2022/11/15

娘と無学歴の父・・・

『湖南村尻百姓記』に記載した、筆者の娘の結婚式のときの話・・・。

娘の結婚式のとき、新郎の勤務先の高等学校の校長・教頭・科の教師の方々による万歳と、新郎が担任しているクラスの生徒たちからの Video Letter が流された後、プロの司会者によって、娘の<父母への言葉>が読み上げられました。

<わたしの父は、キリスト教会の牧師です。私は、高校3年生のとき病気になり、成績が落ちて、センター試験も失敗、担任から、予備校へ行く準備をしなさいと言われました。

わたしの父母は大学を出ていません。しかし、京都大学に行くことになっていたのに家の都合で行けなかった父は、わたしを見捨てないで、受験指導してくれ、私を福島大学に入れてくれました。小さな教会の牧師をしていた父は、わたしを大学にやるために、職業訓練校で情報処理の講師をしたり、母は、病院の調理師をして、大学にやってくれました。今思うと、ほんとうに大変だっただろうと思います・・・>と話していました。

娘が幼稚園の年少組のとき、日本基督教団西中国教区の教職研修会の講師をされていた日本基督教団の副議長(同志社大学神学部卒)に呼び出され、西中国教区の副議長(同志社大学神学部卒)の前で、<君のようなものの娘を受け入れてくれるキリスト教主義大学はどこにもないのでそのつもりでいなさい>と引導を渡されました。筆者は、<私の娘はまだ幼稚園の年少組ですよ。どうして大学進学の話をされるのですか?>と尋ねますと、<西中国教区の副議長から、君が幻想を抱いていると聞かされたから・・・>とその理由を説明しておられました。筆者、<娘は、国立大学に進学させますので、私立大学にやるつもりはありません>と話しますと、西中国教区の副議長は、<無学歴の父親に育てられる子供が国立大学に入れるはずがない!>と自信たっぷりに話しておられました。筆者、<なぜ、そんなことが言えるのですか?>疑問を呈しますと、西中国教区の副議長、<同志社大学を出た父親に育てられた私の娘ですら国立大学に入ることができなかったのに、無学歴の君の娘が国立大学に入れるはずがない!>と自分の判断に間違いはないと立腹しておられました。

娘の大学受験のあった年の西中国教区総会の昼食のとき、山口市内で精神科の医師をされていた山口教会の信徒の方(常置委員)の方が、<吉田先生、吉田先生の席はこちらです。こちらへ来てください。>といわれるので、その方の横に座りました。すると、<娘さん、大学進学はどうなりました?>と尋ねられますので、筆者、<おかげさまで、合格できました。>と答えました。すると、ざわめいていた食事の席がシーンとなり、その方がさらに、大学と学部を尋ねてこられました。それで、<国立の福島大学の行政社会学部です>と答えました。すると、その精神科医の常置委員の方、<わたしは、あなたの娘さんが国立大学に入ると確信していました。他の牧師先生方は、絶対に落ちると話していましたが・・・。山口教会の牧師の息子・娘さん3人もみんな国立大学に進学しています。苦労をした牧師は、息子や娘を国立大学に進学させるんです・・・>と話しておられました。

披露宴のときの、娘のことば、<京都大学に行くことになっていたのに家の都合で行けなかった父は、わたしを見捨てないで、受験指導してくれ、私を福島大学に入れてくれました。>は、筆者の耳元をすっと通り過ぎて行ったのですが、今、思い起こしてみますと、赤面のいたり・・・。しかし、<娘は、父親の言葉を信じて、大学受験に臨んだのだ。>と思いました。<おとうさんは、京都大学に合格するノウハウを持っている。一生に一度でいい。おとうさんのいうことを信じて、おとうさんのいう通りに受験してみろ。必ず合格する!>と娘を激励したときのことを思い出しました。

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