2022/12/31
2006~2022年の大晦日・・・
黒猫黒兵衛の主食の生アジも十分な量を確保できましたので、今日は、どこへも外出しないで、家でのんびり、くつろいだときを過ごしていました。黒兵衛も、石油ストーブをたいている居間のソアーの上で丸まっていました。筆者は作業着のほころびを針と糸で修復したり、テレビのドキュメンタリー映画を見たり、Hannah Arendt 著『Men in Dark Times』を読んだりしていました。妻は、おせち料理つくり・・・。
テレビで、<同居する世帯全体の平均年収は2020年の推計で、母子家庭は373万円、父子家庭は606万円でした。これは子どものいる世帯全体の平均年収のおよそ814万円と比べて、母子家庭は半分以下、父子家庭は4分の3程度の水準にとどまっています。>と報道されていましたが、インターネットで検索すると、世帯主の平均年齢68.4歳の高齢勤労者世帯で477万円、同72.3歳の高齢無職世帯は240万・・・。数字だけみていると、だんだん、暗い気持ちになてきます。数字に依存しないで、これまでと同じように<清貧生活>をまっとうする気になれば、老後も安定した日々を過ごすことができます。
日本基督教団の牧師をしていた32年間の<清貧生活>、隠退牧師になってからの10年間も同じ<清貧生活>を続けていますが、<清貧生活>を続ける限り、筆者と妻の老後の暮らしは安定していくと思われます。健康管理と自給用に有機/無農薬で米と野菜、果実を栽培し続けて行く限り・・・。
午後、隣村のコイン精米所ではえぬきを精米・・・
午後、妻に言われて、隣村のコイン精米所で、標高550mの湖南高原の、妻の実家の棚田の田で有機・無農薬栽培した<はえぬき>を精米しにでかけました。
大晦日とあって、くるまはほとんど走っていない閑散とした福良の町を走って、そのコイン精米所で精米しました。
2013年4月に、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して、コメつくりをはじめましたが、湖南農協は、組合員ではないものに種もみは販売できないとして、湖南農協からあきたこまちの種もみを入手することができませんでした。それで、京都の<のうけん>から、コシヒカリ・はえぬき・ひめのもちの種もみを取り寄せ、それで、有機・無農薬米を栽培してきました。湖南のプロの農家の方々は、<ここらのもんは、よそもんのおめえらにコメつくりは教えねえことになってんだ!>と筆者と妻に語り掛けてきましたが、それで、筆者と妻は、湖南のプロの農家が栽培していないコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培することにしました。山形の米沢にドライブしたとき、山形産のおこめが美味しいとわかりましたので・・・。湖南の赤津村のプロの農家、<ここらでは、コシヒカリやはえぬきは採れねえ!>と話していましたが、はえぬきは、<あきたこまち>と<庄内29号>をかけあわせてつくられたもの・・・。いわば、<あきたこまち>ファミリー・・・。<はえぬきがつくれたら、あきたこまちはつくれる・・・>と思って、ずっと<はえぬき>を作り続けています。
インターネットで検索しますと、はえぬきについてこんな紹介がありました。<お米のはえぬきは、山形県庄内平野にある山形県農業試験場庄内支場というところで、1992(平成4)年に開発された品種です。米どころ山形県で生まれ育ったオリジナルの米、まさに生え抜きの米が大きく飛躍し続けることを願って名前をつけられました。お米の粒がしっかりしてふっくらとたきあがり、冷めても味が落ちにくいため、業務用のお弁当やおにぎりにも広く使用されています・・・>。
大晦日の夕ご飯は、新米の<はえぬき>・・・。とても、美味しい・・・。<はえぬき>は、<コシヒカリ>とおなじようにねばりがあって、かめばかむほど甘みが出てきます。妻は、<あきたこまちの娘のはえぬきが採れるのですから、あきたこまちを栽培する必要はありません>と、いまだに頑として、あきたこまちの有機・無農薬栽培を拒否しています。筆者と妻の<はえぬき>は、素人百姓の筆者と妻の、いわばシンボルです。
農園主の妻の方針転換・・・
吉田農園の農園主の妻、2022年末に、一大決心をしたようです。それは、これまで、新米を食べないで古米を食べ続けてきましたが、それは、素人百姓の筆者と妻、コメが収穫できないときのことを考えて、玄米保冷庫に保管している古米から食べることにしていました。しかし、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して10年、これまでの経験から、妻のふるさと・湖南の赤津村の、標高550mの湖南高原の棚田の田でも、有機・無農薬栽培で、コシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培・収穫できることがわかったからです。
これからは、発想を転換して、新米を食べることに・・・。もし、飢饉のときは、玄米保冷庫に保管している古米を食べることにしました。
昨日、郡山に住んでいる娘家族のために、ひめのもちのモチをもっていくとき、あらかじめ、娘に電話すると、まごの向学ちゃんが騒ぐ声が聞こえていました。お餅を持って行ったとき、娘に、<朝、向学ちゃん、何騒いでいたの?>と尋ねると、娘は、<朝ご飯をたべているとき、向ちゃんが、納豆ごはんばかり食べているので、「おかずを食べなさい」というと、向ちゃんは、「おかずはいらない。納豆ごはんを食べたい」といって騒いでいたの・・・>と話していました。
まごの向学ちゃん、<ばあばのまんまはおいちい>といって、有機・無農薬で栽培したコシヒカリのごはんが大好きです。妻は、<まごの向ちゃんが美味しいといってくれるのだから、わたしたちも、同じ新米を食べましょう!>と方針転換を決めたようです。まごの向学ちゃん、玄関に入ると、<だれがきたのだろう?>と筆者をみつめていましたが、マスクをはずして、<向ちゃん!>と呼びかけると、<ああ、じいじいだ!>と大きな声で話しかけてきました。この前電話で、<アンパンマン・・・じいじい・・・いっしょにあそぼ!>と話していましたが、郡山市は、福島県の中でも一番、新型コロナの感染者が多いので、お餅をわたして、向学ちゃんに挨拶して、家にもどってきました。
まごの向学ちゃんにとって、筆者は<じいじい>、妻は<ばあばあ>・・・。筆者はこどものころ、母親の影響で、<じいやん>、<ばあやん>と呼んでいましたが、娘は、<向ちゃんは、会津弁なのよ>と話していました。
2022年に入手した本は・・・
2022年に入手した本は、
『Men in Dark Times』
『The Origins of Totalitarianism 』
『アーレント=ヤスパース往復書簡1』
『アーレント=ヤスパース往復書簡2』
『アーレント=ヤスパース往復書簡3』
『イタリア語文法徹底マスター』
『しっかり学ぶフランス語文法 』
『スコットフォースマン英語類語辞典』
『ゼロからスタートフランス語 文法編』
『デイリー6か国語辞典 日英独仏伊西』
『デイリーコンサイス伊和・和伊辞典 中型版』
『デイリー日伊英・伊日英辞典』
『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』
『プログレッシブ仏和辞典 第2版』
『ポケットプログレッシブ 中日・日中辞典』
『ポケットプログレッシブ韓日・日韓辞典』
『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』
『ポケットプログレッシブ仏和・和仏辞典〔第3版〕』
『ヤスパース選集12 イエスとアウグスチヌス』
『ヤスパース選集21 真理 自由 平和』
『ヨハネ二十三世魂の日記』
『ライティングのための英文法ハンドブック』
『ライフサイエンス英語類語使い分け辞典』
『ロワイヤル・ポッシュ仏和・和仏小辞典』
『ロワイヤル仏和中辞典』
『暗い時代の人々』
『英語で論理的に表現する』
『英語論文実用表現717』
『英語論文重要語彙717』
『英語論文表現事典』
『旺文社ハンディ英和・和英辞典』
『絵で見るイタリア語 1』
『絵で見るスペイン語1』
『絵で見るフランス語 』
『現代の眼 22(11)』
『現代の眼1981年11月号 特集反差別闘争の課題-差別のルーツを追え』
『現代教育社会学講座』
『現代言語学辞典』
『現代語から古語を引く辞典』
『古語大辞典』
『古語林』
『社会科学系のための英語研究論文の書き方』
『熟語本位 英和中辞典差別語・婉曲語を知る英語辞典』
『書く英語 応用編』
『書く英語 実用編』
『書く英語・基礎編』
『小学館 オックスフォード英語類語辞典』
『小学館プログレッシブ和英中辞典』
『小学館伊和中辞典』
『小学館全文全訳古語辞典』
『新修 部落問題事典』
『水平運動並に之に関する犯罪の研究』
『全体主義の起原』
『続 日本語で引く英語類語辞典』
『読み手の心を捉える! 英文テクニカルライティング』
『日英語比較講座 第2巻 文法』
『日本語で引く英語類語辞典』
『発信型英語 類語使い分けマップ』
『文法から学べるイタリア語』
『弁証法的唯物論と史的唯物論』
蔵書を増やすのはこれで最後、これで最後・・・と思いつつ、2022年は、約60冊の本を、インターネット経由で入手しました。今年最後に届いたのは、アーレントの『Men in Dark Times』でした。11月19日に注文して、届いたのは、12月29日・・・。日本の古書店ではなく、アメリカの古書店なので、日数がかかったのでしょう。それを見た妻、<あなた、いいわね。そんな本、辞書なしで読めるのですから・・・>。筆者、<この本は、哲学書と同じだから、英単語を知ってるだけでは、文章の意味が分からない・・・。邦訳を読んでもわからない箇所を英書で確認すると、よくわかる場合も少なくないから・・・。哲学書、日本語に訳されると、とたんに難解な文章になるよね・・・。>と答えましたが、『Men in Dark Times』より『The Origins of Totalitarianism 』の方が読みやすそう・・・。
蔵書を増やすのは、前期高齢期まで・・・。75歳になり、後期高齢期に入った筆者は、すでに入手している約3,600冊の蔵書を読破するのみ・・・。ほとんどが学術書・研究書、史資料・論文集ばかりなので、読破するのは大変ですが・・・。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者が、Engliish Writing で『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するための多角的な視点・視角・視座を確保するには十分な蔵書量です。
2022/12/30
黒猫黒兵衛のための生アジ探し・・・
今日は、午前9:30~午後1:30まで、郡山に、黒猫黒兵衛のための生アジを探しにでかけました。
郡山のアパートに住んでいる娘たちのために、ひめのもちのお餅を届けたあと、スーパーの鮮魚売り場で生アジを探しましたが、鮮魚売り場は、すっかりお正月モード・・・。アジ、サバ、サンマ、イワシなどの魚はなく、ほとんど高級魚介類ばかり・・・。黒猫黒兵衛は、新鮮な生アジを焼いたものしか食べませんので、スーパーの鮮魚売り場をたずねること、4店目・・・。2匹入り×7パックを入手することができました。そのスーパーで入手できなければ、生アジ探しは断念することにして入った最後のスーパーで、生アジをみつけました。その数14匹・・・。
家に戻ると、妻は大喜び・・・。<よかったわ。アジがないと、黒ちゃん、とても悲しそうになくんですもの。「ボクの食べるものがない・・・」って。これだけあれば、当分大丈夫・・・。>と話していましたが、例年のことながら、年末の生アジ探しは、筆者の年中行事になってしまいました。今年は、3日間探して、11店目でやっと生アジを入手することができました。黒猫黒兵衛も、我が家のかけがえのない家族ですから、黒ちゃんのためなら、えんえやこら・・・。
2022/12/29
夕方、ひめのもちで搗いた延べもちを切る・・・
ついたもちの半分は、我が家で消費・・・、あとの半分は、娘夫婦とまごの向学ちゃん用・・・。
大掃除をしなくても、なにとなく、年始・年末の備えができたような気分です。
ひめのもちは、ねばりがあまり強くないので、高齢者が食べても、のどにつかえて窒息死する可能性はほとんどありません。
我が家の大掃除は、春になってから・・・
今朝、妻に、<いつすすはらいするの?>と訪ねますと、妻は、<外は雪がつもって、冷たい風が吹いているのに、窓をあけて大掃除をするというの? 我が家のすすはらいは、春になって、あたたかくなってから・・・。>と話していました。
それに、雪が積もっているにもかかわらず、杉の枝には杉の花が咲いて真っ赤になっているところもあります。杉花粉アレルギーのある筆者は、長時間、窓をあけて、部屋を大掃除するのは杉花粉を部屋に充満させることになりますので、やはり、大掃除は、年末ではなく、春の農繁期の前あたりに行うのがよさそうです。そのころは杉の花粉の飛散量も少なくなっていますので・・・。
黒猫黒兵衛の生アジを入手できず・・・
郡山や須賀川と違って、高齢者が多い猪苗代では無謀運転するひとや、駐車場で我先に陣取り合戦をする人はほとんどいなくて、普通のドライブをすることができました。国道49号線の側道で、猪苗代湖の浜辺にたむろしているカモの群れに餌をやっている若いカップルが居て、その餌を求めて国道49号線まであがってきたカモが、国道をウロウロしていました。妻は、<国道でカモに餌をやるなんて、ダメよね・・・>と、カモがくるまにはねられないかどうか心配していました。
今日は、ドラッグストアで、筆者用の風邪薬<プレコール>36錠・9日分、1箱を購入しました。昨日、郡山で同じものを1箱購入しましたが、これで、72錠、18日分・・・、しかし、筆者は半量で効くので、36日分になります。体温が37°Cを超えると、規定通りの分量を服用します。最近、なぜか、プレコールを置いていないドラッグストアが増えましたので、みつけたときには購入することにしていました。
<新型コロナ>も<コロナウイルス>・・・。普通の風邪ウイルスであるコロナウイルスを
サルトル・ボーヴォワールは、やはり理解できない・・・!
筆者、高校生のときに読んだ実存主義哲学者のうち、ヤスパースは理解できても、ハイデガーやサルトルは理解できませんでした。
今、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』の第二部を読んでいますが、ボーヴォワールは、ゲーテ、トルストイ、ユーゴの老後の生き方について言及していました。ボーヴォワール、<老いの発見と受容ー身体の経験>の章で、彼らの<好色爺>的側面をするどく描き出していました。しかし、最初から読んでいて突然の<変調>に、<ボーヴォワール、狂したか?>と思わざるをえませんでした。
ユーゴについては、いかなる劣等感にも悩まされることがなかった人であるようです。自分を誇りに思う自尊心に富んでいて、多くの人から愛され、ユーゴ自身も自分を多くの人から愛されるべき存在であると確信していた。自分の主体性をいつも確保し、他者の意見や批判に屈することはない、<崇高な老人>としての生き方をまっとうしたようです。しかし、ボーヴォワールは、ユーゴのことを理解することはできないといいます。ユーゴのこころとその生き方の二面性を考えるときに・・・。
筆者、そのくだりを読んでいて、ユーゴはもちろん、その老いの生き方を暴露することを楽しむようなボーヴォワールも理解できない・・・。サルトルやボーヴォワールの実存主義は、ヤスパースやアーレントの実存哲学とは、永遠に交わることのない平行線のような気がしてきます。筆者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』を読むことをやめて、ヤスパースの『真理について』と、アーレントの『暗い時代の人々』の読書に戻ることにしました。
サルトルやボーヴォワールの実存主義は、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者には、あまり関係のない世界・・・。
2022/12/28
農村伝道神学校の創立70周年記念誌は、封印したままに・・・
今日、農村伝道神学校から、創立70周年記念誌が送られてきました。
以前、Sweden Covenant Mission の教会の記念誌や、筆者が農村伝道神学校を出たあと最初に赴任した、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道、洋光台・港南台伝道所が成長・発展した横浜港南台教会の記念誌も送られてきましたが、いずれも未開封のまま・・・。
横浜港南台教会の牧師から、元慶応大学教授の教会役員から、教会の創立○○周年の記念史を出すときに、<初代牧師>である、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者は、映えある横浜港南台教会の牧師にふさわしくないので、その教会の記念史から筆者の名前を削除するように求められているとの電話がありました。そのとき、筆者、元慶応大学教授の役員の方の要望を聞いてあげたらいいと返事しました。学歴・資格のある、中産階級・知識階級のサロン的教会にしたい、というのが、彼の望みだったのですから・・・。<坊主憎けりゃ袈裟まで憎い>・・・。無学歴・無資格(Academic Outsider)は、ひとにあらず・・・。そのあとに送られてきた記念誌は、筆者、未開封のまま、目にすることはありませんでした。
筆者が神学生時代を過ごさせていただいた日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の記念誌も、未開封のまま・・・。筆者が、日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていた教会は、筆者がその教会を辞任したとき、宗教法人の解散手続きをしました。教会役員会の要請で、筆者は退職金を全額放棄、教会の財産は、すべて包括法人である日本基督教団に寄附、教会員の半数が被差別部落出身者であり、様々な問題を抱え、教会誌として記録に残すべきではないとの教会役員会の判断でした。したがって、筆者の西中国教区での30年間の伝道・牧会に関する記録は一切なし・・・。
無学歴・無資格(Academic Outsider)であるにもかかわらず、日本基督教団の牧師になった筆者の結末です。しかし、筆者は、後悔はしていません。筆者、いつも、<主なる神さま、神さまのみむねのままに、わたしを導いてください。主なるイエスさまのみあしのあとについてまいりたいと思います・・・>といつも祈ってきた、筆者の信仰生活の結末でもありますから・・・。
人生は、いつか脱線することになるレールの上を走っている機関車のよう・・・
シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部を読みながら、筆者が今、<老い>について持つイメージは、<老い>とは、いつか脱線することがきまっているレールの上を走る機関車のよう・・・。
人生は、はじめとおわりがあります。おぎゃと生まれてから死ぬまで、そのひとに与えられた人生の時間を生きていきますが、人生には、始発駅と終着駅があります。始発駅と終着駅をつなぐ線路の上を<人生>という機関車が走っていくのですが、ひとそれぞれ、始発駅と線路、終着駅は異なります。共通しているのは、人生という鉄路の旅は、終着駅にたどりつく前に、脱線があるということです。人の一生は、脱線をさけられない線路の上を走っている機関車のよう・・・。その機関車の名前はタレント・・・。1タレントの機関車もあれば、10タラント、100タラントの機関車もあります。100タラントの釜と石炭を積んでいる機関車は、高速で大きな荷物を満載して走ることができるでしょうが、1タラントの釜と石炭をつんでいる機関車は、少ない荷物を積んで低速で走ることになります。どのような人生の機関車であっても、その線路は、いつか脱線することになります。いつ、どこで、どのようなときに脱線するのは、誰にとってもそれは謎です。走っている線路がいつか脱線することになるということを肯定しても、否定しても、無視しても、やがて脱線は現実のものとなり、終着駅に着く前に、人生という鉄路の旅は終わりを迎えることになります。いつか脱線することになるレールの上を走っている機関車のような人生を、わたしたちはどのように生きていくことになるのか・・・?
どのように生きても、人生の、ほんとうの終着駅は、脱線とともに巻き込まれたその人の死、からだとこころの死のあと、わたしたちのたましいは、地の深いところにある奈落に落ちていくことになるのか、それとも、わたしたちの人生の主である、主なる神さまの御手によって上に引き上げられることになるのか・・・? わたしたちの人生における<彼岸>は、人生という鉄路の旅の延長線上にありません。延長線上にあるのは、人生の脱線・転覆のみです。<彼岸>は、人がたどり着くことができるところのことではなく、主なる神さまによって引き上げられる<上>にあります。<彼岸>は水平方向ではなく垂直方向にあります。人はその<彼岸>に自分でたどりつくことができず、ただ。主なる神さまによって、その恵みによって、招かれ、ひきあげられる以外には、たどりつこことができない<彼岸>なのです。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部の出てきた、『老人と海』の著者、ヘミングウエーの老後の生き方を読みながら、筆者、上のような<瞑想>をすることになりました。筆者は、ヘミングウエイのような生き方をすることはできません。なにしろ、筆者は、<無学歴・無資格>(Academic Outsider)でしかありませんから・・・。
『講座社会学』(全16巻)と『現代教育社会学講座』(全5巻)を通読することに・・・
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、『講座社会学』(全16巻)と『現代教育社会学講座』(全5巻)を通読することにしました。
山本登著『部落差別の社会学的研究』や岸衛・桜井厚著『差別の境界をゆく 生活世界のエスノグラフィー』、横島章著『部落差別の社会心理学的研究』、雑誌『部落』に掲載された各種同和教育・解放教育実践事例集を再読・精読するときの参考資料として、少しく視野を広げることにしました。
筆者が、Engliish Writing で執筆していることを予定している『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)の参考文献は、筆者が蔵書したものばかり・・・。
『講座社会学』(全16巻)と『現代教育社会学講座』(全5巻)は、いずれも、東京大学出版会から発行されたもの・・・。『岩波講座・現代社会学』は巻数も多く、全巻を入手するには、年金暮らしの筆者には、高すぎる古書価格なので、入手不可能・・・。雑誌『部落』は、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方から無償で提供されたものです。田中智志・山名淳著『教育人間論のルーマン 人間は<教育>できるのか』(2004、勁草書房)をひもといたことで、筆者の読書にさざなみがたちはじめました。
家に戻ると、1時間ほど仮眠・・・
郡山の、国道4号線の温度表示は、11°C・・・。湖南まで戻ってきますと、2°Cになまで下がっていました。
郡山市街地と郡山市の西の最果ての地である湖南町赤津村とでは、9°Cの気温差があるようです。地方行政的には、湖南町赤津村は、<中通り>に属しますが、気象的には、<中通り>ではなく<会津地方>に属します。
郡山市街地は、幕末の維新戦争のとき、<官軍>の<備前藩>の駐屯地になった場所・・・。一方、郡山市湖南町は、<賊軍>の<会津藩>の駐屯地のひとつ・・・。古文書によると、<備前藩>の兵士たちは規律正しく、中通りの人々に歓迎されていたとか・・・。一方、湖南の<会津藩>の兵士たちは、夜な夜な、郡山にやってきて焼き討ち、闇討ち、強奪・強姦を繰り返していたとか・・・。それらを記録した古文書は、その子孫である、一世代前の湖南史談会の会員たちによって、闇から闇に葬り去られてしまったとか・・・。集めるだけ集めて、それらの史資料は行方不明に・・・。
年末のアジ探し・・・
妻が飼っている黒猫黒兵衛、山口にいるときから、魚のアジしか食べません。マグロやタイの刺身も、においをかいだだけで、舐めることもしません。もっぱら、生アジを焼いて、身を取り出したものだけを食べています。キバが2本なくなっているので、焼いたアジも、身だけをとりだして、ほぐしてやらないと、食べることができません。そのアジ、例年のことながら、年末年始には、スーパーの魚売り場に並ぶことはありません。しかし、今日、妻が、黒猫黒兵衛のためのアジ探しにでかけるというので、筆者も同行・・・。郡山と須賀川のスーパー5店舗を巡り歩きましたが、入手できたのは、Lサイズのアジ2匹だけ・・・。
午前10:30にでかけて、戻ってきたのが午後4:00・・・。
途中、ガソリンスタンドで、ガソリンを補給しましたが、価格は、1リットル150.8円でした。猪苗代では、1リットル173円しますので、国道4号線沿いのガソリンスタンドは、安く給油できそうです。徒労に終わったアジ探しですが、ガソリンを安価に入手できたのは、<不幸中の幸い>でした。
しかし、毎年のことながら、運転する女性ドライバーの乱暴なこと・・・。<ぶつかってもええ! 警察は女性の味方をしてくれる!悪いのは、女性の運転するくるまにぶつけられた方だ!>と言わんばかり・・・。バックで駐車しようとしているところに、すごいスピードでやってきてわりこんで先に駐車してしまう中年女性・・・。今日は何回急ブレーキを踏まされたことやら・・・。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を読みながら<老い>について考える・・・
今朝6:00に起床・・・。いつもの健康管理をしたあと『英訳聖書』(NSRV)を通読、そのあとシモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部の続きを読んでいました。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を読みながら<老い>について考えていたのですが、筆者の読書・読書力にも<老い>の陰がしのびよってきているようです。
まず第一に、本を読む速度が遅くなったこと・・・、第二に、本を読むとき一言一句その意味を考えるようになったこと・・・、第三に、若いときは少しく障害があっても激流の流れのように岩に激突し乗り越えていったのに、年老いてからは、せせらぎの流れのように小石を避けて読むようになったこと・・・。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を読みながら、筆者、筆者なりの<老い>のイメージをつくりあげることになりました。
2022/12/27
教師論と教育論、再考・・・
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、<教育学>とは無縁の存在です。
今日の夜、田中智志・山名淳著『教育人間論のルーマン 人間は<教育>できるのか』(2004、勁草書房)をひもといていましたら、おもしろそうなので、通読することにしました。ルーマンは、一貫して近代教育学を批判してきた社会学者であるようですが、この本を通じて、社会学者ルーマンの、教員批判、教育批判、教育学批判の方法を学びとることができるかもしれません。それを手掛かりにして、同和教育に携わる教員批判や同和教育批判の方法を、論理的に身に着けることができるかもしれません。
<はしがき>に、<日本の教育学者たちは、ごくわずかの研究者をのぞくなら、ルーマンにほとんど関心を示してこなかった>とありますが、<近代人間学に支えられてきた近代教育学の破たんが顕わになりつつあるこの時代において、人間を語る上での大切な言葉>である<自己生成>(自己創出)は、<新しい教育の実践理論>は、<「発達」概念によって十分に表現できない人間変容の特徴をあらわす概念>でもあるようです。
こんなことを書くと、またまた、教員を名乗る方から、<無学歴・無資格のあなたが、教育学の深遠な理論などわかるはずがない>と罵倒されることになるかもしれませんが、わかるか、わからないか、まずは読んでみなければ・・・。
午前10:30~午後3:00、猪苗代町へ買い物に・・・
今日は、妻とふたりで、猪苗代町へ買い物にでかけました。ホームセンター、スーパー、ドラッグストアに立ち寄って、日用品や医薬品、食品を購入して帰ってきました。
妻のふるさと・湖南には、ホームセンター、スーパー、ドラッグストアもありませんので、安価に、日用品・医薬品・食品を購入するには、東は郡山、西は会津若松、南は須賀川、北は猪苗代へ、くるまで片道40分ほど走らなければなりません。そのため、買い物は、必需品が欠品になることがないように、備蓄を考慮しながらの買い物になります。妻は、3~4日、6~7日の献立を考えながらの生鮮食品の買い物になります。筆者は、乾物や保存食品を在庫を考えながらの買い物になります。妻のカートにもっていって、買うか買わないかは妻が判断します。
家に戻ると、筆者は、軽トラで隣村のコイン精米所まで行って、今年収穫したひめのもちを10kgほど精米しました。妻は、今朝、電気もちつき器でもちをついていました。明日も餅つきをするようです。筆者と妻が栽培しているヒメノモチは、高齢者が食べてものどにつまりにくいお餅になります。
われわれは年とともに・・・
『老い』の著者、シモーヌ・ド・ボーヴォワール・・・
その第Ⅱ部は、知識人・有名人の老いに対するパニックについて言及しているようですが、そこで紹介されている知識人・有名人は、実存哲学者、カール・ヤスパースのような医学者ではなさそうです。確かにそれぞれの分野の専門家であることに違いはないのですが、ひとつの専門分野に長けているからといって、他の多くの分野を自動的にマスターしているわけではありません。特に、高齢期における、自分自身の身体的老化とそれに対応して、老化対策をとりつつ老いの季節を生きるという発想をもっている人は少ないようです。
P.P.バラシュ著『エイジング 老いの発見』に、<われわれは年とともに鈍感になるのではなく、まさに時代遅れになっていくのだ。>とありました。老化にともない、知性・感性が精彩を欠いて鈍感になっていく老いの季節の前に、<時代遅れになっていく>季節がある・・・。<時代遅れ>は、まさに<老化>のしるしなのです。
日本基督教団の隠退牧師になり、副業の情報処理関連の仕事からもリタイアした筆者、妻の故郷・湖南の標高550の湖南高原の棚田と段々畑で有機・無農薬で、自給用に、コメと野菜を栽培していますが、それから、10年が経過して、やっと、筆者と妻は、老後の生き方を確立することができました。その代償として、筆者は、情報処理の世界から離脱、すっかり時代遅れになってしまいました。10年前は、最新鋭だったのですが、10年後の現在はすっかり時代遅れ・・・。ハードだけでなくソフト面においても・・・。
筆者の場合、時代遅れに拍車をかけているのが、新刊書ではなく、しかも1960~1980年代の古書・古本を、インターネットの日本の古本屋経由で安価に集めてきたこともあって、それらの本を通じて筆者が得ることができる情報そのものが時代遅れになってしまっています。1960~1980年代の老年学・老年医学の本が、2000~2020年代にどれほど通用するのか・・・。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にとっては、1960~1980年代の老年学・老年医学の本は、老いについて、あるいは老いを生きるための生き方について学ぶための豊富な情報源であり続けています。
老年期のかまってほしい症候群・・・
今朝7:00に起床・・・。昨夜午前1:00まで読書してたので・・・。筆者の睡眠時間は、いつもきまって6時間です。早く寝れば早くおきて、遅く寝れば遅く起きることになります。6時間という睡眠時間がとれない場合は、日中に仮眠をとることになります。日中の仮眠は、いわば、睡眠の日常からの逸脱・・・、逸脱を繰り返すと、健康によくありません。夜遅くまで読んでいたのが、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部というのですから・・・。
そこに、定年退職後の高齢者が陥ることになる<かまってほしい症候群>と表現していいようなことが描かれていまし。人は、定年退職を迎えて数年、現役時代のことが忘れられず、元つとめていた会社を訪ねたり、同僚にあって、その人が退職したあとの会社の状況を尋ねたりします。学校教員にあっては、定年退職後には、指導できる数十人の生徒はなく、空虚な空間に支配されることになります。定年退職後数年は、元の教え子が尋ねてきたりで、自分の教員生活の意義を確認することができます。しかし、数年後には、誰も訪ねてこなくなり、そこで直面することになるのが、<かまってほしい症候群>・・・。その<かまってほしい症候群>にかかりはじめますと、現役時代、その人に賛同してくれた人たちだけでなく、その人を批判、排除・疎外、無視した人々に対しても、なんらかのコンタクトをとろうとします。現役時代の影響力を、引退後の生き方の中にも及ぼそうとするのです。しかし、時は過ぎ去ってしまって、その時を取り戻すことなど誰にもできるわけではありません。結局、無視されることにつながり、ひとり、自分の膝を抱えて生きざるを得なくなります。その生き方、言動の節々から、<かまってほしい諸侯群>のオーラがもれてくるようになります。
Google翻訳で<かまってほしい>を英訳しますと、<I want you to pay attention.>と訳されました。<わたしのことをかまってほしい>を英訳しますと、<I want you to care about me.> つまり、<かまってほしい症候群>は、定年退職して高齢期に入ったひとが経験することになる老化の主要症状なのです。高齢者は、老化を、受容するか、拒否するか、無視するか、そのいずれかを選択して生きていくことになりますが、老化は、ひとそれぞれ・・・、どのような老年期を過ごすかは、すべて、そのひとが現役時代にどのような生き方をしてきたかにかかっています。
現代社会は、<かまってほしい症候群>におちいった高齢者に対して、社会的に、実にあたたかい対応をとります。それが、<Care>(介護)システムです。<Care System>が機能するのは、現代社会を生きる高齢者の<かまってほしい症候群>の緩和に動く個人がほとんどいないということにあるようです。家族・近親者でさえも・・・。
2022/12/26
雪のように白い野菜・・・
<plowman's foods>というものがるようです。
農夫・百姓の食べ物・・・、それは、パンとチーズと玉ねぎ・・・。パンとチーズとオニオンスープのことでしょうか・・・。農作業で忙しいとき、妻は、よく、<わたし、疲れたから、今日の昼食はパンでいい・・・?>と問いかけてきます。筆者、<いいよ>と答えるのみですが、そのときは、パンと、とろけるチーズと、オニオンスープかコーンスープ・・・。文字とおり、<plowman's foods>を食べているようです。
雪が降る前に収穫した野菜、雪のようにまっしろです。まずは、カブ・・・。千枚漬けにしていますが、毎朝、食卓に出てきます。次は、ダイコン・・・。ダイコンは、味噌汁の具・・・。そして、カリフラワー・・・。ほんとうに雪のような真っ白なカリフラワーです。茹でたあと、ドレッシングをかけて、サラダとして食べます。冬の白い野菜の三点セットです。
妻の故郷・湖南の赤津村は、高冷地・寒冷地なので、暖房していない、ストーブをつけていない部屋は、冷蔵庫の中より温度が低いので、野菜も果物も、部屋の中においていても冷蔵庫の中に保管しているのと同じ・・・。筆者と妻が栽培しているコメ・野菜・くだものは、自給用なので、物価変動には直接影響を受けません。このまえ、冬の食卓に色を添える、潮の香りのする瀬戸内海産のノリを入手・・・。妻は、山口の潮の香りをなつかしみながら、毎朝、ごはんにふりかけて食べています。
あるノーベル賞受賞詩人の老いに関する言葉・・・
シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部に、ノーベル賞を受賞したある詩人の老いに関する言葉が記されていました。
<わたしはかってないほどよく考え、計画を立てることができるのだが、計画し考えたことを実行することがもはやできないのだ・・・>。
ひとは、高齢期に入ると、あらたな<計画>をたてることができても、それを<実践>することはできなくなるようです。
その詩人は、<年を取ったということがわたしには耐えがたく腹立たしい。わたしはかってのすべての能力をもち。それ以上でさえある。それなのに、一人の仇敵がわたしをしばりつけ、ねじまげてしまった・・・>と語ったそうですが、ボーヴォワールは、<それでも彼はまだひじょうに美しい詩句を書くことができた>といいます。
ノーベル賞受賞作家ならではの<仇敵>なのでしょう。無学歴・無資格(Academic Outsider)の隠退牧師である筆者には、老いを揺るがすような<仇敵>は存在しない・・・。雪深い山奥の向こうから、狼の遠吠えが聞こえてくることがあったとしても・・・。人は、誰でも、自分が批判している人のなかに<自分の反映像>を見出すことになる・・・。ボーヴォワールの人間観察力には、ただただ敬服するばかり・・・。
午前10:30~12:30、除雪作業・・・
午前10:30~12:30、妻とふたりで、除雪作業をしました。
今朝、『旧約外典』の『Ecclesiasticus』を読んでいたとき、<plow>という英単語が出てきました。<耕す>という意味の英単語ですが、CASIOの電子辞書で引いてみますと、<plow>には、<耕す>以外に、<除雪する>とか<努力する>という意味があることが分かりました。
<plow>という英単語には、①耕す、②除雪する、③努力するの意味が含まれていたのですが、<plow>というひとつの単語で、春夏秋冬の筆者のいとなみ<晴耕雨読>を表現することができそうです。<plowman>は、耕作者・農夫を指す言葉・・・、<plowwright>は、<plow>をつくる<wright>(職人)のこと・・・。
日本基督教団の牧師であるときは、<みことばの職人>たらんとした筆者、隠退牧師になってからは、<百姓の職人>になり、<職人>であり続けているようです。
『Ecclesiasticus』では、いろいろな職人についての言及のあと、このような言葉が続いていました。
<Wherever they live, they will not go hungry.>
日本基督教団西中国教区の牧師の中で、一番収入の少なかった筆者、そして、隠退牧師となって、妻の故郷・湖南の赤津村で有機・無農薬栽培で、コメと野菜と果物を自給用に栽培して、同年代の牧師の年金の半額に満たない年金で老後を過ごしていますが、飢えることも凍えることもない・・・。老いてもなお、働き続けなければなりませんが、主なる神さまは、土からとられて人間を土を耕す者、つまり、人間自身を耕すものにされたのですから、筆者と妻は、聖書の神のみことばに生かされ続けていると思います。
他の牧師や信徒から、誹謗中傷・罵詈雑言を投げかけられ、排除・疎外の対象にされ、彼らの慰めものにならなくてすみますから・・・。
みことばの職人・・・
そのときの筆者の言葉、<私は、神奈川教区の牧師さんのように高学歴・高資格は持ち合わせてはいません。みなさんを技術者にたとえると、無学歴・無資格のわたしは職人にすぎません。私は、みことばの学者・研究者、技術者としてではなく、職人として、一生、説教と牧会に磨きをかけてまいりたいと思います・・・>という内容のものでした。そのとき、筆者、神奈川教区総会に出ていた著名な牧師・神学者から、ヤジを浴びせられることになりました。<さすがジューキミシンの販売員をいていただけあって、いうことが違う!>
筆者、神学校に入る前に勤めていたのは、株式会社ジューキという会社でしたが、駅前で家庭用ミシンを販売している東京重機株式会社ではありませんでした。神奈川教区の牧師たちにとっては、株式会社ジューキも東京重機も同じだったのでしょう。独断と偏見に満ちたヤジでした。
西中国教区総会で、牧師としての按手を受けたときも、西中国教区の牧師たちから罵倒されることになりました。その理由は、筆者が按手を受けるとき、両ひざを床につけて按手を受けたというのです。先輩牧師たちは、<神学校で按手の受け方を教えられなかったのか。按手を受けるときは、両ひざをついてではなく、片膝をついて受けるものだ。按手は、ヨーロッパの騎士が主君の前にひざまづくときにとる姿勢、片膝をついて受けるものだ!>と、筆者を罵倒していました。そのときはじめて、両ひざをつくのは、百姓・農民の所作であって、西欧のナイトの所作ではないことを知りました。
筆者が、<みことばの職人>という言葉を使い出したのは、20歳のころ読んだ、『旧約外典』の『Ecclesiasticus』のことばの影響を受けてから・・・。今日読んだ『Ecclesiasticus』の一節に、<なんという違いがあるのだろうか・・・>ということばがありました。聖書の学者・研究者・牧者たちと、このよのあまたの職人たちとのあいだの違いのことですが、『Ecclesiasticus』のことばは、前者肯定し、後者を否定したことばではなくて、前者と後者の不連続と連続を、聖書の神を信じる信仰の目から説いたものです。
今日、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の『Ecclesiasticus』でそのことばを読みなおしていて、筆者、自分の歩んできた道は、主なる神さまが与えてくださった、主イエスさまのみ足のあとをたどる信仰の道であったと確信しました。<みことばの職人>になることは、<みことばを生きる>ことと同義です。牧師の<神学>と<生活>が乖離した状態ほど、聖書の信仰から遠いものはありません。
2022/12/25
老後に自己盲目におちいるひと・・・
除雪作業をしながら、今朝読んだ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部の言葉を思い出していました。
<教員という職業は神経的にきわめて疲労が多い。過労と緊張のため、彼らは正当にも自分を消耗していたと感じていた、そして消耗という観念は老いという観念を導くのである。人は多くの場合、その無意識が渇望する永遠の若さが自分にあると考えようとして、即自と対自をへだてる距離を利用する・・・>。
教員の老いは、<即自>に生きるか、<対自>に生きるか、またはその二極の間を恣意的に行き来してあてどなく生きるか・・・。教員のそれまでの生き方を、老後においても引きずって生きていくことになるのか、それとも、それまでの生き方にきっぱりと決別して、あらたな人生として老いを生きることになるのか、それとも、どちらをも選択することができず、両者の間をふらふらしながら、<コギトの経験>を持つことなく老路を歩み続けることになるのか・・・。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、<・・・老人ホーム在院者の大部分は「わたしは自分が老いているとは少しも考えない・・・老いについては決して考えない・・・わたしはまだ二十歳なのだ」と答えた。・・・どうしてこのような自己盲目が可能かということが解明されなければならない・・・「わたしは他の人たちとは同じではない」。人は自分を同年齢と比較する場合、その人たちとは異なるカテゴリーに属するのだと思いたがる。なぜならん、彼はその人たちを外側からしか見ず、各人が自分自身にとってそうであるところの唯一の存在としてもついろいろな感情を他人には推測しないからだ。>と綴っていますが、<コギトの経験>を持つことのない人は、<自己盲目>におちいる・・・。
<教員>時代、熱を込めて、同和教育・解放教育に携わっていたとしても、時代が変わり、同和教育・解放教育は人権教育に名称も教育内容も変わっている。かって、同和教育・解放教育の実践者として過剰な評価を集めた<教員>は、昔をなつかしくなり、定年退職後もその延長を生きようとする・・・。しかし、もう、彼の語る言葉に耳を傾ける人はいない・・・。通り一遍の賛辞を残して遠ざかられるのみ・・・。筆者は、日本基督教団の現役の牧師であるときは、だれの言葉にも牧師として耳を傾け、<牧会>という枠組みの中でそれなりの対応をとってきたけれど、<隠退牧師>となった今は、そのようなつとめからは解放されている・・・。
それにしても、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』・・・、なんと、いろいろな著名人の言葉を引用して、批判・分析していることやら・・・。この『老い』の80~90%は、ボーヴォワール自身の<老い>についての言及ではなく、他者の<老い>についての言及である・・・。ボーヴォワール、農民・漁民がつくったりとったりしてきたいろいろな食材を使って、美味しい料理、たとえば、岡山の祭りずしをつくるような調理人のように、この『老い』という本を書いている・・・。『老い』にみられるボーヴォワールらしさは、献立の立て方と、食材の集め方と、調理の仕方と、盛り付け方と、食卓に料理を並べる並べ方にあると思われます。シモーヌ・ド・ボーヴォワールが、自分でその食材を栽培していないという批判は、ほとんど無意味な批判でしかない・・・。ひとは、だれでも、自分だけの人生を生きることが許されているだけで、その老いも、1回限りの経験でしかない・・・。老いの<本質>を把握しようと思えば、いろいろな他者の声に耳を傾ける以外にはない・・・。
午前9:30~12:00、除雪作業・・・
今日の午前9:30~12:00、妻とふたりで除雪作業をしました。今日は湿って重たい雪で、いつもとは異なる手順で除雪作業をしました。いつも妻が除雪しているところを筆者が除雪、筆者が除雪しているところを妻が除雪しました。
雪の降らない、除雪の必要でない地方に住んでいる人は、北国・雪国の人が毎日除雪で数時間費やしている時間を、もっとほかのことに費やすことができるのでしょうが、北国・雪国に住む人にとって、毎日の除雪作業は、自然の定めた日課なので、避けることができません。
今朝の庭の軽トラ、運転席の部分が犬のヌードルのような顔立ちになっていました。朝、筆者の寝室の雨戸をあけたとき、北風が吹いていました。梅の木の枝にとまっていた50羽ほどの寒すずめは、全員、北風が吹いてくる方に体を向けて、北風に吹き飛ばされないようにしていました。スズメたちが強風に吹き飛ばされないようにするためにとる姿勢は、強風から逃げる姿勢ではなく、強風に立ち向かう姿勢・・・。人生の老いという北風にさらされるとき、その北風に吹き飛ばされないためには、老いに背を向けるのではなく、老いに正面から立ち向かっていくことが必要であるようです。後ろ向きではなく、前向きに生きる・・・。
昨日の夜、妻が筆者に語り掛けてきました。<あなたって、いつも前向きに生きることができるのね・・・。ほかの人なら絶望したり挫折したりしそうなところでも、いつもそれを打開して生きていこうとするのですから・・・>と話していましたが、筆者、聖書の神を信じるようになってからというもの、いつも聖書のことばを道しるべ、闇夜のちょうちんのあかりとして生きてきました。老いを生きるときも同じ・・・。
<老い>について・・・
今朝、5:30に起床・・・。部屋の温度は、2.0°C・・・。北国・雪国にある、妻の実家の家で、<昭和の暮らし>をしている筆者と妻、妻の寝室には、昔ながらの石油ストーブが1台、筆者の寝室には、今流の空気清浄機能のついた電気ストーブが1台あるのみ・・・。ストーブの前でからだを温めることはできても、部屋全体をあたためることはできません。
今朝、いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を読み、そのあと、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を通読しました。シモーヌ・ド・ボーヴォワールの<読書量>に、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、あ然とさせられます。さすが、高学歴・高資格(Acadeic Insider)のシモーヌ・ド・ボーヴォワール・・・。ハンナ・アーレントに勝るとも劣らぬ博学、哲学・・・。
筆者、75歳になり後期高齢期に入ったのを自覚して、老いについて再考察するために、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の通読を決めましたが、75歳になった筆者の老いを自覚的に認識・考察して、75歳を生きようとする筆者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールにいわせると、同じ年代の高齢者の中では、あまり一般的ではなく、通説や常識から逸脱した存在であるようです。シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、<老い>について研究するとき、その研究対象を高学歴・高資格の、知識階級・中産階級の高齢者を対象にすると宣言していますが、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが研究対象にしなかった無学歴・無資格、一般の民衆であり下層社会に属する筆者が、高学歴・高資格の、知識階級・中産階級の高齢者の<老い>と異なる生き方をしていても不思議ではありません。そこには、<貧しきがゆえの豊かさ>があります。<富めるもの>が決して味わうことのない豊かさが・・・。
2022/12/24
学歴があってもなくても・・・
今朝読んだ『英訳聖書』(NSRV)の一節・・・
An educated person knows many things,
and one with much experience know what he is talking about.
An inexperienced person knows few things,
but he that has traveled acquires much cleverness.
I have seen many things in my travels,
and I understand more than I can express.
It have often been in danger of death,
but have escaped because of these experiences.
<An educated person>は<学歴のある人>、<An inexperienced person>を<学歴のない人>と解釈しますと、 <学歴のある人>は< knows many things>けれども、<学歴のない人>は<knows few things>・・・。無学歴の人でも、その人生の旅路でいろいろなことを見聞きすれば、<much cleverness>を手に入れ、語りつくすことができないほど物事を理解できるようになる・・・。異郷の地での出会いと経験によって、人生におけるいろいろな試練を克服することができる力を身に着けることができる・・・。
その『旧約外典』のことばは、さらに次のことばが続きます。
The spirit of those who fear the Lord will live,
for their hope is in him who saves them.
ブログ『部落学序説』を執筆するようになった背景には、筆者が赴任した日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会での<牧会>があります。教会員の50%の人が、被差別部落出身であり、いろいろな問題を抱えていました。筆者は、<牧師>として、最大限、彼らの語る言葉に耳を傾けてきましたが、<部落差別問題>のかかえたプラスとマイナスの両面をいやがうえにも知らされることになり、<部落差別問題>の深刻さを痛感させられました。人権教育の<きれいごと>や左翼主義思想の<イデオロギー>などでは片付かない多くの問題に直面していく中で、部落解放同盟山口県連・新南陽支部の被差別部落の人々に出会いました。彼らは、部落差別に押しつぶされて、身を隠し、逃亡をはかる教会の被差別部落出身の教会員とちがって、差別を跳ね返して、先祖の歴史を否定することなく元気に生きる人々でした。筆者のブログ『部落学序説』は、その両者を反映したものですが、<部落差別問題>の負の部分を生きていた教会員のことについて触れること少なく、前向きに反差別を生きる人々の声のみ多く反映させたかもしれません。
English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するときは、被差別者に対する<牧会>の実践報告も含むことになります。『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)は、部落差別完全解消への提言であると同時に、日本基督教団の一牧師の部落差別をめぐる牧会記録ともなります。筆者、日本基督教団の隠退牧師になるとき、教会役員会の要請で、その教会、宗教法人であるその教会の解散手続きをして山口の地を離れました。
昨夜は、English Word Processor をチェック・・・
昨夜は、English Word Processor をチェックしていました。
Windows10Proには、Word2013、Google Document、LibreOfficeのWriter
Windows11Proには、Word2019、Google Document、LibreOfficeのWriter
Windows11Proには、Word2021、Google Document、LibreOfficeのWriter
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者が一番気に入ったのは、Google Document・・・。後期高齢者の仲間入りをした筆者、やはり、日本基督教団の隠退牧師になり、その副業の情報処理関連の仕事からも離れ、妻のふるさと・湖南の赤津村で有機・無農薬栽培で自給用にコメと野菜を栽培する百姓暮らしをはじめてから10年・・・、情報処理の世界から完全に落ちこぼれになってしまっていたようです。筆者が、English Word Processor を使っていたのは、MSDOSの時代のソフトですから・・・。
English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するための環境つくり、自分のペースで着々と進んでいますが、筆者が、大学進学を断念して独学していた1966~1976年の独学環境と、2012~2022年の現在の独学環境とでは雲泥の差があります。現代の若いひとはいいですね、その気になれば、インターネット環境さえあれば、なにでも学ぶことができる・・・。
深々と雪が降る・・・
今朝は、深々と雪が降っていました。
しかし、天気予報で言われていたほどには、積雪していなくて、今日の午前中の積雪作業は中止しました。それに、今朝は、気温が低くて、からだが思うように動きません。
梅の木に群がっている寒すずめたちのために、追加で、玄米をまいてやったのは、午前11:00過ぎ・・・。1~2cm雪をかぶっていましたので、竹ぼうきでとりのぞき、あらたに玄米を散布してやりました。妻の指示で、居間の前の軒下にも玄米を散布してやりました。寒すずめたちが、よく遊びにやってきますので・・・。
風があると、妻の実家の庭は、ふきだまりになるので、あっという間に雪が積もってしまいます。今朝は風がなかったので、軽トラの荷台のホロに10cmほど積雪しただけ・・・。しかし、午前11:00を過ぎると、ヒューヒューという風音が聞こえだしましたので、午後は、あっという間に積雪が進むことでしょう。20cm積雪したら、除雪作業をはじめます。
2022/12/23
The heart of a fool is like a cart wheel・・・
今朝6:00に起床・・・。いつもの健康管理をして、そのあと『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。その中に出てきた言葉は・・・
<The heart of a fool is like a cart wheel,
and his thoughts like a turning axle.
A mocking friend is like a stallion that neighs no matter whi th rider is.>
<a fool>、<A mocking friend>は、他者を誹謗中傷し、罵詈雑言を浴びせ、愚弄するひとのこと・・・。そのひとの口を誰もとめることはできない。荷車の車軸のように、いつも同じところで回転するだけ・・・。
今、筆者が読んでいるのは、ヤスパース著『真理について』とアーレント著『暗き時代の人々』、そして、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』の第二部・・・。『旧約聖書』の『創世記』に、最初に罪を犯した人間の行動が象徴的に記されています。彼らは、2本の木の間に身を隠した・・・、と。その2本の木とは何なのか・・・? 神学者はいろいろ考察してきましたが、一般的には、理想と現実のことだと解釈されます。ウクライナの人民をネオナチの圧政から解放するという<理想>の木と、実際は、ウクライナの人民を軍靴の下に踏みにじり、ミサイルや大砲でインフラを破壊し、ウクライナ全土を焦土と化しているロシアの<現実>の木の間で、自己を正当化し、侵略戦争の原因は、ウクライナとそれを支援するアメリカにあるとするロシア大統領プーチンの現実は、まさに、神の前で罪を犯した人間の行動パターン・・・。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、『老い』の中で、<人々は年齢のせいにして病気という考えを払いのけ、病気のせいにして年齢を考えないようにする。彼らはこのごまかしによって、そのいずれも真剣に考えないですますのである>と綴っていますが、<年齢>の木と<病気>の木の、2つの木の間に身を隠し自己弁明する姿は、まさに、神の前で罪を犯した人間の所作と同じ・・・。
もしかしたら、部落差別問題についても同じことが言えるのかもしれません。<差別>を考えるときその原因を<貧困>にもとめ、<貧困>を考えるときその原因を<差別>にもとめる・・・。そのごまかしは、荷車の車軸のよう、ただ2つの間を繰り返すのみで、<差別>をなくすことも<貧困>をなくすこともできない・・・。このような部落差別問題の現実は、<解放>という名からほど遠い、神の前に罪を犯した人間のあり様・・・。<差別>の木と<貧困>の木の間に身を隠そうとしているけれど、神には丸見え・・・、決して身をかくしたことにはならない。いつも、<差別>と<貧困>とがつきまとう・・・。シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』は、2本の木のジレンマから抜け出すための処方箋になるかもしれません。
2022/12/22
後期高齢者になった記念にシモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を読むことに・・・
筆者、75歳になり、後期高齢期に入りました。
75歳になっても、65~74歳までの前期高齢期を生き抜いてきた生き方を継承するだけですが、一つの人生の節目に立ったことを記念して、筆者、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を通読することにしました。
最初にこの本を読んだときは、<充溢した老いを生きるためには、若い年代にすでにその準備がなされていなければならない。>という言葉に触れて、筆者、インターネット経由で、老年学や老年医学に関する本を集めて、60~64歳を、老いの準備期間ととらえて、そこで学んだことを、65~74歳に実践してきました。65~74歳は、日本基督教団の隠退牧師になり、妻の故郷・湖南で、自給用に、有機・無農薬栽培でコメと野菜をつくり、年金暮らしをしてきましたが、その間、健康を支えられてきました。こころとからだとあたまとたましいの健康を大切に生きてきましたが、75歳になったのを契機に、もういちど、老いについて学びなおすことにしました。
老いはひとそれぞれ・・・。なかには、老いについて、独創性ゆたかに、独自の見解をもち、補陀落世界をめざして、小舟に乗って大洋に乗り出すように、老いの世界に突入していくひとも少なくありませんが、そういう生き方は、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にはなじみません。筆者は、いにしえのひとから現代のひとまで、いろいろなひとの老いに関する文章をひもといて、分析して、そこから、自分なりの老いのありかたを見付けることになります。<世界内存在>としての人間の老い方、生き方を・・・。
世界内存在・・・、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、カール・ヤスパース、ハンナ・アーレントと同じ、実存主義哲学者・・・。
<たかが部落差別・・・>発言・・・
筆者のブログ『部落学序説』の一節から引用・・・。
<「下松から造船の灯を消すな」という市民集会には、地元のひとはのちのち差し障りがあるから・・・、というので、「よそもの」の筆者に、市民代表としてのあいさつ(アジ演説)がまわってきました。今から考えると、若気のいたりというか、「世の光・地の塩」の役をつとめなければならないという「使命感」にとんでいたというか・・・、思い出しても赤面せざるを得ない「演説」をしたものです。「ひとが企業をつくる。ひとを大切にしない企業はやがて滅びる。ひとが国をつくる。ひとを大切にしない国はやがて滅びる・・・」、みたいな発言をしたように思います。
筆者の演説はまったく、時代状況とは無縁で、その後、日本の国も企業も、「ひと」を軽んじる方向に突っ走ってしまいました。バブルがはじけてから、その傾向はますます強くなり、小泉政権下においてはその傾向が一段と加速されました。「格差」の問題は、国や企業が「ひと」(国民・市民)を軽んじてきた結果にほかなりません。
話が脱線しましたが、その「やられたらやりかえせ」の上映運動のあとの懇親会に、筆者が所属する日本基督教団西中国教区の「キリスト教社会館」(広島市内の被差別部落の中にある私設隣保館)の青年が、キャラバン隊の一員として参加していました。そのとき、自己紹介の席で、彼が、「やられたらやりかえせ」の上映運動に参加するようになって、「たかが部落差別と思うようになった・・・」と話したのです。キャラバン隊の彼のことばに反応するように、上映運動の執行部側のひとり、高校教師で市の同推協のメンバーをしているひとが、「そうだ、そうだ、たかが部落差別だ!」といったのです。
自己紹介が筆者の番にまわってきたとき、筆者はそのことに触れざるを得ませんでした。「被差別の側から、「たかが部落差別・・・」というのは理解できるが、差別者の側から、「たかが部落差別・・・」というのは問題ではないか・・・、と発言しました。「たかが・・・」ということばは、考察の対象を軽視するときに使用されることばです。被差別の側が、「たかが部落差別・・・」といって、自己の直面する部落差別を相対化して差別と闘うということもあるのですが、差別者の側が「たかが部落差別・・・」と相対化することに問題を感じたからに他なりません。
そのとき、懇親会に参加していた部落解放同盟新南陽支部の方々が、「その通り・・・」とあいのてをいれられていました。そのことが影響したのかどうかはわかりませんが、その後、部落解放同盟新南陽支部のある被差別部落の中の隣保館で開かれた写真展に招待され、生れてはじめて、自分の意志で、被差別部落をたずねることになりました>。
土井たか子が衆議院議長になったとき、その高校教師、筆者にこのように語り掛けてきました。<やがて、社会民主党が政権をとり、新しい時代がやってくる。そのとき、吉田牧師は、その恩恵にあずかることはできない。>と・・・。そしてまもなく、筆者、社会党関連の集会に参加することをすべからく拒否されることになりました。「下松から造船の灯を消すな」の集会で演説した筆者、その直後に共産党関連の機関からも批判され、誹謗中傷を受けることになりました。
無神経な学校教師の一言・・・
岸衛・桜井厚著『差別の境界をゆく 生活世界のエスノグラフィー』の中にこのようなことが書かれていました。
<高校に行ったFさんは、自分からはあえて言わないが、聞かれたり、「ここは大切や思うた時には自分を語る」ようになっていった。いつしかいろんな集まりでも話すようになった。「みんなに差別をなくすように考えてもらいたい。自分も差別を考えることで、自分の生き方を高められるようになった。そういう意味で、この問題を考えることは自分の趣味みたいなもんです」と話したとき、他の高校の先生から「こんな厳しい問題を趣味だというのは、間違っている」と言われて、それ以降、彼女は本当にわかってくれる人以外には、自分を語らなくなったという。しかし親に支えられながら、自分を見失うことなく生きてきた・・・>。
学校教師が教師であるがゆえに、なにげなく語る一言が、被差別部落の子供たちのこころをいかに傷つけることになるか・・・、上の例は、その一例でしょう。もし、<間違っている>と指摘した学校教師の部落差別に対する認識のあまさ、同和教育に対する独善・偽善を指摘する人があらわれたとしたら、その学校教師は、どう対応するのでしょうか・・・?<自分は、同和教育担当者として正しい主張をしている。それを問題視するのは、私に対する誹謗中傷だ。>と反撃することになるのでしょうか・・・。被差別部落出身であることを自分の課題として受け入れ、差別と闘って生きて行こうとするFさんの気持ちをそっちのけで、何ら配慮することなく・・・。
<人権教育をやりかけると、差別事件がいっぱい起こる>、同和教育担当の教師からも、その同和教育を受ける生徒からも・・・。Fさんのこころを傷つけた学校教師の言葉が問題にならなかったのは、学校教師にも<差別意識がある証拠>と受け止め、彼らをも同和教育の担い手にしたいと考える被差別部落の側からの配慮にすぎない・・・。
『田舎牧師の日記』以来の読者の方から小包と電話が・・・
昨日、『田舎牧師の日記』以来の読者の方から小包が送られてきました。
妻が、その小包を開けると、中には、みかん・ゆず・レモン・キンカン・銀杏と南天などの切り花が入っていました。妻は、<愛知のひとの家の庭、とてもひろいのね・・・。どの柑橘類も、農薬・除草剤を使っていないものよ・・・。>と話しながら、同梱されていたクリスマスカードを開いて見ていました。そのとき電話が・・・。柑橘類を送ってくださった愛知のひとからでした。
妻と話をしたあと、筆者が電話に出て話をしましたが、話の内容は、愛知と福島の気候の違いについて・・・。愛知では、家の庭に柑橘類がいろいろ実をつけているのに、妻のふるさと、福島の湖南では、柑橘類の栽培はほとんど不可能・・・。庭に無加温の簡易温室のあったときは、ゆずの木が数十個の実をつけていたのです、国道294号線のバイパス工事で解体撤去になったとき、ゆずの木を移植しましたが、ゆずの木は、マイナス7°Cで枯死するといわれています。湖南の赤津村は、マイナス18°Cになることも少なくありませんので、移植したゆずは枯死してしまいました。
いろいろ話をしたあと、筆者、現在の『隠退牧師の百姓日記』について、感想をお聞きしました。その方の話しでは、内容について、特に、問題にされるようなところは見受けられないとか・・・。『隠退牧師の百姓日記』の累計アクセス件数は、25,814・・・。『田舎牧師の日記』のころの累計アクセス件数とは比べ物になりません。法務省通達に基づき、Gooblogの事務局が差別文書として閲覧禁止・削除処分の対象にしてくるような筆者のブログですので、この程度のアクセス件数でも、善戦しているといっても過言ではないでしょうお。法務省の差別的通達がもたらした言論弾圧下での発言ですから・・・。
晴れて後期高齢者に・・・
今朝、5:30に起床・・・。いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。簡単に食事をとったあと、午前7:40に、郡山の運転免許試験場に向かいました。手続きをしたあと、写真撮影と視力検査を受けて、待合室で待機、即、新しい免許証を受け取りました。試験場をあとにしたのが、9:10・・・。9:30に開店するスーパーの駐車場でまって、開店と同時に店に入り、妻に頼まれていたものを購入して、すぐ帰路につきました。家に着いたのは、午前10:30・・・。
今朝は、積雪がなくて、除雪作業をする必要もなかったし、路面も雨で凍結もなくなっていましたので、普通に走行することができました。
筆者、75歳になり、今日晴れて、後期高齢者になりました。心配していた視力検査も無事通過・・・。運転する妻のくるま YARIS は、サポカーですので、安心して運転することができますが、今日、走行しているとき、フロントガラスの下側に沿って、左から右へ走り抜けていくイタチに遭遇しました。時速50kmで走っていたので、イタチは道路を斜めに横断していたのでしょう。イタチとすれ違うとき1mは間があったと思われます。ともかく、イタチをはねないでよかった・・・。そのあと、カーブの中央線からはみ出して突進してくる軽乗用車に、センサーが反応して警告音を出していました。運転していたのは、高齢者・・・。
保険会社の車載器の安全運転診断は、雪も帰りも 判定はAでした。
2022/12/21
ふと20歳になったときのことを思い出す・・・
まもなく75歳になり、後期高齢期に入る筆者、75歳を人生のひとつの区切りと考えているのでしょう。
そのためか、今日、人生のひとつの区切りである20歳の誕生日のことを思い出しました。20歳になった、筆者の思いを綴った歌・・・。あらためて読みなしてみると、なにか、人生の絶望の淵を歩んでいるような歌ばかり・・・。75歳を迎える筆者、20歳の頃の歌をうたうことはできないでしょう。主イエスさまを信じることによって与えられた人生のあゆみを振り返るとき、ただただ感謝するのみ・・・。
冬枯れの
空どんよりとくもりおり
二十歳になりし我が行く手には
人の世の
夢は消えゆく我なれば
主イエスのみことば信じて歩まん
暗きとき
歩めど我に光あり
主イエスのみことば我に届けば
暗雲の
立ちはだかりて見えぬとも
我には見える主のみ姿を
主の前に
捨てし重荷を主の前に
再び負ひて主に従わん
悲しみの
深きによりて語ること
少なくなりて主をのみ仰ぐ
人と世に
見捨てられし身なれども
主は捨てまじな我信ずれば
人知れず
痛みに耐えて二十歳まで
歩みし我の痛みは続く
今日は一日晴れ、猪苗代へ買い物にでかける・・・
今日の猪苗代は、スーパーも、ホームセンターも、高齢者の客でいっぱいでした。駐車場も混雑していました。妻は、<誰も考えることは同じね・・・。雪がやんで晴れた日に買い物を済ませておこうとする高齢者ばかり・・・。>と話していましたが、平日なのに、高齢者の買い物客でごったがえしている光景は、北国・雪国ならではの光景でしょうか・・・。
雪の積もった真っ白な雪原に群れをなしているコハクチョウの姿を見て、妻は、<コハクチョウさんたちは、雪国にあっては、ステルスよね・・・。真っ白な雪の中に、真っ白なコハクチョウが群れていても、気がつかないで通り過ぎてしまう可能性があるんですもの・・・>と話していました。国道49号線を走りながら、下手な歌を読む・・・。
猪苗代
杉の梢に積もる雪
重みに跳ねて雪落ちにけり
猪苗代
波に揺られて浮き沈み
楽しむ如くカモ水あそび
親は白
子供灰色コハクチョウ
子育て家族の仲睦まじき
幸いなるかな、富める者・・・?
<Blessed is the rich person who is found blameless,
and who does not go after gold.
<幸いなるかな、富める者・・・>に相応しい人は、誰だと思いますか? 『旧約外典』の『Ecclesiasticus』31・8節以下を読んで見てください。もしあなたが、<自分は富めるものではない・・・>と確信することができたら、あなたは、主なる神さまの前で幸いなひとです。
2022/12/20
夜、『Biblia Sacra Vulgata』を開くと・・・
夜、ラテン語訳聖書を探しました。『Nouum Testamentum Latine』は、すぐ読める書棚に置いているのですが、『Biblia Sacra Vulgata』をどこに移動したのか、思い出せなくて、いろいろ探していました。
この前、スペイン語・イタリア語・フランス語の辞書・文法書・入門書など、インターネット経由で集めて書斎の書庫に並べていましたが、そのときついでに、ラテン語の辞書・文法書・入門書も再配置しましたが、そのとき、『Biblia Sacra Vulgata』も一緒に並べたようです。『Biblia Sacra Vulgata』は入手してから、ほとんど読んでいません。それで、ページを開いてみると、最初に目にとまったことばが、
vana spes et mendacium insensato viro et somunia extollunt inprudentes
quasi quii adprehendit umbram et presequitur ventum
筆者の蔵書3,600冊は、筆者がそのような状況に陥ることから守ってくれているようです。読書は、すべからく温故知新のため・・・。ふるきをあたためることなくして、あたらしいことをしることはできない・・・。
会津磐梯山と稲の虫・・・
今日、郡山の眼科に行ったとき、予診の担当者の方が、筆者が提出した問診票を見ながら、筆者に質問してきました。
担当者:今日は、免許更新のための視力検査と、もし規定の視力に達していないときは、眼鏡の処方箋を求めておられるのですね。
筆者:はい。この前、高齢者講習を受けたときに、眼科で一度検査してもらったほうがいいと言われたので・・・。
担当者:眼鏡の度があっていないということでしょうか?
筆者:私は、日ごろは眼鏡をかけていません。くるまを運転するときにだけ眼鏡をしています。棚田の田で農作業するとき、遠くを見れば会津磐梯山がはっきり見えますし、そのあとすぐ近くを見れば、稲の穂によってきている虫を見付けることもできます。遠くも近くもメガネなしで見えるのですが、くるまを運転するときはやはり眼鏡をかけないと・・・。
眼科医の診察を受けたときに、同じ話をしましたが、眼科医の方、<あなたは近眼ですからね。近くは眼鏡なしでよく見えます。しかし、くるまを運転するときは、裸眼視力0.4ですから、かならず眼鏡をかけてください。>と話しておられました。
筆者、『旺文社・ハンディ英和辞典』を老眼鏡なしで読むことができます。English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するこころみに挑むのも、75歳の後期高齢期にはいっても、本が読めて、頭で考えて、字が書けるから・・・。
眼科の鏡に映った筆者の手を見て・・・
今日、郡山の眼科に行ったとき、その鏡に映った手を見て、<ずいぶん歳をとった手だなあ・・・>と思って、よく見ると、それは筆者の手でした。
妻の実家のおとうさんは、筆者の手を見て、<ずいぶん、苦労してきた手だなあ・・・。おらと同じだ・・・>と話していたことがありますが、それから10数年、筆者の手は、標高550mの湖南高原の棚田と段々畑で有機・無農薬栽培してきたため、さらに<苦労>を刻み込んでしまったようです。
診察時間がくるまで、筆者、両手の指を OutStretch していました。昨日、除雪作業をしているとき、左手に痛みがきていましたので、左手の指を念入りに・・・。左手の人差し指の動きを、右手の人差し指の指の動き、そして、動かすときにどのように左手に痛みがくるのか、観察しながら、OutStretch しましたが、1時間ほど、10本の指をOutStretch しますと、昨日除雪作業でいためた指の痛みを取り除くことができました。
まもなく75歳になり、後期高齢期に入る筆者、ほんとうに、体の健康の維持は自転車操業です。もしかしたら、からだだけでなく、こころもあたまのはたらきも、そしてたましいも自転車操業をしているのかもしれません。健康管理を怠ると、たちまち、人生に終止符が打たれるような気がします。
武漢ウイルスの感染者数・・・
テレビニュースで、いつも、中国共産党が世界制覇のために生物兵器として開発した武漢ウイルスの感染者数を追っているのですが、今日の午後、インターネットの World Meter で確認してみました・・・
筆者と妻、これからも、生物兵器武漢ウイルスの初期の学者による分析を参考にして、風邪症候群&インフルエンザ症候群&性病に対する予防対策を徹底するつもりです。
ウクライナに対して侵略戦争を遂行しているロシア、ロシア兵に10万近い死傷者を出しているそうですが、中国共産党が開発した生物兵器武漢ウイルスによるロシア人の死者はまもなく40万に達します。
雪路の休石温泉・・・
郡山から湖南に戻るとき、県道6号線を走りますが、その途中、休石(やすみいし)温泉の傍をとおります。そのとき休石温泉の桜並木の枝に雪が積もって、満開の花が咲いたように見えました。それで、詩心、歌心、句心のない筆者は、その感動を、5・7・5・7・7で綴ってみました。おもいつくままに・・・。
休み石
温泉桜の雪化粧
花の白さは今盛りなり
人生の
老いの旅路の休み石
出湯につかり超ゆ一里塚
三森の
峠を越えし旅人の
疲れを癒す
湯の休み石
休み石温泉の自然の美しさを、筆者の下手な言葉で綴ると、休み石温泉の関係者の方々からクレームが出されるかもしれませんね。<休み石温泉を誹謗中傷するな!即刻削除しろ!削除しないと、法的手段に訴えるぞ!>と・・・。それにしても、雪路の休石温泉の桜並木・・・、とてもきれいでした。
今日は郡山の眼科で視力検査を受ける・・・
眼科は、患者さんでいっぱい・・・。筆者、かろうじて、その駐車場にくるまをとめることができましたが、少し到着が遅れていたら、ほかに駐車場を探さなければなりませんでした。換気をよくするために、空気の流れがはやく、待合室で待っている筆者のあしもとを冷たく通り過ぎていきます。それで、筆者、くつをぬいで、ソファーの上で座禅をくみました。
視力測定の結果は、今使用しているメガネをかけて、右は0.8、左は0.9、両眼で1.0とうことで、運転免許の更新に支障はなく、メガネの買い替えも必要ないとのことでした。すぐ妻のスマホに電話して、メガネの買い替えは必用ないと伝えました。レンズはガラスなので、ほとんど傷はついていません。これで、免許更新手続き期間中に免許更新できそうです。妻に連絡したあと、帰路につきました。
2022/12/19
3時間の除雪作業で、体力消耗してダウン・・・
午後、午前中の除雪作業で、体力を消耗して、筆者も妻もダウン・・・。
妻は、黒猫黒兵衛と一緒に、居間のマメタンこたつに足を突っ込んで仮眠をとっていました。筆者は、書斎の Winows10Pro から、インターネットにアクセスして、ウクライナ情勢を確認・・・。そのあと、最近のパソコン事情に関する情報をチェックしていました。午前中3時間、まっしろな雪と格闘していましたので、筆者の眼は、どうやら、<雪目>になったようです。除雪作業をするときは、<雪目対策用目薬を差してから除雪しなければならない>という原則を忘れてしまっていたようです。次回からは、雪目対策(紫外線対策)用の目薬を差して除雪することにしましょう。
まもなく75歳になる筆者と67歳の妻と、やはり、高齢化の波には逆らえず、3時間のハードな除雪作業は<重労働>・・・。寒すずめたちが、えさの玄米を食べにくるので、それを妨げないように、除雪作業を急ぎましたから・・・。除雪作業を終えると、40~50羽の寒すずめたちが、母屋の軒の下の餌場に集まって、ついばんでいました。除雪作業をしているとき、妻が、スズメたちに語り掛けていました。<もう少し待ってね。できるかぎり早く除雪をすませるから・・・>。しかし、待ちきれないスズメたちが、近くで玄米をついばんでいました。
午前10:00~午後1:00、庭の除雪作業・・・
今朝も大雪・・・。福島県では、記録的な大雪になったとか・・・。今朝の積雪量は、60~80cmでした。
午前10:00~午後1:00、妻とふたりで、庭の除雪作業をしました。国道294号線のバイパス工事で、妻の実家の門柱の角に流雪溝を作ってくださったので、除雪作業が、とても楽になりました。以前は、筆者と妻が除雪作業をはじめると、上流で雪を詰まらせて、水が流れるのをせき止められてしまいました。冬の嫌がらせにじっと耐えてきた筆者と妻、国道294号線のバイパス工事の住民説明会のとき、閲覧が許可された工事設計図を見て、湖南行政センターに行って、<東・南・西の3方向を道路に取り囲まれると、冬の雪の捨て場がなくなります。次第に歳をとってくるし、大きな交差点を横切って雪を捨てに行くことがままならなくなりますので、善処してください・・・>と要望しました。その時、湖南行政センターの担当者の方、<まだ設計段階ですから、要望にお応えすることが可能です。これが、工事が始まってからの要望ですと、お応えすることができませんが、よく、真夏の説明会で、冬のことを思い浮かべることができましたね・・・>と話しておられましたが、そのあと、設計変更がなされ、妻の実家の門柱の間の側道に、流雪口を設置してくださることになりました。まだ、工事途中ですが、流雪溝には水がたくさん流れてきますので、いつでも除雪した雪を流しこむことができます。
国道294号線のバイパス工事が完了したときには、当分、用水路の工事はなさそうですから、筆者と妻の晩年の除雪作業の環境が整えられたことになります。湖南行政センターは、住民の要望に誠実に対応してくださるようです。
昨夜、古文書読解と画像処理、English Writing の技法の確認・・・
昨夜、古文書読解と画像処理、English Writing の技法の確認していました。
古文書読解法については、すでに確定しています。筆者が、いろいろな関連書籍を参考にしてつくった『近世文書誤読事典』が、筆者固有のツールになります。画像処理は、写真に撮られた古文書を最適な状態に復元・修正するためのものですが、昨夜、使用を断念していた画像処理のツールを、Windows11Proのパソコンにインストールしてみましたが、快適に作動することがわかりました。English Writing の技法については、必要かつ十分な関連書籍・ツールを入手済・・・。
哲学・論理学・言語学・歴史学・古文書学・法学・社会学・民俗学・人類学・医学・看護学・農学・・・など、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するための史資料と研究法は、ほぼ入手済です。
今朝は、大雪・・・
今朝は、5:30に起床・・・
いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読しました。『旧約外典』の『Ecclesiasticus』に、誹謗中傷する人に対する接し方、悪しき隣人(借金の保証人になることをお求める人)に対する接し方が記されていました。人間は狡猾ですから、その人が敵とみなす相手を滅亡させるために、善人のふりをして、誹謗中傷したり、借金の保証人になることを求めたりします。
今朝、BSニュースをみていましたら、アメリカで今ベストセラーになっている『Believe It』の著者、ジェイミー・カーン・リマさんのインタビューが放送されていました。そのなかで、リマさんは、「人生においても仕事においても最も大事なことは、私たちの周りの外野の、私たちを否定してくる声のボリュームを下げることです。そして、自分の中にある声に耳を傾けること。他人はあなたが成功した後に信じてくる、それが人間です。」と話していました。
また、「もし今あなたがこれまでに一度も行われていなかった何かをやろうとしていて、専門家たちが『うまくいくはずない』と言ってあなたを信じなくても驚かないで下さい。みんな前例があることばかりをうまくいくと信じるんです。でも世界を変えることができるのは、これまでにやったことがないことを、できると信じ続ける人です」、「人生で、ビジネスで、キャリアで、成功するための大きなカギは、あなたができるかどうかを疑うほかの誰かの疑念を、自分自身の疑念に変換しないことです。とても難しいですが大切なことです」とも話していました。
2022/12/18
妻は、昨日、スマホで孫と話をして・・・
昨日、郡山に住んでいる娘から、妻のスマホに電話がかかってきました。娘にかわって、妻と、スマホで話をしたのは、まごの向学ちゃん・・・。
いろいろ話していたようですが、妻は、なかなか聞き取れなかったようです。しかし、<ばあば、はたけ、げんきか?>といわれて、妻は、<今は雪でうずまって、元気ではないみたいよ>と答えていました。
筆者、<向学ちゃんは、おかあさんから、「このお野菜は、ばあばが、はたけで、有機・無農薬でつくったニンジンやホウレンソウよ。たべると、元気になるわよ」といつも言われているのではないの? 向学ちゃんは、それを、ばあばにつたえたくて、「ばあば、はたけ、げんきか」といったんじゃないのかなあ・・・?>と、あとで、妻に話しました。
娘の話だと、このまえ、筆者と妻が、郡山駅前のヨドバシカメラで買ったクリスマスプレゼント、向学ちゃんはすっかり気に入ったようで、毎日、それで遊んでいるとか・・・。向学ちゃんのおとうさん、おかあさんも、クリスマスプレゼントを考えているようなので、それに抵触しないように、はやめにクリスマスプレゼントを届けましたが、向学ちゃんに気に入ってもらったようで、プレゼント選びは大正解でした。
筆者の老後のパソコンは、Chromebook で十分・・・
筆者のパソコンは、サポート期限を迎える、
1.Windows Server 2012R2
2.Windows8.1Pro(携帯用ノートパソコン)
と、現在、Windows8.1ProからWindows10Proへ無償バージョンアップできた
3.Windows10Pro(ノートパソコン)
それから、Windows11Proがインストールされた
4.Windows11Pro(ディスクトップパソコン)
5.Windows11Pro(ノートパソコン)
の5台ですが、1.と4.と5.は日本製のパソコン、2.と3.は台湾製のパソコンです。数年後には、すべて日本製のパソコンになっていると思われますが、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆する必要がなければ、GoogleのChromebookで十分です。英語・ドイツ語・ラテン語・ギリシャ語・ヘブル語の聖書が読めれば十分です。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、まかりまちがっても、English Writing で神学論文を書こうなどとは夢に思っていませんから・・・。筆者の手元にある神学関連の史資料・論文集は圧倒的に少ないですから・・・。清貧生活を余儀なくされた筆者には、高価な神学の英書・独書を入手することは不可能でした。
『ライティングのための英語ハンドブック』が届く・・・
今日、除雪作業をしているとき、12月7日朝に Amazon に注文していた、『ライティングのための英語ハンドブック』が届きました。
仮眠から覚めたあと、開封して、この『ライティングのための英語ハンドブック』のページをめくってみましたが、なにとなく、研究社の『New Handbook of English』(1967年)の第5篇・作文と英訳の構成と内容に酷似している感じがしました。もちろん、1冊の本である『ライティングのための英語ハンドブック』の方が分量が多いのですが・・・。筆者のこれまでの Englis Writing 力を継承して発展させてくれる可能性のある本であるようです。
筆者の English Writing 力を向上させるためには、『New Handbook of English』(1967年)を完全にマスターするのが最短の道であるようです。これまで、集めた、English Writing に関する本は、辞典・事典・文例集というより、English Writing のための<読み物>であるようです。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者が、<Google 翻訳>機能を、筆者の<知的生産の技術>に組み込むためには、English Writing の再学習が必須でした。日本語の『部落学序説』を英語に翻訳するのではなく、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆することを決断したために・・・。
雪が降り続く中、除雪作業・・・
午前10:00~12:00、雪が降り続く中、妻とふたりで除雪作業をしました。1階の屋根の雪と農機具の小屋の屋根、普通車の仮車庫の屋根の雪下ろしをして、庭の雪をハンディラッセル、ままさんダンプで流雪溝まで運んで流しこみます。
朝は、昨日に比べて30cmほど積雪していたようですが、今日は、スムースに除雪作業ができました。
しかし、昼食をとったあと、筆者、疲れて、1時間半ほど仮眠をとりました。寝ている間にも、しんしんと雪が降り続いていたようで、かなり積雪していました。午後降った雪は明日、除雪することにしました。
この前、郡山に行ったとき、<ワークマン>という作業服専門店によって、長靴を購入しました。購入するとき、店員さんに、<冬、道路工事にたずさわっているひとが履いている長靴ありますか?>と尋ねますと、若い男性の店員さん、<着ている服についてはいろいろ質問されたことがありますが、長靴はあなたがはじめてです>とか・・・。それで、筆者、<ここで買った長靴は、どれも寒さに強いということですね・・・>と勝手に解釈して、その店のブランド商品を買ってきました。そして、昨日と今日と、その長靴を履いて除雪作業しましたが、足の裏から冷えが伝ってくるということはありませんでした。ウインタースポーツ用の長靴の半額、2,980円で、耐寒用の長靴を手に入れることができました。
ちなみに、筆者が除雪作業をするときに来ている防寒用ヤッケは、1,280円でした。北国・雪国には、必需品がけっこう安価に入手することができるようです。デザインをあまり気にせず、実用一点張りで選択すれば・・・。
『英訳聖書』(NSRV)を通読し終えたあとは・・・
昨夜、午前1:00ころまで読書していた筆者、今朝目がさめたのは、7:30・・・。そのあと、いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)の通読の続きをしましたが、筆者は、キリスト教的環境のなかに置かれていなかったにもかかわらず、中学1年生のときに『新約聖書』を読み、高校1年生のときに『旧約聖書』を読み、高校2年生のとき、高校の裏山の竜王山に40日間連続登山をして、頂上の岩場で座禅、聖書の神を信じて生きていく決断をしました。その話を親友の尾崎くんにしますと、彼は、筆者に、Sweden Covenant Mission の宣教師を紹介してくれました。そして、高校3年生の2学期に、その宣教師から洗礼をうけました。それ以来、筆者は、聖書のことばを、筆者の人生のみちしるべとして生きてきましたが、17歳のときの決断は、まもなく75歳の後期高齢期に入る筆者にも通底しています。
筆者は、聖書主義であっても、キリスト教主義ではない・・・。日本の<キリスト教主義>は、<教派主義>に大きく傾いており、日本基督教団においては、<社会派>と<福音派>の葛藤が続いていますが、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者は、いずれにも組み入れられることがなく、<Church Outsider>として、聖書主義・敬虔主義・合理主義・相対主義・実存主義の生き方をつらぬいています。筆者は、団塊世代に属するものの、団塊世代の特徴をほとんどもちあわせていません。団塊世代の<落ちこぼれ>として、独立独歩の生き方をしてきました。群れからはずれても独りで生きて行ける・・・、というのも、団塊世代の特徴のひとつであると評する人も少なくありませんが・・・。
『英訳聖書』(NSRV)を通読し終えたあとは、『Die Bibel Die Gute Nachricht des Alten und Neuen Testaments 』を通読することにしましょうか・・・。それとも、もう一度、『The New English Bible with the Apocrypha』を読むことにしましょうか・・・。前者は旧約外典を含んでいませんので、旧約外典を含む後者の方がいいかもしれませんね・・・。それとも、『Septuaginta』を読んだ方がいいのかも・・・。残された人生の日々は少ないのですから・・・。75歳になってもなお、『Septuaginta』を通読しようとする気力をあたえてくださっている主なる神さまに感謝することにしましょう。
2022/12/17
書斎のノートパソコンのウイルス感染のチェック・・・
昨日と今日の2日間、筆者の書斎の、無償バージョンアップしたWindows10Proノートパソコンのウイルス感染のチェックをしました。チェックがはじまってから終わるまで、なんと28時間もかかってしまいました。
削除済のファイルが全部で6件・・・。
とりあえず、書斎のWindows10Proのノートパソコンのシステムがウイルスに汚染されていないことを確認できたので、ほっとしました。いま、書き込んでいるのは、Windows11Proのノートパソコンからです。筆者のクライアントサーバーシステムのWindows Server 2012R2 とクライアントパソコンには、秘匿すべき個人情報は一切含まれていません。もちろん、他者の秘匿すべき個人情報も保存することはありません。たとえば、被差別部落の地名とか人名とか、仮名で表現することはあっても、実名で表現することはありません。部落差別の解消については関心をもっていますが、被差別部落の地名と人名そのものについては、なにの関心もありません。
小人閑居して読書する・・・
<小人閑居して読書する>
鷲田小彌太著『晩節を汚さない生き方』の中に出てくる小見出しの言葉です。哲学教授の鷲田小彌太さんの説では、<大人>とは<読書する知識人>のことです。<小人>は<大人>の反対語ですから、<読書しない無学の人>を指すのでしょうか・・・。
しかし、鷲田小彌太さんは、人間をそんなに簡単な二分法で区別するような人ではなさそうです。<大人>(たいじん)と<小人>(しょうじん)の間には、無数の段階があり、<大人>といえども、人生の晩年、すなわち晩節においては、<小人>に転落するひともいれば、<小人>といえども<大人>への道をたどる人もいる・・・。<大人>が<晩節に閑居して、不善に陥る>ことも少なくない世の中で、<小人閑居して読書する>ことで、<晩節を全うする>ことは、哲学教授・鷲田小彌太さんは、その気になれば、誰にでもできることだといいます。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、誰にでもできる可能性のあることを、ただ実践しているだけ・・・。
Academic Insider と Academic Outseider の違いを知らないわけではないないのですが・・・
ひとつの論文を書くのに、どれだけの史資料・論文を読破しなければならないのか、どの本のどの<Bibliography>を一瞥するだけですぐその違いが分かります。
たとえば、Anthony Philips著『Ancient Israel's Criminal Law』の<Bibliography>をみても、そこには、約400冊の英語論文・独語論文などが列挙されています。この論文を批評できるのは、それらの400冊をすべて検証できる <高学歴・高資格(Academic Insider)>の学者・研究者・教育者だけであるとするなら、その論文にどれほどの価値があるのでしょう。『Ancient Israel's Criminal Law』は、<無学歴・無資格(Academic Outseider)> の筆者でも読めて、English Writing の参考にすることができるときに、はじめて、その読者のすそ野を広げることができるのです。<象牙の塔>の論文など、<無学歴・無資格(Academic Outseider)>の筆者とは何の関係もありません。
午後、『New Handbook of English』の第5篇・作文と英訳を読む・・・
午後、居間のまめたんこたつに足をつっこんで、研究社の『New Handbook of English』(1967年)の第5篇・作文と英訳を読んでいました。55年間も、筆者の英語文法の教科書であったとは・・・!
大学進学の夢が絶たれたとき、独学のために入手した文法書です。
今日、Amazon に注文した、『ライティングのための英文法ハンドブック』のレビューには、こんな言葉がありました。
<現代の辞書と文法書がかなりダブってきている傾向がライティングにまで及んだという新機軸の画期的書。辞書でジーニアスが新展開の道を作ったように、本書が単なるネイティブによるミス指摘型の指南書とは全く違う道を作っていると推察される。
辞書の世界では文法書のお株を奪うほどの語法充実ぶりが見受けられる。そして、語選択も膨大なコーパスを構築してその分析結果を反映するのが当然となった。
Amazon からのメールでは、すでに発送したとか・・・。古本であるにもかかわらず、すみやかた対応、昔は、書店で新本を注文すると、入手するのに最低でも1週間はかかったのですが・・・。
『New Handbook of English』に、このような言葉がありました。<自分の使いこなせるだけの英語を使って楽に自分の思うことが言い表せるようになって、はじめてじょうずな和文英訳を心がけるべきなのである>。筆者が、Emglish Witing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するためにあつめた資料は、中学3年~高校1年程度の英語で英語論文がかけるようになるための本ばかりです。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者の身の丈にあった English Writing です。
ブログ『部落学序説』をかきはじめたとき、高学歴・高資格を誇る部落史研究の学校教師から、<歴史研究法を読んだところで、歴史論文が書けるはずがない・・・>と愚弄されたことがありますが、今回も同じ愚弄を繰り返されるのでしょうね・・・、無学歴・無資格(Academic Outsider)である筆者が、<English Writing に関する本を読んだところで、英語論文が書けるはずがない>と・・・。『New Handbook of English』も『ライティングのための英文法ハンドブック』も<ハウツウ>ものでしかありませんから・・・。今回、English Writing のために集めた、辞書・事典・例文集の40冊は、初心者向けの<ハウツウ>ものばかり・・・。
昔と違って、今は、大学を出たということは、自由に、English Writing で英語論文を書ける能力を身に着けているということを意味するのでしょう。今の日本の社会には、大学を出ていない者に、英語論文など書けるはずがないという、<学力>を<学歴>でしか判断できない人<学歴差別主義者>という魑魅魍魎が、跳梁跋扈しているのでしょうね・・・。そうでなければいいのですが・・・。
朝、すずめたちが玄米を食べにやってくる・・・
今朝は、朝日が差し込んでいました。庭木の枝には、寒すずめたちがとまって、さえずっていました。そして、1羽、また一羽と、庭におりたって、歩いて、玄米をまいている、母屋の軒のしたまで歩いて行きました。
筆者、妻と一緒にその光景を見ていましたが、唱歌に<雀の学校>というのがありますが、その歌詞にでてくる、<むちをふりふり・・・>というフレーズは、妻の実家の庭にやってくるスズメたちを見る限りでは、スズメの自然の生態にはふさわしくありません。子すずめたちは、親すずめの言葉(なきごえ)にとてもすなおにしたがっているからです。親すずめの言葉にさからう子すずめはほとんどいません。すくなくとも、筆者と妻、これまで一度もその光景を見たことがありませんから・・・。スズメたちにふさわしい唱歌は、
スズメの学校のスズメたち
誰が生徒か先生か
誰が生徒か先生か
みんなで元気に遊んでる
スズメだけでなく、コハクチョウもカリも、リーダーにすなおに従っている。コハクチョウのリーダーは、群れの一番最後について、一羽も落ちこぼれをださないように配慮することを忘れない。自分についてくる生徒だけをかわいがる、偏愛する教師は教師ではない。教師としての特権、指導的立場(むち)をフル活用して、生徒に、その教師の価値観を押し付け、生徒をいのままにあやつろうとする教師は、教師の名に値しない。生徒は、その教師の立身出世のための道具ではない。生徒に尊敬されない名ばかりの教頭・校長ほど、滑稽な存在はない。たぶん、歩むべき道を間違ったのでしょう。<でもしか先生>のなれのはて・・・。
『ライティングのための英文法ハンドブック』を注文・・・
朝、メールをチェックしていて目にとまった、Amazon からの広告・・・。すすめられていたのは、『ライティングのための英文法ハンドブック』でした。
<英文を書く際に必要な文法・語法上のポイントをまとめたハンドブック。
英文法書のほとんどは文法のための文法書だが、本書では、日本人が英文を書くときに迷う項目に焦点を当てて、英作文に必要と考えられる文法・語法の問題点を取り上げた。文法的に誤りのない英語を書くということはもちろんだが、英語らしい英文を書くための視点も随所に盛り込み、単語や構文のコーパスに基づく実際の使用頻度にも言及してある>。
読者の評価を2~3みて、即注文しました。Amazon からの広告メールですぐ購入を決めたのは、今回がはじめてです。筆者の英文法ハンドブック、研究社『英語ニューハンドブック』は、50年以上前のものなので、適当な英文法書を探していたのですが、これまで、これといったものに遭遇しませんでした。English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するときの参考資料になりそうなので、即断即決を決めました。価格は送料込みで710円・・・。
2022/12/16
こんな教師にだけはなりたくない・・・
筆者は、小学生・中学生のときは、将来、中学校の教師になるのが夢でした。筆者がそういう夢を抱くようになったのは、尊敬すべき多くの中学校教師にであったからです。最初にであった中学校教師は、担任の尾崎節子先生でした。高校2年の担任は、尾崎淳之助先生でしたが、尾崎節子先生のご主人でした。中学・高校の担任の先生のなかで、そのご自宅へ遊びに行ったことがあるのは、尾崎淳之助先生、節子先生だけでした。
しかし、なかには、<こんな教師にだけはなりたくない>と思ったのが、中学2年の担任教師でした。あるとき、ホームルームの時間で、彼がこんなことを言い出しました。<隣の中学校に問題生徒がひとりいる。隣の中学校の教師がもてあまいているので、この中学校で引き受けることにした。彼は、私のクラスで引き受けることにした。彼のおとうさんは、いわゆるやくざといわれている人だが、親がそうだからといって、子供もそうだというわけではない。この中学校で新しいともだちができれば、彼も変わる可能性がある。そこで、みんなにお願いがある。だれか、彼のともだちになってくれないか・・・>と。その教師のことばを聞いたクラスの生徒はみんな黙っていました。その教師は、強い語調で、<誰もいないのか!>というので、筆者、手をあげて、<先生、私がその生徒のともだちになります>と答えました。
隣の中学校から転校してきたAくんは、転校してくるなり、同級生いじめをはじめました。とくに、女子生徒を・・・。筆者、女子生徒をいじめている彼の所へ行って、<おんなの子をいじめるなんて、おとこのやることではない。>と語り掛けると、<先こうでも、おれに説教しないのに、お前はおれに説教するのか?>と怒って、筆者になぐりかかってこようとしましたが、<おめえは、おれのともだちになっていいっていったんだってなあ。ともだちになってくれるひとをなぐってはいけねえなあ・・・>といって、筆者をなぐろうとしてこぶしをおろしました。それから、筆者は、Aくんと、よく話をするようになりました。といっても、からだが弱くて、小柄な筆者、背が高くて大柄なAくんの遊び相手になることはできないので、休憩時間に、校庭でよく話をしました。そしてあるとき、Aくんがなぜ、前の中学校で女の子をいじめていたのか、その理由を話してくれました。おとうさんが、Aくんのおかあさんを追い出して、そのあとに後妻に、若い女の人を連れ込んだおとうさんから、彼女を「おかあさんと呼べ!」といわれたそうです。Aくんは、自分のおかあさんを追い出してのは、この若い女の人だと思って、それ以来、女の子いじめがはじまったというのです。筆者は、Aくんが話すことの聞き役をしていました。聞き役しかできなかったのですが・・・。
あるとき、Aくんが欠席した日のホームルームの時間に、担任教師が、<最近、Aに、学校外でであったことがあるひとはいないか? 彼は、学校の外で何をしているのか、知っているひとはいないか?>と問いかけてきました。すると、あるクラスメートが、<このまえ、町で吉田くんと一緒にいるところをみかけました>とはなしはじめました。すると、担任教師は、<吉田、Aとなにをしていたんだ? なにを話していたんだ?>といいます。筆者、<町で偶然であっただけで、なにもしていません。何も話していません>と答えました。すると、その教師、<休憩時間に職員室にきなさい>と筆者に指示しました。休憩時間に職員室に行くと、その担任教師、<Aとよく話をしているそうだが、Aと何の話をしているのか、全部、教えなさい。最近、Aは女子生徒をいじめなくなったそうだが、なにかあったのか? 知っていることを全部、私に話しなさい。>といいます。筆者、<できません。母から、告げ口をしてはいけないと、言われていますから・・・>と答えて、<Aくんの悩みは、先生が直接聞いてあげてください>といって、職員室をあとにしました。
その次のホームルームの時間、担任教師は、こんなことをはなしはじめました。<朱にまじわれば赤くなるということわざがある。問題の生徒Aとともだちになった吉田はその典型的な例だ。Aと交わることで、Aと同じような不良生徒になってしまった>。その担任教師は、なぜ、そう思うのか、その理由を話していました。それは、<Aの言動を知るために、吉田をそのともだちにしてやったのに、吉田は、Aのことについて、私になにも伝えない。>という信じがたいものでした。筆者、担任教師は、筆者にAくんのスパイにしたてようとしていた・・・、と思ってショックをうけました。そのとき思ったのです。<こんな教師にだけは、絶対になりたくない>、と。
あるとき、その姿が見えなくなったAくんのうわさが耳に入ってきました。ゆが山のつづら折りの山道の下り坂を、無免許運転でカブにのって、断崖絶壁を空に向かって、ノンブレーキで突っ走ったいうのです。その話を耳にしたとき、筆者、Aくんの話すことに耳を傾け聞き役に徹するだけで、それ以外なにの行動もとらなかったことに後悔の念をいだきました。担任教師は、<Aがいなくなって、みんなほっとしている。前の中学校の教師も、この中学校の教師も・・・>と話していましたが、そのうち、クラスメートの間からこんなうわさが流されるようになりました。<担任は、ほかの教師にはできない教育実践をして、それを実績に、教頭先生になりたかったみたいよ。Aくんのことなど、これっぽっちも考えていなかった・・・>。
<このクラスに、被差別部落出身の生徒がいます。だれか、彼のともだちになってください>という教師、被差別部落出身の生徒のかかえた葛藤にこころを向けることなく、朱に交われば赤くなるということわざ通り、彼のともだちになった生徒を、被差別部落出身の生徒と同じようなまなざしで見るようになるのではないでしょうか? 同和教育の実践は、学校教育界においては、教頭・校長への立身出世の近道であるとか・・・。隣の中学校は、岡山県の中でも比較的大きな被差別部落を校区に含んでいます。Aくんからは部落問題に関する話は一度も聞かされたことはありませんが、担任教師は、中学校の社会科の教師、被差別部落出身の生徒にどのような指導をしていたのやら・・・。
ウクライナに寄付を! ローマ教皇・・・
昨夜、テレビで見たニュース・・・
<プレゼント控えてウクライナに寄付を ローマ教皇
12/15(木) 13:35 CNN配信
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は14日、今年のクリスマスはプレゼントの購入を控えて、代わりに余ったお金をウクライナに寄付するよう呼び掛けた。ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからもうすぐ10カ月となる。
フランシスコ教皇は、「私たちの心の中でウクライナの人々とともにクリスマスを迎えよう」と語った。フランシスコ教皇は、ウクライナの人々がとても傷ついていると述べ、寒波や、食料や医薬品の不足に言及した。フランシスコ教皇は、クリスマスを祝うことは良いことだとしながらも、「しかし、お金をかけずに、もっと質素なプレゼントを用意し、節約した分をウクライナの人々に送ろう」と呼びかけた>。
妻は、今年、<ACT Alliance>ではなく、<日本赤十字>に支援金を送りました。筆者と妻にとっては、今年のクリスマスは、これまでのクリスマスの中で、一番質素なクリスマスです。しかし、一番出費額の多いクリスマス・・・。筆者と妻、きょうはじめて、2019年に日本<ACT Alliance>が結成されたのを知りました。でも、これからも、支援金は、<ACT Alliance>ではなく、<日本赤十字>に送ることになるでしょう。
後期高齢期の生き方・・・
筆者、まもなく75歳になり、後期高齢期に入ります。
後期高齢期に、どのような生き方をするかは、前期高齢期にどのように生きてきたかによって、その<道>が方向つけられます。前期高齢期は、<定年退職後>の生き方によって、<定年退職後>の生き方は、壮年期の生き方によって、壮年期の生き方は、青年期の生き方によって、青年期の生き方は学童期の生き方によって、学童期の生き方は幼児期の生き方によって、幼児期の生き方は両親によって、両親の生き方はそれぞれの両親によって、さらに・・・、とずっとさかのぼっていきますと、筆者と妻の現在の生き方は、主なる神さまが筆者と妻に与えてくださった、聖書の神を神と信じる信仰の道によって、さまざまな影響と導きを受け、現在の生き方へと結晶していると思われます。
アーレント著『暗き時代の人々』の中でとりあげられた人物のアーレントの批評の中に、<物語の哲学>という言葉がありました。ひとは、自分の人生を真剣に生きていくときには、その人生がどのような背景のもと、どのような負い目を負わされていたとしても、そこには物語りが生まれる。物語り、自分の人生の歴史に関心を持たないひとの人生ほどみじめな人生はない。差別され、抑圧され、疎外され、排除され、抹殺されようとも、ユダヤ人としてのさだめを、神によってあたえられた所与として生き抜いてきた人々の生きざまに、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、限りない、深い共感を覚えます。
50羽の寒すずめが喜ぶ・・・!
午後、疲れて、居間のまめたん炬燵に足を突っ込んでそのまま眠ってしまいました。目がさめたとき、妻が、<庭の木の枝に、すずめさんがたくさんやってきてるわよ。遊んでいるのかもしれないけれど、餌の玄米をもうすこしまいてあげたら・・・?>といいますので、農機具の小屋から玄米を取り出して、母屋の軒の下と農機具の小屋の軒の下に玄米を散布してやりました。
そのあと、梅の木を見ると、数羽のスズメが高い枝にとまって、筆者を見下ろしていました。それで、筆者、この10年間、餌をやったときにスズメたちに相図してきた口笛を吹きました。すると、雪の積もった梅の木の枝のなから40~50羽のスズメが飛び出してきて、<ありがとう>の羽ばたきをしていました。それを見ていた妻、<スズメさんて、親から子へと、冬の餌場を教えているのよね、これからも、おこめをあげなければ・・・。史談会の小山さんご夫婦が話してたんでしょう? スズメさんたちは、有機・無農薬で栽培したコメの味を知ってるって・・・>と話していました。
今日は一日、雪がちらついていました。夕方になった今も・・・。
ハンディラッセルの柄を付け替える・・・
昨年、1本のハンディラッセルの柄が錆びと金属疲労で折れました。交換用の柄を買ってきていたのですが、取り付け部分が異なっていて簡単に装着することができませんでした。それで、ソリと柄の接続部分の取り外して、新しい柄に、電動ドリルでビスを打ち込んで固定、ハンディラッセルを修理しました。
妻に、<壊れたハンディラッセル、よく捨てなかったね>と語り掛けますと、<あなたは、なんでも直すことができるから・・・。わたしは、あなたが、「これはなおすことができない」とあきらめるまで、何でも捨てないことにしているのよ・・・>と話していました。
妻は、筆者のことを、筆者の母と同じように、<器用貧乏>といいますが、百姓暮らしは、<器用貧乏>でないとやっていけませんね。<百姓>は、百の仕事をこなせるひとのこと・・・。
午前10:0012~12:00除雪作業・・・
午前10:0012~12:00、妻とふたりで、この冬はじめての除雪作業をしました。今年で10回目の冬・・・。
これまでの冬のなかで、今年の冬の除雪作業が一番効率のいい除雪作業でした。庭の雪は40~50cm・・・。農機具の小屋の屋根から落雪した雪は80~90cm。妻のくるまの仮車庫の屋根を60cmほど延長したこともあって、母屋の軒下のすずめの餌やり場に積雪することが少なくなりました。今、軒下に散布した2021年産有機・無農薬栽培の玄米を食べにきているすずめの数は40~50羽・・・。庭木にとまったり、遊んだり、玄米をつついたりしながら、楽しそうに寒すずめが群れをなしています。今年も、21年産の玄米がたくさん残っていますので、寒すずめたちのために十分玄米を散布してやることができます。<家すずめ>たちは、我が家の家族のひとりですから・・・。
鳥インフルエンザが流行っていると報道されていましたので、心配していたのですが、積雪したあとやってきた40~50羽の群れを見てほっとしました。
2日間の積雪量は40~50cm・・・
昨日の朝は、25~35cm積雪していましたが、昨日は、郡山の歯科で、妻が治療を受ける予約をしていましたので、妻のくるまYARISを出せるように庭の一部の雪を取り除いただけ・・・。今朝は、さらに雪が積もって、その積雪量は、40~50cmになっていました。
昨年、屋根の除雪器が壊れていたのを思い出して、今朝、それを修理しました。なんとか使えるようになりましたので、YARISの仮車庫や農機具の小屋、一階の屋根の除雪作業をすることができるようになりました。とりあえず、雪下ろしをしたあと、庭に積もった雪、その上に落下した雪の片づけをすることになります。
この冬はじめての本格的な除雪作業・・・。雪国暮らしにあこがれていた筆者、除雪作業もいろいろあたまを使い、楽しみながら、除雪作業をしています。冬は嫌だと思うか、冬が好きだと思うか、除雪がいやだと思うか、除雪がすきになるか、ひとそれぞれ・・・。
除雪に使うのは、今朝修理した屋根の除雪器2種類と、ハンディラッセルとママサンダンプ、平型スコップの5種類・・・。妻の実家のおとうさんが、<ここさかえってきても除雪が大変で、ここさ出ていくようになっては大変だから、除雪機を買っておいた>というKUBOTAの家庭用除雪機を使う出番はなし・・・。なにしろ、狭い庭に、普通車と軽トラ2台をとめていますので・・・。
今日の日中は一日除雪作業に追われそうです。
2022/12/15
今回、書斎と寝室のパソコンをWindows11Proに更新したのは大正解・・・!
今回、筆者の書斎と寝室のパソコンを、Windows11Pro に更新したのは、大正解であるようです。
インターネット上の、日本の史資料だけでなく、海外の、日本関連の史資料(外交文書など)も閲覧できる可能性がありますので・・・。日本国内で非公開の史資料も、外国で公開されている史資料も少なくありません。『観聖寺文書』の史資料のひとつに、熊野の那智大社関連の資料の年代特定に、外国の古文書館のそれが参考になりましたから・・・。
山口県立文書館と長野県立歴史館・・・
今日の夜、インターネットで検索していて、左図の山口県文書館のサイトに遭遇しました。
筆者が、English Writing で執筆することになる、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)は、徳山市立中央図書館の郷土資料室の蔵書からの引用が多いのですが、その史資料の多くは、山口県文書館や山口県立図書館で閲覧可能です。
現地に赴かなくても、インターネットでその史資料の存在を確認、WEB上で閲覧できたり、コピーを請求できたりすることは、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者には、とても助かります。
筆者の祖父・吉田永學の先祖は、寛永14年(1637)年開山された、伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の末寺、信州栗田村の真言宗・観聖寺の世襲の修験僧の家系ですが、筆者は、その長男系列の直系の末裔・・・。観聖寺は長野の吉田さんがその跡地に住み、『観聖寺文書』などの宗教遺産を継承しておられますが、長野県立歴史館には、その関連史資料がかなり保存されています。今新型コロナ禍で出かけて閲覧することはできませんが、山口県文書館と同じようにWEB上で閲覧することができる日も遠くはないようです。真言宗観聖寺の修験僧の足跡は、古文書にのこるだけでも、伊勢・熊野、京都はもちろ、江戸や北関東にまで及びます。修行の旅の途上で立ち寄った寺の文献を、自分の足で歩いて調査することは、まもなく75歳になり後期高齢期に入る筆者には困難かつ不可能ですが、インターネット上で検索、場合によってはその史資料の写しを入手できる可能性が出てきたことは、筆者の向学心を掻き立てます。
ちなみに、福島県歴史資料館もあります。
『Ecclesiasticus』のいましめのことば・・・
今朝読んだ、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の『Ecclesiasticus』のことば・・・
<Do not talk much with a senseless person or visit an unintelligent person.
Stay clear of him, or you may have trouble, and be spatered when shakes himself off.
Avoid him and you will find rest, and you will never be weared by his lack of sense.
What is heavier than lead?
And What is its name except "Fool" ?
Sand, salt, and piece of iron are easier to bear than a stupid person.>
昨々日と昨日の夜、読んだ、アーレント著『暗き時代の人々』・・・。差別問題(アーレントの場合はユダヤ人に対する差別問題)を論じるときの視点・視角・視座に関する基本的な見解が綴られていました。日本の左翼思想にもとづく、部落解放運動や部落解放教育の学者・研究者・教育者・運動家においてはあまりみかけることのない視点・視角・視座です。
筆者に対する決別の辞である田所蛙司さんの言葉に<応答>しようと思ったのですが、『旧約外典』のことばを前にして、やめることにしました。すでに過ぎ去り、過去になったものをもう一度掘り起こして論を展開するのはおろかさの極み・・・。
筆者が、English Writing で執筆することになる、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)は、ブログ『部落学序説』の質と内容において凌駕するものになるでしょうから・・・。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者が、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するときの<対話の相手>は、ヤスパース、アーレント、ラートブルフ、ヴィトゲンシュタイン・・・。
田所蛙司さんとは対極にある部落解放運動家の本として、岸衛・桜井厚著『差別の境界をゆく 生活世界のエスノグラフィー』があります。その本の帯にこのようなことばがありました。
<人生・生活に寄り添いながら人びとの語りの中に埋め込まれた差別・被差別体験を洗い出し、差別状況の変化とアイデンティティ模索の現在をリアルに描きだす。地域の<声>を活かす組織作りと<声>を聞くライフストーリー・プロジェクト20年の活動を総括する>。
この<ライフストーリー>は、<Google翻訳>にかけると<人生の物語>と訳出されます。その物語には、本人だけでなく、祖母や祖父の物語も含まれます。つまり、先祖の歴史をも含む物語です。ひとりの人間の物語であると同時に、ひとつの家族の物語であり、ひとつの先祖の物語でもあるのです。
筆者が日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、山口の部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加することを許され、その被差別部落の人々からいろいろな話をお伺いすることができましたが、それはまぎれもなく、彼らの<ライフストーリー=人生の物語>・・・。筆者のブログ『部落学序説』はそこからつむぎだされたものです。その学習会の一部は、筆者がワープロ速記で記録化して小冊子にして配布しましたが、今となっては、貴重な資料です。
部落解放運動には、2つの形態があります。<部落解放のための部落解放運動>と<部落解放運動のための部落解放運動>・・・。<部落解放のための部落解放教育>と<部落解放教育のための部落解放教育>・・・。部落解放運動・部落解放教育の門外漢である筆者は、その差を考えざるを得ないのでありますが・・・。当然、筆者は前者のみを支持することになりますが・・・。
今朝は、25~35cm積雪・・・
今朝は、6:00に起床・・・。いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。『旧約外典』の『Ecclesiasticus』のことば、読んでいて、いろいろなことをかんがえさせられます。たった1章を読むのに、1時間も費やしてしまいます。
着替えるとき、除雪モードにして、階下におりますと、居間のガラス越しに、積雪した上に さらに雪が降っているのが見えました。すぐ、除雪作業開始・・・。今朝の積雪は、25~35cmに達していました。妻のくるまYARISの簡易ガレージ、ガレージの役を果たしていました。スズメの餌場もっ積雪はほとんどありませんでした。今日やってきたスズメたちは、約30羽・・・。子すずめたちだけでなく親すずめの姿も・・・。玄米をあらたにまいてやると、それを見ていたすずめたち、一斉になきながら羽ばたいていました。すずめたちの感謝のしるしです。
1時間ほど除雪して、着替えて、朝食をとり、郡山の歯科にでかけました。今日は、妻の歯の治療の予約日・・・。奥羽山脈の三森峠の西側は、すっかり雪国の風景になっていました。一番雪が深いのが、妻の実家のある湖南町赤津村・・・。妻が歯の治療をしてもらっている間、筆者は、郡山郵便局で年金をおろしました。治療のあと、スーパー、ドラッグストア、ホームセンターで食品と日用品、医薬品を購入して帰ってきました。
奥羽山脈の三森峠のトンネルを抜けると、そこは文字通り雪国だった・・・。有名な小説の書き出しのトンネルは日本全国いたるところにありそうです。
2022/12/14
はじめて、Google Earth を快適に見ることができた・・・
今日はじめて、新しいノートパソコン(Windows11Pro)で、Google Earth を快適に、スムースに見ることができました。
これまでは、パソコンの性能が低く、Google Earth を見ることは断念していました。しかし、今日、あらためて、Google Earth を開いてみますと、ウクライナの姿を自由に眺めることができました。今日、妻のふるさと・湖南にも雪が降りましたが、ロシアのミサイルによって、ウクライナのインフラが破壊され、暖房設備が機能しなくなっているとか・・・、ウクライナの人々の暮らしを推察して、筆者、<ロシア大統領プーチンは、悪魔そのもの!>であると思いました。ウクライナの人民をネオナチから解放するといって<解放戦争>をはじめたにもかかわらず、ウクライナとウクライナ国民に対する残虐な破壊と殺戮の悪魔的所業・・・、というより、悪魔の所業・・・。悪魔は、ロシア国民をも、厳冬のウクライナ戦線に動員し、死への行軍を続けさせている・・・!
左翼思想の<解放>や<解放運動>も、今朝、読んだ、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の、<The way of sinners is paved with smooth stones, but at the end is the pit of Hades.>の言葉に記された<The way of sinners>以外のなにものでもない・・・。その行くつく先は、< the pit of Hades>・・・。
夕方には、積雪10cm・・・
今日は一日雪・・・。
朝、子すずめたちが20羽ほどやってきて、妻がまいてやった、有機・無農薬の玄米を食べていました。午後になると数cm、すずめたちの餌場である母屋の軒の下にも雪が積もっていました。筆者、妻に言われて、除雪作業をしたあと、すずめたちのために玄米を散布してやりました。
子すずめたちは、近くの庭木の枝にとまって、筆者の様子をながめていました。筆者が家の中に入り、居間から妻と一緒に子すずめたちの方をながめていますと、子すずめたち、あたりを警戒しながら、徐々に餌場に近づき、玄米を食べていました。
妻は、<とうとう冬がやってきたわね・・・。子すずめたちのこんな姿を見るなんて・・・。あなた、瀬戸内海のあたたかいところに住みたいのではないの? 湖南は寒くて、雪がいっぱい降って、いやでしょう?>と筆者に語り掛けてきましたが、筆者は、いつもと同じ返事・・・。<子供のころから雪国の暮らしにあこがれていたから・・・。それに、後期高齢期になって、引っ越しするのは、大変だよ。湖南にいれば、住む家もあるし、有機・無農薬でコメや野菜、くだものをとれる4.6反の田畑もあるし・・・>。妻は、うれしそうに、ほほえみながら、<あなた、ほんとうにここを終の棲家にしていいの?>と問いかけてきました。筆者、いつもと同じ答え・・・。<ここも、天路の旅の途上の仮宿のひとつにすぎないから・・・。この地上のどこに身をおいても、天国への距離は同じ・・・>。
筆者と妻は、いまだに昭和の暮らし・・・。暖房は、石油ストーブとまめたんこたつの<点暖房>・・・。筆者、妻に、<あたたかいところにすみたければ、冷暖房完備にしたらいいのでは?>とといかけますと、妻は、<わたしは、いまの暮らし方でいいわ・・・>と答えていました。
Windowsで、英・独・伊・希・ヘブライ語を入力できるようにする・・・
書斎のノートパソコンWindows10ProとWindows11Pro、寝室のディスクトップWindows11Pro で、日本語だけでなく、英語・ドイツ語・イタリア語・ギリシャ語・ヘブライ語を入力できるように設定しました。
これで、少しは、時代の流れについていくことができるかと思っていましたら、<スマホを使ってスキャナー、パソコンに取り込むことができます>とか・・・。しかし、筆者、こころのそなえができていませんので、すべてパス・・・。筆者のWindows10ProとWindows11Pro、まだ、スマホ(Android)と接続していません。やはり、時代の流れについていっていないようです。
英文・独文の本から引用するときは、筆者は、本を見ながら、キーボードから打ち込んでいます。スマホでスキャナーしてパソコンに取り込めば、いちいち打ち直す必要がないのでしょうが、それでは、いつまでたっても言語の習得ができないように思われるのですが・・・。そういうことを考えること自体がすでに時代遅れなのかもしれません。
来年のOSサポート期限切れに対応・・・
今日の午前中で、来年早々、サポート期限切れになる、Windws Server 2012R2 と 2台のWindows8.1Proのノートパソコンに対する対応が完了・・・。Windows8.1Proのノートパソコンのうち1台は、無償でWindows10Proにバージョンアップできましたので、そのサポート期限の2024年5月14日まで使い続けることができます。
MSWord2013で、大量の文章を編集しようとしますと、突然ハングアップしますので、大量の文章の編集・校正は、テキストファイルに落としてエディターの MIFES で行っていました。これからは、Windows11Proの入った2台のパソコンのMSWord2019/2021で編集・校正することになります。
これで、 English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するために必要な、パソコン環境(MSWord、Google翻訳)と英語論文執筆のための辞書・例文集・書式集、ワープロ速記法、部落研究関連史資料、ブログ『部落学序説』のデータべース化・・・がそろいました。
無償バージョンアップしたWindows10Proは快適に作動・・・
Acer のノートパソコン Aspire5 531p
プロセッサ:Intel の<Celeron CPU 1007U @ 1.50GHz、1500 Mhz、2 個のコア、2 個のロジカル プロセッサ>
メモリ:8GB
ハードディスク:285GB/空き容量65GB
OS:Winoows10Pro
アプリ:Office2013 Professional/VisualStudio2010 Professional/Visual Studio Code/桐/同時通訳/MIFES/Google Chrome/Open Office/
Windows11Proへの無償バージョンアップ、非対象機種。サポート期限は、2024年5月14日。それ以降は、内部LANの端末のみとして使用。
和をもって貴しとなす・・・
昨夜、無償でWindows10Proにバージョンアップした、書斎のノートパソコン、快適に動作していたのですが、インターネットで検索していますと、旧モデルのパソコンにインストールしました Windows10をさらに早く動かすためのアイデアが掲載されていました。それで、筆者、そのひとつを実際に操作してみました。しかし、その結果は、極端にパソコンの動作が鈍くなり、ほとんど使用に耐えないものになっていました。
やはり・・・。
インターネットにでまわっている情報、玉石混交で、選択を間違うと、とんでもない結果を招くことになりそうです。<あくまで自己責任で行ってください。もし、それでも早くならない場合は、パソコンを購入した時点にまで戻して初期化してください・・・>との説明がありましたが、今朝、読んだ、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の、<The way of sinners is paved with smooth stones, but at the end is the pit of Hades.>ということばを思い起こさせるような結果に陥ってしまいました。
それで、今朝、1日前の状態に復旧作業をしました。それで、もとの快適な状態に戻りました。Windows10 のさまざまなプログラムは、全体として調和を保って快適に動作するように設計されていますので、画竜点睛で、パソコンの処理速度を高めようとしてもほとんど徒労に終わるようです。<角を矯めて牛を殺す>式の言説が、インターネットの世界のあらゆる分野で蔓延しているようです。
ただ、今回、富士通の親指シフトやかな漢字変換のツール、ドライバーの残滓を完全に状況できたのは正解でした。
2022/12/13
Hyper-V をセット・・・
Windows11Pro ✕2台、Windows10Pro✕1台、Windows8.1Pro✕1台の4台のパソコンに、Hyper-Vをインストールしました。
現在のところ、Hyper-Vを使う予定はありませんが、Windows8.1Pro以前、Microsoft Office2013以前、Visual Studio2010以前のOS、アプリ、言語に関するソフトがかなりありますので、廃棄処分するのもためらいがあり、いつでもインストールして使用できるように、Hyper-Vをセットしました。
携帯用ノートパソコン(Windows8.1Pro)に、WindowsXpをインストールして、『標準内科診断学』の診断用アプリケーションをインストールします。Windows8.1ProをアンインストールしてWindowsXpをインストールしようとしましたが、不成功に終わりましたので、Hyper-Vを利用して、WindowsXpを使用できるようにするつもり・・・。いつのことになるか、わかりませんが・・・。
『Windows11新機能完全マニュアル』を速読・・・
村松茂著『Windows11新機能完全マニュアル』を速読しました。
ノートパソコンの初期画面の<ハードウエアマニュアル>と<windows11ユーザーズマニュアル>を通読したあと、『Windows11新機能完全マニュアル』を速読しました。Windows11の新機能以外については、『Windows10最新便利ワザ大事典』に目を通しました。
いずれも、猪苗代の書店で購入したもの・・・。郡山の岩瀬書店と違って、パソコンに関する本・雑誌は、初心者向けの本しか置いていません。入門書を選ぶときは、選択範囲が限られていますので、時々猪苗代の書店で購入します。
午前中、書斎のWindows11Proを22H2にUpDate・・・
午前中、筆者の書斎の新しいノートパソコンの Windows11Pro を 22H2 に UpDate しました。
これで、寝室のディスクトップパソコンも書斎のノートパソコンも、Windows11Pro 22H2 に揃えることができました。これからは、Windows の <OneDrive> も <Google Drive>多用することになります。現在の Windows Server 212R2 のクライアントサーバーシステムをバージョンアップ、ファイルサーバーを再構築する代わりに・・・。いずれ、 <OneDrive> も <Google Drive>も有料版を使用することになります。
用途は、 English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆すること・・・、のほかに、有機・無農薬栽培でコメ、野菜、果実を栽培するための関連資料の入手、各種ニュースを閲覧するためだけなので、i9 第12世代のパソコンが普及しはじめた現在では、LowSpec なパソコンでしかありませんが、まもなく75歳になり後期高齢期に入る筆者には、身の丈相応のパソコンたちです。
昨夜、筆者のクライアントサーバーシステムをチェック・・・
昨夜、筆者のクライアントサーバーシステムをチェックしました。
English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆することに特機した環境を確保するためですが、
1.新しいノートパソコン(Windows11Pro)は、ルーター・ファイアーウオールを経由してインターネットに直接接続、<Google 翻訳>機能などの Google Apps を快適に使えるようにするとともに、論文執筆・校正・編集のために、MSWord2021を、高機能ワープとして使用できるようにする。
2.Windows Server 2012R2 Essential とそのクライアントパソコンの携帯用パソコン(Windows8.1Pro)と書斎のノートパソコン(Windows10Pro)は、マイクロソフトのサポート期限を迎えるまで使用することにして、その後は、内部LANに移行する。
3.寝室のディスクトップパソコン(Windows11Pro)は、Windows Server 2012R2 がサポート期限 2023年10月までそのクライアントとして使用し、その後は、新しいノートパソコンと同じようにインターネットに接続・・・。
Windows Server 2012R2 Essential のファイルサーバーとして利用してる関連史資料のデータは、ポータブルハードディスクに、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するのに必要なデータのみを保管して、随時再利用できるようにする・・・。
MYOASYSではじめた筆者のパソコンライフ、Google翻訳機能をそなえた、Windows11Pro With Word2021 で終わることになります。ワープロではじめてワープロで終わる・・・。MYOASYSのときに抱いていた夢が今現実になろうとしています。
田所蛙司さんの吉田向学に対する決別の言葉・・・
2005年、インターネットで、筆者が、ブログ『部落学序説』を公開、書き下ろし執筆をはじめたとき、いろいろな方々がコメントしてくださいましたが、その中に、部落解放同盟神戸支部の田所蛙司さんがいます。その田所蛙司さんが、筆者に対する決別の言葉・・・、昨夜、アーレント著『暗き時代の人々』を読んでいて、思うところがありましたので、今朝、ダウンロードしました。その全文を<無断転載>します。
いま、あらためて読みなおしてみますと、<さすが、部落解放同盟神戸支部の田所蛙司さん・・・!>と思わざるを得ません。立場の違いはあっても、自分とは異なる考え方のひとを理解するこころの広さを持っておられるようです。インターネット上にでまわっている『部落学序説』の筆者に対する批判のなかで、これほど的確に批判している言葉はほかにありません。田所蛙司さんの吉田向学に対する決別の言葉を前に、<決別>は確定し、その後は、うしろがみを引かれることなく、それぞれの立場を貫いてきたので、田所蛙司さんのこの<決別>の言葉から、部落解放への明日の姿を読み取っていきたいと思います。
<この「流れ」はお終いに。
2010-03-17 19:35:41 | 日記
この間、吉田向学さんと「ジゲ戦記」ブーさんのブログに応答する形で蛙の考えを書いてきましたが、少し整理をしておきましょう。
向学さんの主張ですが・・・・・、
「日本国」1億3000万の人口の内、「その気になれば」全ての人々の旧身分を明らかにすることはできる。この「身分制」で、「エタ」とは「」などでは決してなく「司法警察」の「役」を「誇りを持って」担った人々のことである。そういう事実が「明治」期、「国家」によって隠蔽をされ、「史観」に染め上げられた「学者」や「解放運動家」によって、「差別」の原因・由来が曖昧なものにされてしまったところに現在の困難がある。「解放」を展望するということは、「この事情」を全ての人が確認をするところから始めなければならない。「」は、「奪われた」真実の「物語」を取り戻さなければならない。
・・・・・ということのように蛙は読みました。
「論理」として首尾一貫した主張ですから、それが、圧倒的な人々に支持されるのであれば、それはそれとして「よいこと」なのかも知れない。
蛙の「考え」は違います・・・・・
「人間」は、その「人」がどんな背景を持っているか、家族とか資産とか学歴とか、或いは「その血筋」とか、そのようなもので評価されるべきものではない。「彼」がどのように生き、何を為し何を為さなかったか、そこのところで「値打ち」が決められなければならない。「人」は成人してからは自身の責任において「全て」を「ひとり」で引き受けていかなければならない「存在」なのであり、その「覚悟」を持った「一人ひとり」の「支え合い」が基本に据えられなければならない・・・・・
そのようでありますから、まず、「物語」を必要としない。「自由主義史観」の連中は、「歴史は物語なのであり、『日本国』の『物語』はこうなのだ」と言っています。「物語」を頼りにする、これは「弱さ」以外の何ものでもない。「ひとり」を基本に置けば「物語」など必要ではありません。
「私は私の信念に基づいて生きる」。向学さんの「解放の展望」は、向学さんの「主張」に皆が納得することが目指されているわけですから、それを全面的に支持する人以外は皆、敵になる。蛙の方からは敵視することはありませんが、論理の必然として、向学さんから見れば蛙もまた「敵」になるでしょうから、なるほど、「詐欺師」などと呼ばれたり「たわごとをのたまう」などと言われたりするのでしょう。蛙も「解放の展望」などキチンと提起する力はありませんから大きなことは言えませんが、少なくとも「味方になってくれるかも知れない人を敵側に追いやるようなこと」はしたくはありません。なんちゅうても、蛙は「学者」を気取りたいこともないし、「詐欺師」と呼ばれてもちっとも構うことはない、「運動家」でありたいと思っていますから、「今」「ここ」で「差別」攻撃を受けている「この人」を支え、激励し、「一緒に頑張って行こうね」って「ことば」を伝える、そういう風に歩いているわけです。
というわけで、「間にある溝は埋められそうにもない」ようですから、向学さん、「ジゲ戦記」ブーさんとの「応答」は、これを限りにしたいと思います>。
2022/12/12
Windows11Proを自分でインストールしないと・・・
Windows8.1までは、筆者は、OSを自分でインストールしてきましたが、Windows10Pro と Windows11Pro は、プレインストールされた規制のパソコンを購入しましたので、Windows10Pro や Windows11Pro のインストール方法をマスターすることはできませんでした。
まもなく75歳になり、後期高齢期に入る筆者、もうパソコンは、ただただ使用するのみ・・・。2013年4月に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農するとき、教会役員会の要請で牧師の副業のK&Y情報記録サービスも閉鎖することになりました。 ただ、湖南には、情報処理の業者がいないので、湖南に帰ってくればそれなりの仕事があるという、妻の実家の親類関係者が話していたので、副業に使っていたクライアント・サーバーシステムはそのまま、湖南にもって帰りました。それから10年が経過・・・。サーバーもクライアントも時代遅れになり、まもなく、インターネットに接続することができなくなります。自分でOSをインストールするのは、Windows2012R2 essential で終わり・・・。
今日、新しいノートパソコンを使えるようになったことで、いよいよそのことが確定的になりました。
新しいノートパソコンの初期設定・・・
夜、新しいノートパソコンの初期設定をしていました。
電源コンセントとLANケーブルをつないで電源をONに・・・。そのあと、画面の指示にしたがって操作すれば、問題なく初期設定が可能になると思っていたのですが、いろいろトラブルづくめ・・・。作業を始めて終わるまで、なんと3時間もかかってしまいました。
今回は、Windows Server 2012R2 に接続しないで、単独で、インターネットにアクセスできるように環境設定しましたが、いままで、クライアントサーバーシステムの設定方法になれていた筆者は、そのシステムから切り離してネットに直接接続するというのは、初めての経験・・・。抗ウイルスソフトのインストールも、なぜかてまどってしまい、何度もやり直し・・・。
筆者、やはり、情報処理世界の落ちこぼれになってしまっているようです。
この文章は、新しいノートパソコンで入力していますが、寝室のWindows11Pro 22H2 や 書斎のWindows10Pro 22H2 と操作性はあまり変わりなさそうです。ともかく、新しいノートパソコンの査収は完了しました。
残るはあと1冊、
インターネットで注文した古書、まだ届いていないのは、あと1冊だけ・・・。Arendt著『Men in Dark Times』・・・。
英書なので、外国から取り寄せているのでしょうね、きっと・・・。届く予定日は、12月26日・・・。クリスマスの次の日・・・。筆者の実の母は、12月24日になくなりました。妻の実家のおかあさんは、今年、5月3日になくなり、妻の実家のおとうさんは、1月1日になくなりました。主なる神さまが与えてくださるクリスマス・プレゼントとして待つことにしましょう。
Arendt著『Men in Dark Times』の英文は、筆者が、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するときの<お手本>にするつもりです。著者のArendt、書名に<Men>を使っていますが、その中に男性だけでなく女性も含まれています。現代では性差別を避けて、man/woman という表現をさけて<people>と表現したほうがいいとか、言われていますが、Arendtにとっては、man も woman も同じ man・・・? CASIOの電子辞書では、<woman>の語源は、<wif>(女という)+<man>(ひと)・・・。安易な差別語狩りは、その言葉の持っている真意を損なう可能性があります。間違った解釈で、言葉を抹殺しても、差別的実体をそのまま放置することになりかねません。
『発信型英語・類語使い分けマップ』が届く・・・
この前、インターネットで注文していた、古本『発信型英語・類語使い分けマップ』が届きました。
この本は、中学英語で、English Writing するための、基本的単語の使い方に関する<読み物>であるようです。
筆者が、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するときの英語力は、<中学英語>程度です。英語を学んだことがあるのは、小学6年、中・高6年の計7年だけ・・・。あとは独学です。神学校では、英語を学ぶことも、、English Writing を学ぶこともありませんでしたから、筆者の英語は、中学3年~高校1年程度・・・。その程度でも、English Writing するための入門書や指導書、辞書・事典類がそろっているのですから、<現代>は、独学するのに、最適な時代ですね。
今日同じく届いた『ヨハネ23世 魂の日記』を開いた瞬間に目に飛び込んできた言葉・・・。<時々ある人が私を軽蔑し、私が平気でいると思って、私を傷つける。こういう場合、私は黙って喜ばなければならない。人は私をばかだといい、またそう思っている。確かにほんとうにバカなのかもしれないが・・・>。ヨハネ23世は、キリスト者といえども、<苦難>や<迫害>を避けることはできない。しかし、主なる神さまは、悪しき者がキリスト者にもたらそうとする<滅び>からキリスト者を守ってくださると、日記に記しています。
午前10:00~11:30、棚田の田の周囲の農業用水路の冬支度・・・
今日は晴れて、あたたかい・・・。それで、妻と一緒に、妻の実家の棚田の田の冬支度にでかけました。
妻は、育苗用ハウスの中で乾燥させていた豆類の収穫・・・。そのあと育苗用ハウスのビニールシートの破損個所を補修テープで補強していました。筆者は、棚田の田の東の山側の農業用水路と西の農道沿いの用水路の両脇の草をとり、用水路につまった、枯れ葉、枯れ枝を取り除いて、堰止めしていた用水路の水を一挙に流しました。用水路に残っていた枯れ葉、朽ち葉は、用水路の水がきれいに、北側の排水路に運びさってくれました。北側の排水路の水は、常夏川へ・・・。
今日の会津磐梯山は、雪でまっしろ・・・。特に、西側の峰が・・・。日本海の新潟側から雪が吹き込んできたのでしょう。妻の実家の棚田の田からみますと、会津磐梯山は富士山のように見えます。帰り道、舗装された農道からは、安達太良山と吾妻連峰のまっしろな雪姿が見えました。
妻は、<これで、棚田の田の冬支度はおわり・・・。あなた、最後に点検して帰りましょう>というので、ふたりで点検して帰りました。プロの農家の田の周囲は、電気柵の電線がはりっぱなし・・・。電気柵の線を撤去しているのは、素人百姓の妻の実家の棚田の田だけ・・・。妻は、<今年、積雪するのが遅いから、イノシシに警戒して、電気柵の線をはりっぱなしにしているのかしら・・・?>と心配していましたが、筆者、<今年は、あまりイノシシの姿を見ることはなかったから、その可能性はすくないのじゃないの? イノシシがまっさきに田を荒らすとしたら、電気柵を撤去してひさしい我が家の田だから・・・。我が家の田にイノシシがきた形跡がないということは、ほかの田にもやってきていないという証拠・・・。電気柵の線をそのままにしているのは、農家の手抜き・・・>と答えました。ほんとうのところはなにもしりませんが・・・
昨夜は『暗き時代の人々』、今朝は『英訳聖書』(NSRV)・・・
今朝5:00に起床・・・。いつもの健康管理・・・。今朝の最高血圧は117、最低血圧は78、脈圧差は39、平均血圧は91、脈拍数60、呼吸数15、体温36.2°C、体重61.6kg・・・。
そのあと2時間、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の『Ecclesiasticus』を通読の続きをしました。神さまに祝福された人の生き方には、ピンク色のマーカー、神さまに見捨てられた人の生き方にはブルーのマーカーをつけて読んでいきますが、どのページもマーカーだらけ・・・。あとで、検索して読むことになると思われる個所には、それぞれ目印をつけていきす。中学1年生のときに、父から『新約聖書』を譲り受けて読むようになり、高校2年生の秋、高校の裏山の竜王山に40日間連続登山、岩の上で座禅して瞑想、聖書の神を自分の神として信じていきていくことを決断し、高校3年の12月5日に、SwedenCovenant Mission の宣教師から洗礼をうけました。それ以来、聖書の神を信じる信仰者として、聖書を読みながら、神さまから与えられた、筆者の人生を生き抜いてきましたが、当然、筆者のものの見方、考え方は、聖書から大きな影響を受けることになりました。『旧約正典』だけでなく、『旧約外典』からも・・・。
昨夜、アーレント著『暗き時代の人々』のヤスパースについてのアーレントの言及を読んでいましたが、ヤスパースの実音主義哲学は、聖書信仰に相通じる哲学なので、聖書と同じく筆者の人生に大きな影響を与えてきました。アーレントによると、Academic な哲学者の多い中で、ヤスパースは、Academic な用語を使わないで、一般の人々が理解できる言葉で、哲学を語り続けた稀有な哲学者であるようです。高校2年生のときに、ヤスパースの『哲学入門』を読んで以来、まもなく後期高齢期に入る筆者においても、なお哲学の師であり続けています。アーレントによると、ヤスパースのどの本も、ヤスパースの哲学全体を表現しているとか・・・。ヤスパースの『哲学入門』は、ヤスパースの実存哲学の入門書ではなく、その全体のエッセンスを抽出したものであるようです。
<Consider your own call, brothers and sisters: not many of you were wise by human standard, not many were powerful, not many were of noble birth. But God chose what is foolish in the world to shame the wise;God chose is weak in the world to shame the strog; God chose what is low and despised in thw world,thing that are not, to reduce to nothing things that are,so that no one might boast in the presence of God. He is the source of your life in ChristJJesus, who became for us wisdom from God, and rig htousness and sactification and redemption, in order that, as it is wrtten,"Let the one who boasts,boast in the Lord. >
聖書信仰に照らしても、自らをいつわることなく、無学歴は<無学歴であれ!>(Be academic outsider!)
2022/12/11
今日一日無駄な時間を過ごす・・・
今日一日、無駄な時間を過ごしました。
購入したまま未使用のルーターとファイアーウオールを設定しようしましたが、未使用のまま10年が経過していますので、いろいろ不都合があるようで、現在のところ使用不可・・・。この機器と携帯用ノートパソコン(Windows8.1Pro)をつないで、ルーターとファイアーウオールにアクセスしようとしましたが、アクセスを拒否されてしまいました。
いろいろ試行錯誤している間に、携帯用ノートパソコンも作動しなくなり、携帯用ノートパソコンのWindows8.1Proを復旧するのに、またまた時間がかかり、結局、作業開始前の元の状態に戻して終わりました。
その間、書斎の、新しいノートパソコンとA4プリンター、A3プリンター、電話機の配置換えをしました。8畳の書斎も、書棚とテーブル、パソコンラックで、あまり広いと感じられなくなりました。日本基督教団西中国教区の牧師をしていたとき、ちいさな教会の牧師の書斎はわずか1坪でしたが、その中にサーバー1台、ディスクトップ×3台、プリンター1台、電話機2台、スキャナー1台、それから情報処理関連の書籍や技術指導書をおさめたスチール製6段の本箱5箱を設置していましたから、まるで、コックピットの中にいるような感じでした。それから比べますと、妻の実家で筆者に与えられた書斎は、3倍の6畳の広さ・・・。しかも、3,600冊の蔵書に囲まれて、執筆活動することができるのですから、人生の晩年において、主から与えられためぐみの時と場所・・・。
無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にとっては、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆する申し分のない環境です。日本の社会のなかから部落差別を解消し、福音伝道がしやすい環境つくりのための、隠退牧師による最後の奉仕です。
今朝6:00に起床して、英訳聖書を通読・・・
今朝6:00に起床…。いつもの健康管理・・・。最高血圧113、最低血圧74、脈圧差39、平均血圧87、脈拍数62、呼吸数15、体温61.0°C、体重62.0kg・・・。今朝は、昨日、キュウリ支柱の撤去作業をして腰をいためたためか、少しく腰痛がしていました。しかし、日常生活に支障はなし・・・。
そのあと、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の続きを読んでいましたが、そのなかに、<心の貧しき者>に関連した数多くの知恵のことばが記されていました。この世の一般常識では、<富>は<貧>にはるかにまさるもので、<富める者>は<貧しき者>をあなどり、しえたげるのが常・・・。しかし、聖書の世界は、全く逆で、主なる神のみまえにおいては、主にあって<貧しき者>は<富める者>よりおおくの幸いを主から受ける・・・。<富める者>は<貧しき者>を憎む、それと同じように、<貧しき単>は<富める者>をにくむ・・・。<富める者>と<貧しき者>との間に何の関係があるか!
聖書のことばは不思議です。時間と空間をつらぬいて、現代を生きる、名もなく貧しき、筆者に、天地を創造し、生きとし生けるものを守り育ててくださる聖書の神、主なる神さまのみことば運んでくださるのですから・・・。からだをほろぼしてもたましいを滅ぼすことができないこの世の権力を恐れるな! わたしたちを真に自由へと解放してくださるのは、主なる神さまのみであって、この世のいかなる権力でもない・・・。人民の解放の名のもとに、ウクライナに軍事侵略し、ウクライナ国民の生命と生活基盤を破壊するロシア大統領プーチンとその側近たち、それを迎合してウクライナと戦うロシア国民の上に、万軍の主なる神のわざわいがあるように!
2022/12/10
昨日、妻はウクライナに支援金を送る・・・
昨日、吉田農園の農園主である妻は、今年の野菜直売所・湖南四季の里の売り上げ収入の50%を、日本赤十字に送金しました。ウクライナ支援金として・・・。
といっても、素人百姓の筆者と妻、わずか4.6反の棚田と段々畑の田畑で、自給用に有機・無農薬栽培した野菜の良質なものを野菜直売所・湖南四季の里に出展していますので、売上収入は、経費を差し引くと赤字になってしまいますが、妻は、経費を考慮に入れないで売り上げ収入の50%をウクライナ支援金として送ることを、前々から決めていましたが、日本赤十字から趣意書と振り込み用紙が送られてきましたので、その振込用紙を使って送金しました。
この春にも送金していますので、年金暮らし&百姓暮らしの我が家にとっては、一大決心です。他国から侵略戦争されても、防衛戦争という枠組みでしか抵抗できないウクライナの人々は気の毒です。ウクライナに侵略戦争をしかけたロシアがこれ以上戦争を拡大しないためには、ロシアがウクライナから全面撤退すればすむ話しですが、ウクライナにとっては、ウクライナの国土を奪回するまでは、戦争を続けざるを得ないでしょう。クリミヤ半島を略奪したロシアはドンバス地方の略奪のために今回のウクライナ侵略戦争をはじめたのですが、もしウクライナがロシアにドンバス地方を割譲することを認めて戦争を終わらせようとしますと、今度は、数年後に、ロシアは、ウクライナ全土の略奪をするために、ウクライナに全面戦争をしかけてくるでしょう。
<万軍の主>なる神さまが、天の軍勢を送って、ロシアの軍隊を全滅させてくださることを願ってやみません。
筆者のパソコンはすべて Business 用・・・
筆者のパソコンは、すべて、Business 用です。
扱うデータは、テキストファイルが大半なので、MSWord や、Google ドキュメント、Google翻訳が快適に使えればそれで十分です。
新しいパソコンに切り替えるタイミング・・・
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、教会書記の役員の方が、徳山市議会事務局の速記者の仕事を定年退職でやめたあと、その当時のパソコンの最高級機を購入されました。
そして、10年が経過したころ、彼は、脳梗塞にかかり、それまで自由自在に使っていたパソコンを使うことができなくなりました。それで、筆者、おくさんに頼まれて、彼のパソコンを障害者向けに設定変更して、その操作方法を指導することになりました。
その経験から、筆者は、隠退牧師になったあと、パソコンはいつも廉価なパソコンにすると心に決めていました。そのあと、購入したノートパソコンは、安価な、台湾のAcer製のパソコンにしました。メインメモリは、2GBから4GBへ、4GBから8GBへ増設してきましたが、最近は対応したメモリの入手が困難になっていました。それで、メインメモリ―増設は8GBで終わり・・・。今、一番よく使っている書斎のノートパソコンも Acer製のパソコンですが、無償バージョンアップでWindows10Proに変身・・・。とても、使い勝手のいいパソコンになりました。まるで夢のよう・・・。
今回、新しいノートパソコンを注文したあと、無償バージョンアップが可能になったのですが、Windows Server 2012R2 EssentialとWindws8.1Pro、Windows10Proは、内部LANとして温存します。ノートパソコンは書斎と寝室にそれぞれ配置して・・・。Windows11Pro2台は、書斎と寝室のそれぞれ配置して、MSWordとGoogleAPPSを使用することができる<高機能ワープロ>として使用します。
情報処理関連の仕事を副業でしていたときは、すべてのWindowsのバージョンに精通していました。すべてのバージョンを、筆者のクライアントサーバーシステムで作動するようにしていましたが、まもなく75歳になり後期高齢期に入る筆者には、もうその必要はなし・・・。他者のためのパソコンではなく自分のためのパソコンとしてフル活用していくことになります。
インターネットにアクセスするため、新しいパソコンに切り替えるタイミングは、マイクロソフトによるサポートの打ち切り時期と、抗ウイルス対策用のアプリのサポート打ち切りが重なったとき・・・。
午後、段々畑のキュウリ支柱の片づけ・・・
今日は一日晴れ・・・。午前中来客があったので、午後、妻とふたりで、妻の実家の段々畑のキュウリ支柱の片づけをしました。キュウリ支柱は、東西方向に設置した場合は、積雪してもキュウリ支柱が変形することはありませんが、南北方向に設置しますと、雪の重みで負荷がかかり、キュウリ支柱が変形してしまいます。
農業用施設は、<農業微気象>を把握したうえで設置する必要があります。冬の間、風と雪がどちらからどちらへ吹き付けるのか、それを知っていれば、どんなに積雪しても農業用施設が雪害を受ける可能性は少なくなります。
地元のプロの農家に尋ねてもダメ・・・。どのプロの農家も、自分の田畑のことしか知りませんので、自分の田畑は自分で、責任をもって管理する必要があります。
2013年4月1日に、妻の故郷・湖南に帰郷して、稲の育苗用のハウスを、妻の実家の棚田の田の上・中・下の連続した田の上段に設置しましたが、そのとき、プロの農家の方々が、<おめえ、ばかでねえのけ? ここらは風が強くて、素人のおめえらがつくるハウスなんぞ、雪の重みですぐ潰れてしまうべえ!>とバカにしてきましたが、それか10年、いまだに筆者と妻がつくった育苗用ハウスは健在です。2020と2021年は、ビニールシートを張りっぱなしにしてきましたが、昨年の豪雪時期も無事乗り越えました。
今は、専業農家の方が、棚田の上方に4棟も農業用ビニールハウスを設置して夏野菜を栽培しておられます。
無償バージョンアップしたWindows10Pro 22H2 は快適に作動・・・
筆者の書斎の、無償バージョンアップしたWindows10Pro 22H2 は快適に作動しています。
筆者の書斎のWindows8.1Proのノートパソコンが、2023年1月10日でサポートがなくなるので、その代替として、Windows11Proがプレインストールされたノートパソコンをインターネット通販で注文したのですが、そのあと、ダメ押しで、3回目の、Windows8.1ProからWindows10Proへ無償バージョンアップをこころみました。すると、3回目にして、難なく無償バージョンアップができました。それで、2023年1月10日、サポートがなくなるはずだった書斎のノートパソコンは、2024年5月14日までサポートが延長されることになりました。
その結果、筆者の書斎ノートパソコンは、Windows10Pro とWindows11Pro の2台になりました。うれしい誤算・・・。1年半だけの・・・。
午前中、来客・・・
午前中、来客がありました。
1時間ほど歓談して帰られましたが、主に、筆者が、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき棲息していた山口に関する話し・・・。
<妻は、山口がなつかしい・・・。できることなら、山口の地を終の棲家にしたかったのだけれど・・・。>と話していました。筆者は、<終の棲家も、天国への旅の途上の仮の宿・・・。山口でも福島でも、主なる神さまの導かれるままに・・・>と話しましたが、人生の旅の途上、いろいろな出会いがあるんですよね・・・。
その<出会い>・・・、大切にしなければならない出会いもあれば、忌避して、遠ざけなければならない出会いもあるのですよね・・・。今朝読んだ、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の『Ecclesiasticus』には、そんな出会いの諸相が綴られていました。間違ったことを教える教師は避けなければならない・・・。
<self-humiliation>と<self-exaltation>・・・
現代日本の学歴社会において、その知識階級に属する人々にとって、<無学歴・無資格>を名乗ることは、<self-humiliation>(自己卑下)につながるようです。
筆者、学歴社会のなかで<浮いている>存在であっても、決して<沈んでいる>存在ではありません。学歴社会のなかで、<self-humiliation>(自己卑下)におちいるということは、学歴差別をする現代の知識人、学者・研究者・教育者の価値判断に自分をゆだねて、その差別的な見解を受容することを意味します。
現代の知識人の多くは、<無学歴・無資格>は、秘匿すべきことがらであり、秘匿することによって、学歴差別からおのれを解放し、<self-exaltation>(自己高揚)につながると考えているようです。日本の左翼思想の学者・研究者・教育者の多くは、<self-humiliation>(自己卑下)を放棄して<self-exaltation>(自己高揚)することで、すべての差別現象から自らを引き離し、すべての差別からを解放することができると固く信じ込んでいるようです。
しかし、<self-exaltation>(自己高揚)は、自分と他者を比較して、自分を貴しとして、他者を賤とする<差別>的側面を払拭することはできません。今朝読んだアーレント著『暗き時代の人々』には、<心の貧しき者>は、自分と他者、他者と他者を差別することはないという意味のことが書かれていました。アーレントがいう<心の貧しき者>としてその生涯を生き抜いたと評するキリスト者は、Angelo Giuseppe Roncalli のこと・・・。プロテスタントの教会の牧師・信者を、従来の<Church Outsider>としてみる見方をすてて、主イエスキリストの同じ恵みにあずかるものとした<ローマ法王・Johannes ⅩⅩⅢ>のこと・・・。
今日、インターネット経由で、Roncalli 著『魂の日記』を注文しました。
Church Outsider として・・・
筆者、妻の故郷・福島県郡山市では、ときどき、同じ質問をされることがすくなくありません。というのは、筆者の語る言葉が、福島方言・郡山方言のアクセントがかなり異なって聞こえるようです。なかには、<あなたのことばは、とてもやさしい響きをもっていますが、あなたは、どこの出身ですか?>と語り掛けて来られる方もおられます。
妻は、<私の夫は、岡山出身です。日本基督教団の牧師になって、30年間、山口の地で棲息していました。私の父がなくなり、認知症の母をひとり残しておくことができず、こちらに帰ってきました・・・>とその歯科医の方に話したそうですが、その歯科医の方、<あたたかい地方に住んでいたのに、よく、雪国・湖南に移ってきましたね・・・>と驚いておられたようです。妻は、筆者に、<私が認知症の母を介護するために福島に戻るときに、あなたも一緒に帰ってきてくれたのは、あたりまえのことではないのよね。主なる神さまに感謝しなければならないこと・・・>と話していました。
妻と結婚するとき、妻が洗礼を受けた日本基督教団巣鴨ときわ教会の藤原位憲牧師をたずねてその了解をもとめたとき、藤原牧師からひとつの条件を出されました。<A子さんを生涯一信徒として見て、決して牧師夫人扱いをしないこと、それを了承するなら、あなたとA子さんの結婚を認める>と。牧師にとって、その妻も一信徒であり、牧師はその信徒をつまずかせてはならないと・・・。
今朝、アーレント著『暗き時代の人々』を読んでいるとき、<Church Outsider >という言葉が目にとまりました。<幸福なるかな、心の貧しき者>という主イエスさまのみことばを生きようとする筆者、日本基督教団神奈川教育においても、西中国教区においても、<Church Outsider >だったのかもしれません。
筆者は、<Academic Outsider>であると同時に<Church Outsider>・・・。そのような世界にも、筆者のような牧師は少なからず存在する・・・。
今朝5:30に起床して・・・
今朝は、5:30に起床・・・。いつもの健康管理をしました。最高血圧は112、最低血圧は73、脈圧差は39、平均血圧は86、脈拍数62、呼吸数15、体温36.1°C、体重62.0kg・・・。
そのあと、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の『Ecclesiasticus』を通読・・・。今日の聖書の箇所も、<幸福なるかな、心の貧しき者>という、主イエスさまのことばを解釈するとき参考になることばが数多く記されていました。
そして、昨日夜から続きを読んでいる、アーレント著『暗き時代の人々』のなかに、<心の貧しき者>についての言及がありました。昨夜0時になったので読むのを中断しましたが、今朝、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、その残りを読みました。アーレントは、現代の知識人は、<心の貧しき者>を理解することはほとんどできないであろうといいます。現代の知識人にとって、<心の貧しき者>は、差別、排除・疎外の対象にしかならず、その真意、選書の中で用いられている真意を認めるに至らないからです。<心の貧しき者>の意味を知るためには、みずから、<心の貧しき者>として、生きなければならないからです。
日本の現代の知識人にとって、<心の貧しき者>同様、<無学歴・無資格>も、否定すべき負の側面でしかないので、現代の知識人がそれを精査・評価する可能性はほとんどなさそうです。主なる神さまのまえでの<無学歴・無資格>の意味を知るためには、<無学歴・無資格>を生き抜くことで、そのほんとうの意味が見えてきます。
現代の神学者や神父・牧師たちは、聖書について研究し論じはするが、聖書のみことばを生きようとはしていない。バルトの『教会教義学』を翻訳したり研究したりする人は多いが、彼らは、『教会教義学』のなかで、バルトが語る基督者の生き方を実践しようとはしない・・・。
アーレントは、いついかなるときにも、<心の貧しき者>としてその人生を生き抜いたひとりのキリスト者について、熱を込めて紹介しています。
2022/12/09
副業で情報処理関連の仕事をしていたときの名残り・・・
筆者のクライアント・サーバーシステムは、日本基督教団西中国教区の山口の教会の牧師をしていたときに、教会役員会の要請で副業を持つことになりましたが、その副業というのが、情報処理関連の仕事・・・。そのとき、Windows 2000 Small Business Server でクライアント・サーバーシステムを構築しましたが、そのときの名残りとして、筆者のパソコンは、次の構成になっています。
1.Windows Server 2012R2 Essential(ディスクトップ)
2.Windws8.1Pro : Office2013Professional(携帯用ノート)
3.Windows10Pro:Office2013Professional/VisualStudio2010Profssional(ノートン)
4.Windows11Pro:Office2019Personal(ディスクトップ)
5.Windows11Pro:Office2021Personal(ノート)
名残雪と同じで、徐々に、時の流れの中で溶けて行って、10年後も使えそうなのは、今日届いた、5.のパソコンのみ・・・。
poor と poverty の違い・・・
今朝、『英訳聖書』(NSRV)の『旧約外典』の『Ecclesiasticus』を通読していたとき、<幸福なるかな、心の貧しき者>という、主イエスさまの山上の垂訓のことばをよりよく理解するためのヒントが隠されていました。
<the poor in spirit>の貧しさは、<poor>であって、決して、<poverty>ではないということ・・・。主イエスさまは、<poor>なひとは幸いであると説教されましたが、<poverty>は幸いであるとは説教されませんでした。英語類語辞典を数冊ひもといても、その違いは明確ではありませんが、『旧約外典』の『Ecclesiasticus』では、明確に使い分けられています。漢字で貧困の程度を軽い順から並べますと、貧<欠<乏<困<窮・・・。Ecclesiasticus』の<poor>は、経済的には<貧>を指し、<poverty>は、<窮>に該当すると思われます。
神を信じる信仰者は、<貧>であっても、主なる神さまがその人生を支えてくださるので<poverty>におちいることはない。しかし、神を信じない<rich>な人は、あるとき人生の破たんを来し<poverty>におちいる・・・。そこから、『Ecclesiasticus』では、<貧>であっても、主なる神さまを信じて生き続けることは、いつ、人生に破たんを来すかもわからない、拝金主義・拝物主義に生きている<富める人>より幸いであると説きます。
主にあって<intelligence>をもつ<the poor in spirit>であれ、と。
今日の夕方、新しいノートパソコンが届く・・・
今日の夕方、インターネットの通販で注文していた、新しいノートパソコンが届きました。ていねいに開梱して、ノートパソコンと付属品を取り出し、添付された書類通りに納品されているかどうかチェックしました。
しかし、今日は、疲れているので、ノートパソコンの電源をONにするのは、明日・・・。書斎の座卓の上を片付けて、新しいノートパソコンを設置しました。
郡山の歯科へ・・・
今日は、郡山の歯科で妻が治療の予約をしていましたので、筆者も同行・・・。筆者は治療を終えているのですが、郡山でいろいろ買い物をしなければならないので、筆者が往復運転をしました。午前8:30に家を出て、戻ってきたのが午後2:00・・・。
妻の治療がすんだあと、郡山のホームセンターでバスクリーン3箱とDHCのサプリ1袋、マーカーを6種類×2本と、補充用のインク2種類×1個を購入・・・。
そのあと、岩瀬書店によって、パソコン雑誌を購入・・・。現在市販されているパソコンの性能・仕様を確認するため・・・。しかし筆者が知りたい情報を掲載しているパソコン雑誌はありませんでした。Core i9 のパソコンが発売されるようになって1年が経過しますが第12世代のパソコンは、年金暮らし&百姓暮らしの筆者には、高嶺の花、入手不可能です。筆者が通販で注文したノートパソコンの客観的な性能・仕様を知りたくて、パソコン雑誌を探したのですが、みつけることができませんでした。やはり、めまぐるしく変わっていっているので、パソコン雑誌も追従できないのかもしれませんね・・・。
筆者が現在使用している、この前Windows10Proに無償バージョンアップした Acer のノートパソコンのCPUは、第3世代・・・。現在の最新のCPUは第12世代ですから、時代おくれもはなはだしい・・・? 筆者も、まもなく75歳になり後期高齢期に入りますので、時代遅れ・・・。
2022/12/08
湖南の赤津村も積雪・・・
赤津の語源についてはいろいろ説があるようですが、赤も津もアイヌ語に由来するようです。赤は、魚の背びれを意味するアイヌ語で、そこから山脈の尾根を意味するようになったようです。津は、船着き場のある場所・・・。つまり、赤津は、<山脈の尾根にある港>を意味します。
筆者、生まれ故郷の岡山を離れて久しくなりますが、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農してからも、ふるさとがなつかしくなったことはありません。くるまで5分ほど走らせると、猪苗代湖畔にたどりつき、そこから見える猪苗代湖の風景は、瀬戸内海の風景を思い出させてくれます。ただ、違いがあるとすれば、積雪した会津磐梯山が見えることと、備讃瀬戸をながめたときに目にはいる船の行き交う姿がないこと、潮の香りがしないこと・・・。それでも、瀬戸の内海を思い出させるには十分です。
瀬戸内海は、うみねこやかもめがいますが、猪苗代湖は、コハクチョウとカモ・・・。共通しているのは、ウ・・・。瀬戸内海はウミウで、猪苗代湖はカワウ・・・。でも同じウですよね。筆者が通っていた小学校の昔の名前は、鴻村の榴浜(つばきはま)小学校・・・。昔は、鴻(こうのとり)がやってきてたのですよね。鴻は、自分の生まれた場所に必ず帰ってくる鳥だといわれていますが、ふるさとがふるさとでなくなった岡山には、鴻が姿を見せなくなってひさしくなります。瀬戸の海の榴濱小学校は、尋常鴻小学校に改名されていきますが、筆者、榴浜小学校も、鴻尋常小学校も、現在の琴浦西小学校も、その名前が好きです。小学校の教師全員の名前を言えといわれれば、答えることができるかも・・・。
Windows10Proに無償バージョンアップした書斎のノートパソコンは順調に作動・・・!
MicrsoftIME もそのまま使用できています。インターネット上では、<日本語>を一端削除してサイドインストールしなければならないとのコメントが多々ありましたが、現在、筆者は、日本語の他に、英語・ドイツ語・スペイン語・ギリシャ語・ヘブライ語をインストールしていますが、どれも問題なく使用できます。<Google 日本語入力>も問題なく使用することができます。
English Writing での『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆・・・、Windows10Pro に無償バージョンアップした書斎のノートパソコンで十分執筆できるかもしれません。このノートパソコンを使用できるのは、2024年5月14日までですが・・・。新しいノートパソコンは、さらに、English Writing 執筆環境をより充実させてから使用することにしましょう。それまでは、このノートパソコンを使い続けることにします。
この冬の知的作業は観聖寺文書の再判読・・・
今日は1日, これまで再読した観聖寺文書を再検証して, MSwordで活字化, A4判19枚にプリントアウトして, 隣村の郵便局からゆうパックで送りました. 12月20日から来年3月20日までの3ヶ月間, 晴耕雨読ならぬ晴れた日は除雪作業, 雪の降る日は読書三昧...
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猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
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今朝、読んだ『英訳聖書』(NSRV)のことば・・・。 I have also seen this example of wisdom under the sun, and it seemed great to me. There was a little city with fe...