昔、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、西中国教区の総会で、部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられた筆者、下松市の<造船の灯を消すな>という市民運動に教会として参加、その市民大会で、市民代表として<演説>したことがありますが、その流れの中で出会った、部落解放同盟新南陽支部の方々が、その被差別部落の中にある隣保館で開催されている<学習会>を通じての交流がはじまりました。あるとき、支部長さんから、その被差別部落の歴史を調べることを求められて、徳山市立中央図書館の郷土資料室で調べはじめましたが、司書の方の<あなたは、部落について調べていませんか? 部落について調べることは差別です>と何度も差別者として嫌疑をかけられました。あるとき、司書の方から通報を受けた山口県立図書館の木下先生が郷土資料室で調べ物をしている筆者のところにやってきて、<査問>をはじめられました。その結果は、前回、紹介しましたので省略しますが、その時、木下先生は、<部落史の学者・研究者が書いている被差別部落像は、金太郎飴みたいでしょう。誰が書いたものを読んでも同じ顔が出てくる・・・>と話しておられました。筆者、<長州藩の古文書に出てくる被差別部落の姿は、村ごとに歴史と伝承が違っていて、いろいろな顔を持っていますね。部落史研究者の描く被差別部落像は金太郎飴でも、私がこの郷土資料室の史資料で確認できる被差別部落の姿は多種多様です。>と答えました。木下先生は、筆者に対する<査問官>としての厳しい表情を崩して、笑顔になっておられました。
後日、筆者に、木下先生が古文書を読みながらそれをワープロに打ち込んでいる古文書読解の作業現場を見せてくださいました。山口県立文書館の研究員や山口県立図書館の研究員の方々は、幅広い精神をお持ちの方が多い・・・。だれの言葉にも率直に耳を傾けることができる・・・。金太郎以外の顔が出てくると、金太郎の顔に書き直す研究者もいないわけではありませんが・・・。実証主義の歴史学者なのか、イデオロギー的歴史研究家なのか、彼らが描く被差別部落像を精査すればわかります。
2022/10/31
部落史研究者が描く被差別部落像は金太郎飴・・・
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