2022/11/06

人生の晩年は、被差別部落との接点なし・・・

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、筆者、西中国教区総会で、筆者が牧師をしていた教会の信徒議員が差別発言をしたということで、執行部から、筆者、どういう指導をしているのか責任を問われ、西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられました。

信徒議員の差別発言というのは、西中国教区に部落差別問題特別委員会を設置する建議案が出されたとき、筆者が牧師をしている教会の信徒議員がセコンドについて、<教区・教会はもっと部落問題に取り組まなければならない>と賛同しましたが、そのときの<部落問題>という言葉が差別発言として指摘されたのです。

筆者、理由がわからなくて、執行部に説明を求めたのですが、執行部の説明では、<西中国教区は長い間部落差別問題と取り組んできた経緯から、問題は部落にあるのではなく、部落差別にあると認識して、部落問題ではなく、部落差別問題として取り組んできた。それなのに、あなたの教会の信徒議員は、部落に問題があるかのように部落問題という表現を使った。牧師であるあなたは、信徒をきちんと指導すべきである>ということでした。

その後、筆者、機会を得て、部落解放同盟山口県連新南陽支部の学習会に参加することを許され、部落問題・部落差別問題についていろいろ見聞を深めることができましたが、その過程で、信徒議員のおじさんのつれあいにあたるひとが、新南陽支部のある被差別部落の同和会の幹部の娘であること、信徒議員のつれあいの方も、被差別部落出身で、隣市で、部落解放同盟の支部をたちあげようとしているひとであることがわかり、筆者と西中国教区の間に一挙に、乗り越えがたい淵ができました。西中国教区の部落差別問題の取り組みは、部落問題・部落差別問題の現実から遊離した、単なる観念的な<ありばいつくり>の取り組みでしかないのではないか・・・、という疑念が生じ始めました。

山口東分区の分区長である牧師は、筆者に、<即刻、部落にかかわるのはやめろ。部落差別問題とのとりくみもやめろ。お前が、山口の被差別部落を尋ねまわることで、分区の教会の信徒たちがはらはらしている。被差別部落の中から教会を見ると、誰が被差別部落の人であるのかがわかる。おまえによって、いつみもとがばらされるか、はらはらしている。部落問題にかかわるのは、即刻やめろ!>と脅迫・恐喝してきました。その結果、筆者、西中国教区から、山口のちいさな教会に<幽閉>されることになりました。山口のちいさな教会の牧師を辞任して、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農するまで・・・。

妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してからは、被差別部落との接点は皆無・・・。一時、湖南史談会や郡山地方史研究会の古文書講習会に参加したことがありますが、東北、福島、郡山の、元学校教師の<同和問題>・<同和教育>に関する話を耳にするにつけ、当地は、<同和対策審議会答申>が出される以前の状態にあることがわかりました。筆者の眼からみますと、極めて差別的・・・。どんなにひいきめにみても、同対審答申前夜でしかなく、いっこうに部落解放はすすんでいない・・・。筆者には、その世界にもう一度入っていく気力も体力もなく、山口の地でであった被差別部落の古老の話と、山口県立図書館・徳山市立中央図書館郷土資料室の蔵書、60歳になって年金の一部が入るようになってインターネットの日本の古本屋経由で集めた部落史研究関連書籍300冊を読んで、『部落学序説』をより発展深化させた『部落学』を執筆することにしました。

被差別部落との直接の接点なしに、史資料だけで部落史を研究する・・・、それは、日本全国津々浦々の、部落史研究者の研究スタイルですが、筆者、よくもわるくも同じスタイルで『部落学』を執筆することになります。

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