2024/09/28

知力の限界・・・

    知力の限界・・・

    それを感じ始めたのは, 高校1年生のとき・・・.  中学3年の3学期, 私が尊敬し,その中学校教師のような教師になりたいと思っていた教師が, 公金横領詐欺事件で児島署に逮捕されたという報道が, ラジオから流れてきました.

    私は高校受験のための受験勉強しているとき, 休憩に新約聖書を読んでいるときでした. その聖書の箇所は, "あなたがたの多くは教師にならないほうがよい" 言葉が綴られた箇所・・・. そのとき受けた衝撃は, とても大きなものがありました. "中学校教師" という偶像と, その "中学校教師のようになりたい" と思っていた私の夢が大きく崩れていくのが分かりました.

    次の日, その中学校教師がクラス担任をしていた生徒が集められ,"動揺しないで高校受験に臨んでほしい. 彼は, ほんとうの教師ではない.ほんとうの教師である私たちの指導にしたがって, 高校受験にのぞんでほしい・・・" という訓示がなされました. 私は, "とかげのしっぽきり" だと思いました.とかげのしっぽはとかげではないのか・・・.とかげ本体の身を守るために, とかげの一部を切り離して,自らの体面を守っている・・・. 公金横領事件で警察に逮捕された教師に対してだけでなく, その事後処理をする中学校教師たちに深い失望を感じさせられました.

    高校に入ってから, 1年生のとき300冊, 2年生のとき200冊, 3年生のとき100冊の本を読みました. "人間とはなにか?", "教師とはなにか?", "人間はなぜ罪を犯すのか?", "人間にとって大切なのは真・善・美のどれなのか?", "お前は罪をおかさないという自信はあるのか", "人間は信頼しうるものなのか?"・・・, いろいろな問題が次から次へと湧いてきて,その問題解決のために,読書に読書を重ねました.高校2年生のとき,父からもらったお年玉で買った,人文書院版 "講座哲学大系" 全7巻を読んだり, 国立大学の哲学科受験のために, 波多野精一著 "西洋哲学史要" を丸暗記しようとしたりしました. 読書の内容が, 哲学書に傾斜していくなかで, 私の, Specialist 指向ではなく Generalist 的指向 が培われて行きました.

    私は,"美" の追求故に,完全犯罪をおかした教師と違って,"美" でも "善" でもなく, "真" を求めて生きることにしました. 高校2年生の3学期, 高校の近くにあった Sweden Covenant Missionの教会に通うようになり, 高校3年生の2学期, 12月5日に洗礼を受けました.高校3年の3学期のはじめ, 地方公務員をしていた父が脳梗塞で倒れ再起不能になりました. 大学進学の夢が破れていくなか,  クラスでただひとり,大学進学を断念し就職することになりました. 大阪市立中学校事務職員 (府費) 採用試験を受験して, 大阪市立瓜破中学校で研修を受け, そのあと, 大阪市立十三中学校に配属されました. 中学校勤務中に, 中学校教師のさまざまな現実をまのあたりにして, 中学校教師は, "聖職" などではなく, 法に違背して罪を犯したり,不道徳な行為をしたり,教育より日教組の組合活動に生きがいを燃やす現実の教師の姿をまのあたりにして, 崩れた偶像はそのままにしておくことにしました.

    戦争中は, 教え子を戦場へと駆り立て行った教師たち・・・, 戦後は, 教え子を同和問題へと駆り立てて行った教師たち・・・,学校教師の本質は, 何も変っていない・・・,時代の要請にしたがって,  教え子を思いのままに操っていく・・・, 中学校教師の中には, そんな教師も多くいる・・・, しかし, 真実を追求し,真実を生きている中学校教師も少なくない・・・. 教師を偶像化することなく, 真実を追求していく人になろう・・・,そんな思いをもって, それからのちも, そして76歳になる今日まで生きて行くことになりました.

    

0 件のコメント:

コメントを投稿

朝, "自治制発布五十周年記念論文集" の表紙を付け替え・・・

     朝, "自治制発布五十周年記念論文集" の表紙を付け替えました.     昭和13年に出版されたその本は, インターネットの日本の古本屋経由で入手した時点で,ボロボロ・・・,ページをめくるとその部分が破れてちぎれそうな感じでしたので,読むときは注意し...