今朝、6:00に起床、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、ひさしぶりに、野矢茂樹著『語りえぬものを語る』を読んでいました。そこに、こんな文章がありました。
<一般に、文学作品を「完全に翻訳する」とこは不可能である>。
文学作品を<Fiction>と置き換えますと、上記の文章は、<一般に、Fictionを「完全に翻訳する」とこは不可能である>という文章になります。ということは、<Non-Fiction を「完全に翻訳する」ことは可能である」というが否定されていないということになります。
<ここで問題になる翻訳は、世界のあり方の記述・・・>。
野矢茂樹は、その事例をあげていますが、その事例の動詞を<差別する>という言葉に置き換えますと、
AはBを差別する。
BはAに差別される。
野矢茂樹は、前者と後者とでは意味が違うという人もいれば、前者と後者は同じ意味だというひともいるが、<世界のあり方の記述という観点から認めるならば、両者は同じ意味だと言える>といいます。部落差別についていえば、<AはBを部落差別する>という能動形と<BはAによって部落差別される>という受動形は、部落差別について同じ事象を語っている・・・、つまり、
差別者は被差別部落の人を差別する。
被差別者は差別者に差別される。
このふたつの事象は別々の事象に見えながら、実は差別という一つの事象について記述したものであるということになります。野矢茂樹は、<一方が真であれば他方も真であり、一方が偽であれば他方も儀である>といいます。<部落差別>を<部落差別>でなくする、無化するには、二つの命題のいずれか一方、あるいは両方を否定すればいいということになります。
当然、<差別者が被差別部落の人を差別することをやめれば部落差別はなくなる。>ということになりますが、部落差別がなくなるためには、もうひとつの真、<被差別部落の人が差別されても差別されなければ差別はなくなる。>も成立することになります。これまでの部落解放運動の傾向、志向から見ても、一挙に部落差別がなくなることはなさそうですから、部落差別完全解消のために、両方が必要になります。差別者が部落差別をやめると同時に、被差別部落の人も差別されても差別されない姿勢、生き方が求められることになります。
日本の部落差別は、<Fiction> ではなく <Non-Fiction> なので、<翻訳>は可能です。ただ、日本語で書かれた間違った部落差別問題、部落史研究は、英語に翻訳しても間違ったままです。
2021/12/16
差別と翻訳・・・
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