これも、インターネットの日本の古本屋経由で、東京・神田の古書店から入手したものです。
出版された当時は、部落史の学者・研究者・教育者の間でのみ流布した資料集のようですが、今、入手することは困難な文献であるようです。筆者が入手したのは、15年前のことですから・・・。日本基督教団西中国教区の牧師をしていたとき、インターネットのブログ上で『部落学序説』の公開執筆をはじめたとき、筆者にいろいろアドバイスをしてくださった、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方から、<同和対策事業終了で、部落史の学者・研究者・教育者がそれまで集めた文献を古書店に放出しているので、『部落学序説』の執筆を継続するなら、入手しておいたほうがいい・・・>とアドバイスしてくださった史資料のひとつです。
<〇〇町部落史資料集>といい、<〇〇村部落史資料集>といい、筆者が差別思想であると断定する<賤民史観>の学者・研究者・教育者によって、黙殺された可能性のある史資料集です。<〇〇町部落史資料集>、<〇〇村部落史資料集>と伏字で表現しないと、法務省通達とやらで、プロバイダーによって<差別文書>として削除される可能性がありますので、不本意ながら、実際の書名では記載しませんでした。
筆者が収集した部落史関連史資料のなかに、いったい、<〇〇町>、<〇〇村>と伏字に表記しなければならない、近世幕藩体制下の<穢多町>、<穢多村>はいくつあるのでしょう? 『部落学序説』は、長州幡の<穢多町>、<穢多村>の史資料と伝承、山口県立古文書館の研究員の方々の研究成果に負っていますが、『部落学序説』の主張の内容は、旧長州藩領地以外の西日本の府県の<〇〇町落史資料集>、<〇〇村部落史資料集>においても確認することができます。
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