2023/04/07

今朝読んだ『英訳聖書』(NSRV)のことば・・・

今朝読だ『英訳聖書』(NSRV)のマルコによる福音書の一節・・・、deny 、life、save、lose の4つの単語、CASIOの電子辞書の英和辞典で検索して、出てきた意味の数を掛け合わせると、22464通りになりました。

機械的にこれら4つの単語に意味を割り振ると、22464通りの解釈ができる可能性があるということになります。『英訳聖書』(NSRV)に出てくる単語の意味を『口語訳聖書』の訳に従って読んでいくときは、4つの単語の組み合わせは1通りでしかなくなってきますが、少しく、自分で読もうとしますと、急に、解釈の幅が出てきて、最大22464通りの解釈のひとつしか選択することができないことに気付かされます。life を<いのち>、<生命>と訳すこともできますし、<人生>、<生涯>、<一生>、<生活>、<暮らし>などと訳すこともできますので、それに応じて、save、lose の意味もこと なってきます。そのために、英語の文章を的確に書くためには、<collocation >に注目する必要があるのでしょう。その<collocation >も、単語と単語の接続を一義的に確定することにはやくだたず、もしそのようなことをすれば解釈の多義性・多様性を見失うことになり、聖書のことばの豊かさを手放すことになってしまうことでしょう。

灰の水曜日、洗足木曜日、受難日・・・。日本基督教団の神学校を出て最初に赴任した教会は、神奈川教区の開拓伝道所・・・。最初の受難週、洗足木曜日には、赴任したばかりの筆者に、教会役員会がもとめたのは、筆者が、主イエスさまがその弟子の足を洗った聖書の記事にならって、彼らの足を洗うこと・・・。彼らの前にひざまずき、その足を水で洗う・・・、無学歴・無資格(Academic Outsider)のどこの馬の骨かわからないと揶揄、誹謗中傷されていた筆者に対する隷属化の要求・・・? 筆者が桶の水で教会員の足を洗うと、教会役員のひとり澤田姉がタオルでその足を拭いて行きました。筆者と同じように、彼らの前にひざまずき謙遜の姿勢をとって・・・。

<こころの貧しきものはさいわいなり>という聖書のことばを説教したとき、教会役員会の東京大学・慶応大学卒の学者・研究者たちから、<吉田牧師は、この地にはいない、貧しい人のために説教をした。なぜ、「富めるものはさいわいである」と説教しないのか?>という批判がわきあがり、筆者のお目付け役の周辺8教会の牧師の1人で、農村伝道神学校の教授は、<わたしは、「富めるものはさいわいである。富は、主なる神があたえてくださる祝福だから・・・。貧は、神から見捨てられたしるしだから・・・>と筆者を指導してきましたが、その事態を、あたまを抱えて憂いておられたのは、当時の、神奈川教区議長・内藤協牧師だけでした。内藤協牧師、君は、<新生、聖化、神癒、再臨の四重の福音を信じているようだね・・・>と話しかけてこられました。内藤協牧師も、主イエスさまの新生・聖化・神癒・再臨を信じて、それを生きておられるとか・・・。

もし、筆者が神の国に入ることがゆるされたとしたら、澤田姉と内藤牧師に再会したい・・。受難週における、聖書信仰を生きているけれど、非<教会主義的>な筆者の<迷想>・・・?

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