2022/10/30

筆者のブログのアクセス者数は1日3~4名に・・・

筆者のブログのアクセス者数は1日3~4名に減少・・・。

といっても、1日4~5名から3~4名に減少しただけですから、あまり気にする必要はなさそうです。3~4名と言えば、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんが、頭に浮かんできますが、日本基督教団の隠退牧師になった筆者のブログを読みに来てくださる方は、彼らぐらいでしょう。

筆者が、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢であるにもかかわらず、部落史研究の世界に関与するようになったのは、部落解放同盟山口県連新南陽支部の支部長さんに、その地区の歴史を調べるように依頼されたからです。筆者、被差別部落の歴史を調べるのにふさわしい存在ではないとお断りしたのですが、部落史の学者・研究者・教育者にその被差別部落の歴史を調べてくれるように依頼しても、<いいですよ>と快諾してくれるものの誰ひとりとして、調査結果を教えてくれない。牧師さんとして、信頼してお願いするが、調べたことは、いいことも悪いことも包み隠さず、全部教えてほしいといわれ、断るに断れなくなって、かかわるようになりました。その支部長さんに、<エタということばで差別されたとき、どう切り返していたのですか?>とお尋ねしたところ、差別してくる相手に「ネス!」という言葉を投げ返していたと、話しておられました。<エタ>の末裔から<ネス>といわれて、傷つくひとって、誰なのか? 部落解放同盟山口県連新南陽支部の学習会に参加させてもらって、被差別部落のおじさん、おばさんの話を聞くことができるようになって、筆者の被差別部落に対して抱いていた差別的なイメージが音を立ててくずれはじめました。徳山市立中央図書館郷土資料室で調べていて、<エタ>に<ネス>と反撃されて衝撃を受ける人の存在をしりました。

のちに『部落学序説』の執筆につながる瞬間でした。支部長さんに、そのことを伝えますと、とても喜んでおられました。そのとき、支部長さんが筆者に語り掛けてこられた言葉は、<吉田さんが、わたしの息子だったらよかったのに・・・>。支部長さん、草葉の陰で、筆者の言動を見ておられるでしょうから、筆者、おいそれと、『部落学序説』を廃版にしたり、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)の執筆を断念したりできません・・・。

出会いは大切にしなければ・・・。

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