩み出すことができるのです. それがたとえ高齢者であったとしても・・・. 否, 高齢者なればこそ・・・.
2024/01/22
今朝, 妻と私のふたりで信州へドライブする夢を見た・・・
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