2024/09/01

"仮面" を外した"素顔" の 被差別部落の方々と出会うことが大切・・・!

    日本の社会の中から部落差別を完全になくすためには, "仮面" を外した素顔の "穢多" の末裔の方々と出会うことが大切です.

    現代社会の中で, どこが被差別部落か, 誰が被差別部落民か, 知ることが難しいしほとんど不可能・・・. 部落解放の運動は, 昔も今も, "仮面" を被った運動です. 被差別部落の住人も "被差別者" という仮面を被り, 彼らを運動に駆り立てる左翼主義の活動家も同じ "仮面" を被っています. また, "差別者" の対極である "差別者" の側も "差別者" という "仮面" を被らせられます.そして, 両者は, それにふさわしい言葉と行為が強制されます.そのやりとりのなかで使われる言葉は, 左翼主義思想にもとづくイデオロギー的運動用語です.自民党・旧社会党・旧民社党・共産党の党利党略のもと, 部落解放の運動団体の内部闘争が激化して, なにが運動の目的なのか, 不明確になり, 国民の指示を失って行きました.その運動に参加した人々はみんな それぞれの運動団体の "仮面" を被っていました.

    私が牧師をしていた (隠退牧師として今も牧師・・・) 日本基督教団の部落解放センターも "差別者", "被差別者" という "仮面" を被った人々による, 左翼主義思想にもとづくイデオロギー的運動用語を用いた対話の場でしかありませんでした.

    その世界に身を置いたままなら, 私は, 日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員を返上したとき, 部落差別問題との取り組みをやめていたことでしょう. そうしなかったのは, 山口の地で, "仮面" をつけないで, "素顔" で対話する被差別部落の人々にであったからです. 部落解放同盟新南陽支部の学習会は, まさに, "仮面" をつけた被差別部落の人々ではなく, "素顔" の被差別部落の人々に出会うことができた最初の被差別部落でした.そのうち, 徳山市議会事務局の速記者をしている教会書記の方と, 彼が市議会議員の同和対策事業・同和教育事業の先進地視察の準備・同行をしたことのある山口の同和対策事業が実施されている被差別部落を尋ねたり, 妻とふたりで古文書の記事を片手に, 150近い被差別部落 (同和地区指定地区だけでなく未指定地区もふくめて)  にドライブしてであった "素顔" の被差別部落の人とであったり, 山口同宗連でであった浄土真宗の住職の方々にその門徒の "穢多" の末裔の方々を紹介してもらったりで, 私の部落差別問題や部落史研究の方向性が大きく変ることになりました.

    長州藩領地で, "素顔" の "穢多"役 や "茶筅"役 (=非人役) の末裔の方々と出会うことで見聞を深め, それを徳山市立中央図書館郷土資料室や山口県立図書館の史資料を調べることで, 聞き取りした内容が事実・史実であることを確認していきました.    

    大切なのは, "ある地域が部落かどうか見分ける" ことではなく, その "部落" で "仮面" をつけた住民ではなく, "素顔" の住民に出会い, 左翼主義のイデオロギー的用語ではなく, 彼らの日常の言葉で対話することです. そのような営みを継続していくなかで生まれたのが, 私のブログ "部落学序説" とその関連ブログ群です. 自ら "仮面" を被って, "仮面" を被った, 被差別部落の人々,部落問題・部落史研究の学者・研究者・教育者・運動家の世界に入って行っても, 部落差別の真実にたどりつくことはできません.       

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