今朝読んだギリシャ語聖書の言葉の1節・・・. 文語訳聖書で引用します.
召を蒙れる汝らを見よ, 肉によれば賢き者おほからず, 能力ある者おほからず, 貴きもの多からず.・・・神は・・世の愚かなる者を選び・・・弱き者を選び・・・世の卑しきもの, 軽んぜられるる者,すなわち無きが如き者を選び給へり. これ神の前に人の誇る事なからん為なり. 汝らは神に頼りて基督・イエスに在り, 彼は神に立てられて汝らの智慧と義と聖と救贖とになり給ヘリ. これ "誇る者は主に頼りて誇るべし" と録されたる如くならん為なり.
現代の "教会" と "信仰" は, 使徒パウロの語る言葉に耳をかさず, たとえそれを読んでも理解しようとせず,"賢き者", "強き者", "有る者", "能力ある者", "貴き者" であることを誇り, 主イエス・キリストの救いを独占, 神の愛を独占しようとする・・・. しかし, 使徒パウロは語る・・・, "我らの受けし霊は世の霊にあらず, 神より出づる霊なり・・・我らはキリストの心を有てり".
中学生になったとき, はじめてクラス担任に導かれて図書室に入ったとき, 差し込んできた春の日差しの中で光り輝いている本がありました. 不思議に思ってそれを手にしたとき, それは新約聖書でした. その後, 父から新約聖書をもらいうけ,いつも学生服のポケットに聖書を忍ばせて, 休憩時間に読んでいました. そして, 溺れるペテロに手を差し伸べてすくい上げた聖書の箇所を読んでいるとき, "私の人生において試練にあったとき, 救いの手を差し伸べてくださるのはこのイエスさまかもしれない" と思いました.高校生になったとき, 旧約聖書や基督教関係の本を読み, 高校2年生の秋, 40日間, 放課後に, 高校の裏山の竜王山に登山,その頂上の岩場で座禅して, 人生をどうう生きるか, 瞑想しました. 晴れた日も,雨の日も,嵐の日も,くる日も来る日も登山して瞑想しました.40日目,とても美しい瀬戸内海の夕暮れに接しました. そのとき思い出した哲学者ニーチェの言葉, "この美しい夕暮れ時には, この世で最も貧しい漁師でさへ黄金の櫂で舟を漕ぐことになる" を思い出しました.そして, 私は聖書の神を私の神として生きることを決心して山を下りました.そのあと, 竜王山の登山道にある Sweden Covenant Mission の門を叩いたのです. 私を基督教信仰へと導いてくれたのは聖書そのものだったのです. 聖書主義・敬虔主義に裏打ちされた私の信仰は,教会主義・教派主義の信仰 (教派信仰・教派神学・神学校派閥・教会政治)とは無縁です.
2024/09/16
聖書の御言葉から離れた "教会" と "信仰"・・・
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