2022/10/20

昨夜も、『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を読む・・・

昨夜も、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を通読していました。一度、通読して、全体像を頭に入れたあと、精読に移ります。English Writing の知識・技術を習熟したあと、筆者のブログ『Self-studying English Composition』で、短文のひな型を集めたあと、本格的に英語論文『Research on Buraku Discrimination in Japan』に入ります。

ブログ『部落学序説』の執筆をはじめたとき、<誰も読むことのない文章を、なぜ、延々と描き続けるのか?>というコメントが多々ありましたが、『部落学序説』の英訳を断念して、あらたに、英語論文として『部落学』(
『Research on Buraku Discrimination in Japan』)の執筆を宣言している筆者にも、同じ批判が向けられることは重々承知しています。<日本語でさえ誰も読まなくなった『部落学序説』を英文で書き直して、いったい誰が読むというのか?>・・・。

筆者、最初は、英語と日本語で同時執筆するつもりでしたが、English Writing に関する本を読むにつれて、最初は、英語で執筆し、完成したあと、それを和訳すればいいのではないかと思うようになりました。遅れに遅れた『部落学』の執筆、遅れついでに、そうすることを決断しました。なぜ、被差別部落出身者でないのに、また部落史の学者・研究者・教育者でないのに、なぜ<手弁当>でその作業にかかわり続けるのか・・・。日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、西中国教区の宣教の課題として部落差別問題に取り組むことを要求されましたが、その取り組みの中で、<手弁当>で<勝手同和>を実践する山口県立古文書館の研究員・北川健先生とその論文にであったり、その論文の中に出てくる旧穢多村・旧茶筅村の古老を訪ねて、彼らの先祖に対する思いと、その歴史を引き受けて生きて行っている生きざまに触れることができました。30年間、山口で棲息していたときにであった出会いに感謝して、『部落学序説』の執筆をはじめたのですが、その30年間の重さが、まもなく後期高齢期を迎える筆者をして、英語論文『部落学』(
『Research on Buraku Discrimination in Japan』)の執筆を決断させたのです。

先祖の歴史を否定することなく、それを引き受け、今の時代を生き抜いている、旧長州藩領知の山口の被差別部落の人々に栄光あれ! 差別からの完全解放の時が来ることを祈りに込めて!

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