日本の社会から部落差別を解消するためには, 一般の国民が, 被差別部落の人々と "出会う" ことが大切です.
被差別部落の住人の数は, "三百万人" というお題目で唱えられるのが普通ですが, "三百万人" の被差別部落の人々がみな一様な存在であるとする説は, 最初から無理があります. "三百万人" の被差別部落の人々は,みんな一人の人格者として, その生と死を生きているのです.
日本基督教団の一牧師でしかない私が, 被差別部落出身でないにもかかわらず, "部落差別完全解消" のための提言として,"部落学序説" とその関連ブログ群の執筆をはじめることができた大きな要因は, 山口の地での被差別部落の人々との "出会い" にあります.
部落解放同盟新南陽支部の "学習会" に参加することを許され,その被差別部落のおじさん・おばさんから, 被差別部落に生まれ育って,どのような生き方をしてきたか, どのように差別とたたかってきたか,生の証言を聞くことができたこと, その証言についていろいろ質問し,その内容を理解することができるようになるまで対話をすることができた・・・, そんな出会いが, 私の, 被差別部落に対する "前理解" (哲学者やヤスパースはその "精神病理学原論" のなかで "先入見" と読んでいます:"哲学の勉強は消極的な価値を持っている. 批判哲学をよく考えてみる努力をしてきた人は誤った問題の出し方や余計な議論や妨害になる先入見に陥らずに済む") を打ち砕き, 被差別部落の歴史と伝承に真摯に立ち向かうことを可能にしてくれました.
これが, 日本基督教団の部落解放センターや各教区の部落差別問題特別委員会の取り組みのように, 左翼主義による部落解放運動と理論のイデオロギー的用語のみが被差別部落の人々を理解する唯一の用語であるとされる世界にあっては, とうていなしえなかった "出会い" です. どのような被差別部落の人とであうことになるか・・・, それは極めて大切なことです. 日本の社会の中に, 部落解放同盟新南陽支部の学習会のような, 誰でも参加できる場が提供されると, 部落差別問題の解消への道は一挙に開かれることになるでしょう.部落解放同盟新南陽支部の書記長をされていた福岡さん御夫婦による部落解放への真の熱意がもたらしたものです.
部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加されていたその被差別部落のおじさん・おばさんの "開かれたこころ" が, 日本基督教団の地方の小さな教会の一牧師である私に, "部落学序説" とその関連ブログ群の執筆を可能ならしめたのです.
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