『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいたとき、こんな話が記されていました。
<信仰篤い人>で<敬虔な信者>である母親の臨終を前に、その息子が牧師を呼ぼうとしたとき、その母親はこう答えたそうです。牧師を呼んでもいいけれど、<彼に聖書を読んでもらいましょう。でも解説はしないでほしい・・・>。
その一生を、聖書の神を信じて生きてきた、聖書の中に記されている神のことばだけが、生きる支えだった。決して、牧師の説教ではない。説教という、牧師の恣意的な解説など、何の意味もない・・・。大切なのは、聖書のことば、神のみことばに耳を傾けることであって、牧師の説教に耳を傾けることではない・・・。
なにとなく、共感を覚える一人の高齢の敬虔なドイツ婦人の語る言葉です。
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