2024/04/03

静岡県知事の "私の心も傷ついている" 発言・・・

    今日の記者会見で, 静岡県知事は, マスコミの "差別発言" 報道で, 誤解と曲解にさらされ, "私の心も傷ついている" と発言したようです. 

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 教区総会で, 西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられ, 4期8年, その委員をしていましたが, 代行主義に疑問を感じ, 部落差別問題特別委員会の5期目の委員を辞退しました. そのとき, 西中国教区の執行部は, 西中国教区が割り当てた委員を拒否した牧師には, 他の委員を指名することはないと, 西中国教区の宣教活動から排除・疎外されることが確定しました. 

    しかし, 私は, 4期8年の間に, 出会った, 山口県の被差別部落の古老からの聞き取り調査で知り得たことを, 山口県立中央図書館や徳山市立中央図書館郷土史料室で関連文献を漁り, 被差別部落の古老の語ることがらが真実, 歴史の事実であることを確認して行きました. 

    私は, 部落解放同盟新南陽支部の解放学級に参加するようになり, 時として, 小学校教師・中学校教師が同和教育の実践のなかで引き起こした差別事件の確認会・糾弾会にも参加させてもらいそのやりとりを傍聴する機会が与えられました. 解放同盟山口県連が主催する未指定地区調査にも同行を許されたことがあります. 

    その中で, 同和教育に関与する小学校教師・中学校教師の差別発言に対する確認会・糾弾会に参加して, 小学校教師・中学校教師が差別発言を指摘されてどう弁明するのか, 如実に "見学" させていただきました. "私は差別意識は持っていない", "誠意をもって同和教育をしてきた", "それなのにことばじりを捕まえて, 私を差別者であると糾弾する", "それは, 誤解・曲解であり, 私に対する不当な差別である", "私は, 差別事件の被害者である・・・", なんど, 同じ表現に接してきたことでしょう. そんな私の視点・視角・視座からしますと, 静岡県知事の, マスコミ・報道・静岡県民からの差別発言であると指摘を受けたときの対応・・・, 学者・研究者・教育者が差別発言・差別行為を指摘されたとき, "私は差別者ではない" と自己弁明し, 自分を "加害者" ではなく "被害者" の立場において逆切れをする・・・, そんな "差別教師" の対応とまったく同類のもの・・・

    静岡県知事, "
発言が「不適切だとは思っていなかった」との持論を繰り返し、撤回はしないとした" そうです. 静岡県知事の "差別発言" とその後の弁明は, 典型的な "論点無視の虚偽 the fallacy of ignoratio elenchi"の見本です. "大学教授" が自己過信に陥るとき, 往々にして招くことになる  "論点無視の虚偽 the fallacy of ignoratio elenchi" という落とし穴です. 

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