2023/08/01

小沢有作著『部落解放教育論』を読みながら私の生きた精神的環境を振り返る・・・

    ひまをみつけては小沢有作著『部落解放教育論』を読んでいますが、それを読みながら私が生きた時代の精神的環境を振り返っています。

    私のブログ『部落学序説』を書くことになった精神的環境と『部落解放教育論』を書いた小沢有作氏の精神的環境は<同一>ではありえないとしてもきわめて<類似>したものです。 かっての<大学紛争>の大学の教授として学生から批判された大学の教授・学者・研究者としての学問のありようを真摯に受け止め、自らの学問の目的・方法・意義を検証し直した小沢有作氏は、尊敬に値する教育者であるようです。 日本の近代思想批判をした大学教授・鹿野正直と同質・・・。 <権力>の側からの歴史ではなく<民衆>の側からの歴史をとらえ直そうとした稀有な学者・研究者のひとり・・・。

    <差別をくいものにし差別につながる研究と、解放とむすび解放に資する研究とをわかてという要求・・・差別の研究と解放の研究を研究の実質においてわかつものは何か、解放と結ぶ研究をつくる立場・視点・方法とは何か・・・>。

    私が『部落学序説』で<差別思想>と断定する、反差別を標ぼうしつつ<差別をくいものにし差別>の拡大再生産に資する<賤民史観>の学者・研究者・教育者・運動家の<立場・視点・方法>を部落学<序説>として批判する私の研究は<解放とむすび解放に資する研究>の部類に属します。 その『部落学序説』を左翼主義思想のテーゼに飲み込まれて差別文書として閲覧禁止・削除処分にしてきたNiftyやGooblog、そしてそれを法的に後押しした法務省の一部の反体制的役人、<差別をくいものにし差別につながる>政策の執行者・・・。

    私は団塊世代に属する1948年1月生まれですが、無学歴・無資格、大学教育から排除・疎外された存在ですので<大学紛争>のときの体制側でも反体制側でもありません。 日本基督教団の東京神学大学<闘争>のときの教授側でも学生側でもなく福音はでも社会派でもありません。 その<大学紛争>で問われた戦後日本の経済成長の中で取り残された貧困の中、自分の現実の人生を主なる神から与えられた所与の人生として信仰をもって選びとった存在のひとり・・・。 日本基督教団の牧師になったとき福音派の牧師たちからも社会派の牧師たちからも排除疎外されたのは、私が無学歴・無資格の彼らの論争の枠外の存在であったから・・・。

    そのため民衆史、民衆史観、人間の自由と平等の追求、そのための日本の近代思想への学問的批判研究にその学究生活をささげた鹿野正直氏や小沢有作氏に共感・共鳴するところが多々あるのでしょう。 <無学歴・無資格>という標ぼうは、私の生きた精神的環境の表明なのですが、<大学紛争>の双方の当事者にとっては、まったく無意味な唾棄すべき<自己卑下>の<劣等感>の意思表示でしかなくなってしまうのでしょう。 <無学歴・無資格>は、<民間の学>、<在野の学>、英語で表現すれば<Academic Outsider>の担い手たらんとする私の表明です。

    
<差別をくいものにし差別につながる研究>に従事してきた学者・研究者・教育者・運動家は、彼らの著作・論文を文献解釈学的に批判する私の批判を<差別の研究>をする学者・研究者・教育者・運動家に対する誹謗中傷・罵詈雑言だといまだに誹謗という名の弁明を繰り返しているようです。

    私の『部落学序説』は、ひとつの時代を私なりに生きてきた結果なので、その発言内容が正当であるかどうかは、これからの世代、次の世代が判断することであって、私自身で修正したり撤回したりする可能性は100%あり得ない・・・。 釈明もすることはない・・・。 部落史研究における私のただひとりの師、元山口県立文書館の北川健先生から学んだ論文を公開したものの責任の取り方です。

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