2024/09/27

"部落学序説" 第7章同和教育批判の執筆のため史資料の整理・・・

    今日の午後, "部落学序説" 第7章同和教育批判の執筆のため史資料の整理をしていました.

    "同和教育" は, 一般的に学校同和教育と社会同和教育に分類されます. 学校同和教育と社会同和教育の関連性はあるのかないのか,あるとすればどういう関連性があるのか・・・.

    学校同和教育は, かっては,文部省の管轄下にありましたので, その指導内容は文部省が定めた枠内での取り組みになります. それから逸脱した内容を授業で指導することは原則としてはできないでしょう.その指導内容に服して, それにしたがって, 授業する限り, 文部省も教育委員会もその授業を担当した教師を擁護することでしょう.

    それでは, 社会同和教育は・・・?

    私は日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 西中国教区部落差別問題特別委員会の委員をさせられていましたが,委員会活動の内容として, 西中国教区の諸教会で, 部落差別問題についての研修会を開催して,西中国教区の諸教会の取り組みを前進させるための取り組みがありました.

    諸教会で研修会が行われるとき, ほとんどが委員長をしていた牧師が赴くのが常でしたが, 委員の一人である私にも, 講師依頼がありました. 西中国教区だけでなく, 九州教区でも講師をしたことがあります. 山口同和問題を考える宗教者連帯会議の研修会の講師をさせられたこともあります.

    つまり,社会同和教育と深くかかわらざるをえなかったのですが, 社会同和教育の師として私が仰いだのは, 山口県立文書館の北川健先生です. 彼の論文は, 部落解放同盟新南陽支部の書記長の方がそのコピーを提供してくださったので,ほとんど目を通しています.北川健先生はふところの広いお方で,私が, 宇部市の被差別部落で行われた研修会の講師を依頼されたとき, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) ではあるが,北川健先生の "弟子" として話をさせていただきました. のちに執筆することになる "部落学序説" の概略の紹介です. そのとき, 宇部の被差別部落の老若男女の方々が, "吉田さんが書いた論文を読んでみたい" と言われていたので, "何らかの形で文章化して,  みなさんが読めるようにしたい" と約束して帰りました.

    "部落学序説" を執筆する前に, 私は, 北川健先生の論文に出てくる山口の被差別部落,同和地区指定された被差別部落だけでなく未指定地区の被差別部落も, 自分の足で歩いて, その古老の方々から話をお聞きしました."日本基督教団の牧師しているけれど, 私は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)・・・ , 部落問題に関する本を読んだだけではよくわからないので, 徳山市立中央図書館の郷土資料室で, 山口の被差別部落の所在を調べて, 直接お会いしてってお話をお伺いしたいと思ってやってきました・・・" と自己紹介する私に,"No!" という人はだれもいませんでした.彼らから聞き取りした内容はすべて, 徳山市立中央図書館の郷土資料室や山口県立図書館の蔵書で確認,その証言はすべて真実であると確信しました. 浄土真宗の住職の方も,私の被差別部落訪問に協力してくださいました.
山口同和問題を考える宗教者連帯会議の集会で, "日本基督教団の牧師で, 部落差別問題に真剣に取り組んでいるひとがいる" と情報が流されていましたので・・・. 

    学校同和教育は直接関与したことがありませんが, 山口県立田布施農業高校大島分校や久賀高校,岩国高校,岩国総合高校,徳山高校で情報教育アドバイザーをしていたとき,同和教育担当教師の方々と, 同和問題について対話,"部落学序説"の執筆計画書を渡していろいろ指導を仰ぎました.

    インターネットでブログ "部落学序説"の執筆をはじめたとき,  なぜか, "藤田孝志&あひる" を名乗る岡山の中学校教師から, "無学歴・無資格 (Academic Outsider)をなのり, 自分を卑下する人は部落差別について語るべきではない" と強烈な批判を,私の目からみますと,誹謗中傷・罵詈雑言と思われるような "批判" を受けることになりました. 日本基督教団の隠退牧師になり, 山口から東北の福島に移転したあとも, "ネット上のストーカー" 紛いのふるまいをされているようです.

    
 "部落学序説" 第7章同和教育批判の執筆に際しては,岡山の中学校教師からの "雑音" は無視することになります. "フロイトは, 心の世界を,意識,前意識, 無意識に分けて" 論じますが, 意識を理解という言葉に置き換えれば,理解,前理解, 無理解 ということになります. 私のブログ "部落学序説" は, "序説" という題をつけていますが, それは, "概要"としての序説でも, "入門" としての "序説" でもなく, "プロレゴメナ" としての序説です.部落史の学者・研究者・教育者の "理解"・"無理解" の背後にある "前理解" を取り上げ, 分析・批判したもので,部落史の学者・研究者・教育者に, "藤田孝志&あひる"流の誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけているわけではありません.日本の学者・研究者・教育者は, 他者からその研究の "前理解"についてとりあげその問題点を批評されたことは無いのでしょう. 無学歴・無資格 (Academic Outsider)者は, 学歴・資格のある学者・研究者・教育者に黙って従えとの風潮に支配されている・・・.

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